2001年8月号
特集
第9回総会記念シンポジウムより
「生協-これからの10年をどう設計するか」
「日本経済の失われた10年」 と評される1990年代は、 生協にとってもまた、 「停滞と存続の苦しみの10年」 であった。 右肩上がりの供給高が減少に転じる一方、 さまざまな不祥事による信頼の揺らぎや、 NGOやNPOに取って代わられる形で社会的影響力の低下も見られた。 続く2000年代は、 90年代の負の遺産を抱え、 職員にも組合員にもつらく困難な再建の時期であると同時に、 日本型市民生協の創業者たちがトップの座を去り、 世代交代が進む時期でもある。
この間、 生協をめぐり数多くの本が出版され、 さまざまな角度から問題が提起されている。 当研究所も第9回総会にあたり、 「生協-これからの10年をどう設計するか」 と題し、 次の時代の生協のあり方を問うシンポジウムを、 6月23、 24の両日にわたり京都市のコープイン京都で開催、 全国から約200人の参加を得た。 「協う」 本号では、 23日に行われた当研究所理事長・川口清史さん (立命館大学教授) の基調講演と、 引き続き行われたパネルディスカッションの模様を要約して報告する。
1---基調講演
1、 生協の事業モデルとしての共同購入
「これからの10年」 を論ずるにあたり、 私は生協を 「事業」 としてどう発展させるかという視点でとらえたい。
70~80年代の生協の発展における不可欠の要素は、 協同組合型事業として生協が独自のビジネスを確立したことにある。 独自のビジネスとは、 言うまでもなく共同購入であり、 さまざまな民間企業が、 共同購入に参入を図りながらも失敗し、 今なお生協の独壇場になっている最大の要因は 「組合員参加」 にあったことは否定できない。
共同購入は、 予約制・単品集中など、 それ自体効率の良いシステムであるが、 注文書を書き、 荷受けに集まって配分し持ち帰るという、 事業として含まれている一連の作業に、 組合員がボランタリーで参加していることが、 結局このシステムを支えている。 くわえて、 時給いくらの額が支払われていないということを超えて効率的だ。 すなわち、 商品の開発や取引業者との交流 (産直)、 商品の選定といったプロセスに組合員が参加することによって、 組合員が商品や生協の事業全体に対して高いロイヤリティーを示してきたこともまた、 大きな成功の要因なのである。
しかし、 ボランタリー・ワークは自然発生的なものではない。 ボランタリー・ワークを引き出すためには、 事業は組合員の願いや要求、 すなわちくらしのさまざまな課題を解決するものでなければならない。 この点共同購入は、 「安全・安心」 というくらしの課題を鮮明にし、 それを組合員自らが参加して解決するものであった。 くらしの課題の解決が組合員のボランタリーな参加を生み出し、 ボランタリーな参加をビジネスとして確立する…協同組合事業としてのこの流れを確認しておくことが必要だ。
2、 店舗の基本コンセプトを問い直す
翻って店舗は、 生協事業としてのビジネスモデルが確立されていないのではないかと考える。 事実、 数多くの生協で、 共同購入の黒字が店舗の赤字を埋めきれず、 厳しい経営危機に直面している。 不採算店舗を切り捨てて身軽になるというのも一つの選択肢ではあるが、 店舗は店舗としての新しい可能性を秘めている。 そこで 「これからの10年」 における店舗のあり方を、 協同組合事業としての視点から問うてみたい。
(1) 共同購入と店舗の違い
問題をクリアにするために、 共同購入と店舗は根本的に違うというところから整理してみたい。 共同購入は、 例えば 「安全安心の、 どこそこでできる商品を求める人、 集まれ」 という、 明快なコンセプトに賛同する意識的な消費者群、 あえて言えば〈自立した個人〉が協同しあう場である。 ところが、 地域にあって、 地域のすべての人を対象とする店舗は、 ある意味それと正反対の性格を持つ。 地域にいるのは〈目覚めた〉〈自立した〉消費者だけではない。 さまざまな生活スタイルがあり、 さまざまな関心があり、 さまざまな人々がいる。 そういう人々が共に住みあう場が地域である。
こう考えると、 この間の生協と地域を巡ってさまざまに語られてきたが、 生協と地域は矛盾するということが避けられてきたように思う。 最大の問題は、 店舗を共同購入の延長線上で考えてきたことにあった。
日生協の21世紀ビジョンでも、 「協同」 ということを 「自立した個人の協同」 と定義している。 30%の〈自立した〉消費者を結んで協同を実現するのが共同購入であった。 しかし地域とは、 協同以前に 「共生」 の場ではないか。 〈自立した〉人も、 そうでない人も、 互いの違いを認め合いながら共に暮らしていく、 これが地域だとするなら、 地域における店舗もまた、 共生の場でなければならないのではないか。
(2) 地域のくらしの課題を解決するセンターとしての店舗
従って店舗を考える上で問題になるのは、 その地域のくらしのニーズをしっかり見据えていくことだ。 競合状態の中で生協の店舗が優位性を持つためには、 協同組合、 あるいは生協としての特質を事業の中に具体化していかない限り絶対に勝てない。 すなわち、 生協の店舗は、 チェーンストア的に、 全国どこでも同じライフスタイルを押し付けるものであってはならない。 その地域に密着したくらしの課題を解決しうる事業がどう組み立てられ、 どう展開されるのかが非常に大きな問題だと思う。 それは商品の供給にとどまらず、 福祉や共済といった生協の各種事業も含めて、 地域のくらしの課題を統合的に解決していくセンターとしての店舗という位置付けが必要だ。
例えば、 コープ沖縄の店舗の成功の要因の一つは、 徹底した地域主義にある。 出店の前に 「店舗チーム」 を作り、 徹底して地域のニーズを掘り起こし、 それに応じた商品構成をした。 発注権限もパートの雇用の権限も、 すべて店舗にあるという、 地域主義を貫いている。
あるいは、 鹿児島国際大学の八尾信光さんは、 生協の利用高割戻しを地域通貨で行ってはどうかという、 ユニークな提言をしておられる (鹿児島国際大学経済学会 『鹿児島経済論集』 41巻3号、 2000年12月)。 例えば、 ボランティアに参加した人に 「通貨」 を支払う、 あるいはリサイクルのバザーを通貨で行う。 「通貨」 を手にした人は、 それで生協の商品が買える。 生協の商品事業を一つの中核にしながら、 地域のボランティア活動や環境を守る活動がうまくつながるのではないかというものだ。
ボランティアでなくてもいい。 日曜大工や家庭農園など、 さまざまなくらしの一こまが店舗を舞台に展開することで、 コミュニティーの交流が広がり、 生き生きしたコミュニティーの再生につながれば、 生協にとっても共同購入が開いたのとは異なる新しい地平が、 事業という点からも、 協同組合の社会的役割という点からも開けてくる。 店舗はその可能性を秘めている。
3、 店舗における労働の位置付け
(1) ボランタリー・ワークとしてのパート労働
店舗が協同組合事業としてやっていくためには、 共同購入と同様、 組合員のボランタリー・ワークをしっかり基礎に据えていかねばならない。 しかし、 店舗でのボランタリー・ワークは共同購入とは異なって、 ある種の有償労働として考えるべきだろう。 具体的には、 パート労働の位置付けである。 今、 多くの生協の店舗は、 組合員でもあるパートの労働によって支えられている。 実際その働きは、 正職員の仕事の単純な部分を低賃金で行うという領域を超えており、 多くのパート労働者は、 賃金のためだけでなく、 一つの働き甲斐のある場として生協に参加しているものと思われる。 従って、 現在の 「パート」 という位置付けを、 組合員のボランタリー・ワークとしてもっと積極的に位置付け、 可能な限り賃金や社会保障などの面での処遇もしていかねばならないと思う。
また、 組合員はコミュニティーの一員でもあり、 店舗はコミュニティーの雇用を実現する場ともなる。 そういう意味で店舗事業はますます、 コミュニティーのビジネスという性格を強めることになる。
(2) プロのビジネスマンとしての職員
では、 職員とは何なのか。 従来、 生協を含め協同組合全体の中で、 職員の位置付けは非常に弱いものだった。 生協の職員の労働の本質は、 組合員と共に働く、 協同しあうところにある。 ただ、 一緒に働くというだけではだめで、 協同をビジネスとして自立し確立するための技術や知識を備えなければならないのは当然だ。 そうでなければ事業として成り立ち得ない。
今、 職員の専門性が厳しく問われている。 例えば、 さまざまな事情で生協を離れざるを得ない職員が増えているが、 再就職にあたり、 生協で培ったキャリアをどう社会にアピールできるだろうか。 経理やマーケティングなどの分野において生協は決して業界のリーダーではない。 結局生協の職員のウリは、 組合員を組織し、 組合員のニーズをビジネスにしてきたというところではないか。 そのことが、 商品が売れない、 何を売っていいかわからないと言われる現在、 何より求められていることであり、 職員はそこを自らの専門性として位置付けなければならないはずだ。
そうした 「下からの流れ」 を、 かつてマイカルの故・小林会長はアマゾン川の逆流現象にたとえて 「ポロロッカ」 と表現した。 マイカルは挫折したが、 生協こそがその流れを実現できる本質的な機構構造を持っている。 そういう意味では決してビジネス的に競争力がないのではなく、 まさしく今の時期に求められる競争力を持っているはずだ。
地域の中にあって地域の人々のニーズを満たし、 地域の人々が参加できるような、 そうしたビジネスを確立する。 そこに生協の 「この10年」 の発展のステージがあるのではないかと考える。
(文責まとめ:田中 薫)
2---パネルディスカッション
基調講演を受けて、 4名のパネリストの方からの報告と、 それに対する質疑・応答が行われた。 ここではその中から、 「これからの10年をどう設計するか」 という基本テーマに関するパネリストからの報告と、 基調講演での店舗事業に関わる問題提起をめぐって行われた討論について、 そのエッセンスを紹介する。
1.これからの10年をどう設計するか
-パネリストの報告から-
川崎直巳さん (コープぎふ専務理事)
これからの10年がどうなるかと考えてみると、 一つには、 くらしに影響を与える環境変化の激しさが予想されるし、 二つには、 生産流通にかかわる世界規模での競争の急速な展開が予想される。 いわば、 人が人として快適に生きつづけることができるかどうかが厳しく問われる時代となるだろう。 このことをしっかりと認識した上でこれからのことを考える必要がある。
コープぎふでは、 具体的に生協としてどういう役割を果たしていくのかを考えようと、 半年くらい前に 「はばたけ21世紀 わたしのくらしアンケート」 という調査を行った。 8000件もの回答を得たが、 その中で印象的だったのは、 「何がふだんのくらしの中で大切か」 という問いに、 「家族が大切」 「家族の健康を大切にしたい」 という回答が大変多く寄せられたことだ。 私たちはこのことに正面から応えていかねばならないと思っている。 生協が何をすべきかを考える場合、 難しくいろいろなことを整理したり体系化したりする必要はない。 その答えは組合員の皆さんがすでに発信しておられるのだから、 それに対する答えを私たちは一つ一つ具体化していけばいいと思っている。
テーマにある 「これからの10年をどう設計するか」 ということだが、 もともと生協という組織は、 自分たちの要求する・考えることを自分たちでやろうということが出発点だし、 存在価値もそこにあったはずだ。 一番大切なのは、 組織とその構成員が、 自分たちがこういう風にやるということを自分たちの意志で決めて行動するというプロセスだろう。 それをいかに徹底的に実践し続けられるかが、 生協が存続し、 発展しつづけられるかどうかの分岐点になると思う。
実践的には、 当面は3つの課題を重視している。 すなわち、 (1)「商品の満足」、 つまり商品の開発力をしっかり作っていけるかどうか、 (2)「利用で満足」、 つまり組合員が生協を利用しつづけられるかどうか、 そして(3)「人で満足」、 つまり人と人とのコミュニケーションや心のゆとりを求める要求に生協がどう応えていけるのか、 ということだ。 目標の立て方やプロセスを重視するということと、 この3つの課題を具体化することが、 私が当面目指していることだ。
門脇馨さん (京都生協専務理事)
「10年先をどう設計するか」 というテーマだが、 率直に言えば、 設計図のレベルで10年先を見通すのは難しいと考えている。 むしろ、 日々の活動で直面する問題にどうぶつかって解決し、 何を発信していくかということが、 10年先につながっていくのではないだろうか。
このように言うのは、 実は1990年に、 10年の長期計画として 「21世紀ビジョン」 というものをまとめたが、 そのことの反省があるからだ。 ビジョンや長期計画を組むためには、 その前提となる社会や経済の状況や自分たちの主体的な力量をどう認識するのかということが非常に重要で、 ここがずれるとその後の計画がとんでもないものになりかねない。 当時はバブルがピークを迎える直前で、 誰も共同購入が減るとは考えていなかった。 その見方を払拭するにはかなりの期間が必要だった。
長期計画の状況認識を明確に変えることになったのが、 98年にスタートした第3次中期計画だ。 バブル崩壊後なお数年を要して、 右肩上がりは前提にできない、 成長ゼロもしくは下がることを前提にすべてを考えようというところに、 ようやくたどり着いた。 そしてこの3か年の実践で組合員に店舗の閉店も含めて理解を求め、 職員にも賃金や早期退職などの制度を実施してきた。 そうしたことを通じてやっと 「攻め」 について議論できる段階に入った。
その意味では、 長期計画というレベルの設計図を描くのは難しいが、 しかし、 どういう願いを大事にしていくかということについては議論をしてきた。 その一つは、 「一歩先のくらしの安心」 ということだ。 食の分野をとってみても新たな問題が発生しているし、 くらしの安全を求めていくという生協の役割はいささかも小さくなっていないと思う。 二つめは 「一人ひとりのくらしと地域社会」 ということだ。 経済のグローバル化のもとで、 地域の商品や伝統やくらしが破壊されつつあるが、 地域がはぐくんできたものが今日存在するということの意味を大切にすべきだと思う。 三つめは 「協同の価値」 ということだ。 いろいろな側面があるが、 まず組合員と職員との関係がしっかりしていないとだめだ。 組合員組織と職員組織が力を合わせて、 いろいろな問題に当たって解決していくという状況になりきれているのか。 そのことを真摯に追求していくことが、 いま求められていると思う。
池晶平さん (おおさかパルコープ専務理事)
川口先生は 「失われた10年」 と言われたが、 このバブル崩壊後の10年にどんなことをしてきたかをはっきりさせなければ、 これからの10年は設計できないと思う。
かわち、 みなみ、 しろきたの市民生協が合併してパルコープが誕生したのが91年だが、 当時はバブルの余韻も残っており、 各生協とも鼻息が荒く、 一つにまとまるのは難しかった。 合併して大きくはなったが、 それを支える経済基盤が弱く、 とにかく当初は経営優先路線をとった。 業績主義に徹して店舗閉鎖などを行ったが、 その結果、 組合員組織に大混乱が生じた。 組合員が手作りで育ててきた生協が、 合併によってひどいものになったという強い怒りが、 地域別懇談会や総代会で噴出した。
そこで、 96年から2000年にかけて、 再度原点に帰ろうと 「現場主導」 「組合員第一主義」 を掲げた。 今ではどこでも言っている使い古しの言葉だが、 問題はそのことを本当に組織が実行できているかどうかだ。 現場は上からの指示に慣らされていて、 創造力や判断力がない。 そういう意味で時間はかかるし、 今もそれをやっている途中だ。
この10年の到達としては、 第一に、 合併当初に比べて事業収益構造が改善したこと、 第二に、 組織風土改革へのとりくみがあげられるだろう。 個々の人材がいくら良くても、 組織風土が良くなければ、 いい種もちゃんと育たない。 「現場主導型経営」 「組合員第一主義」 を、 組織風土として確立することを目標にしてきた。
その上で、 「これからの10年をどう設計するか」 ということだが、 店舗事業の赤字と、 大阪の事業連帯の弱さといった90年代の 「負の遺産」 の克服を前提とすると、 考えるべきは次のような点だろう。 一つは、 情勢をどう見るかということだ。 日本経済全体の景気動向に、 生協の事業や運動はある程度規定されるからだ。 二つ目は、 商品はどう変化するかということだ。 安心・安全、 環境に配慮した商品、 産直交流などが他の量販店にも広がっているし、 一方で、 食のグローバル化が急速に進んでいる。 その中で、 生協の本線である本当の意味での産直を再度見直さなければならない。 三つ目は、 高齢化社会の到来に向けて、 生協がどう対応していくのかということだ。
いずれにせよ大阪の場合、 パルコープが単独でこうだということにはならない。 市民生協全体の連携がある。 さらなる連携と統一に向けて、 この10年の設計を考えていきたい。
田中秀樹さん (研究所研究委員、 広島大学)
私は、 急速に生協運動が発展した背景には、 消費社会の急速な発展があったと考えている。 消費が普遍化していくなかで、 商品の質と価格を巡って社会的な対決点が生まれ、 また、 都市化が進んで、 地域住民の生活をどう作るかということが問われた。 市民型生協運動とは、 商品を巡って結集した消費者運動であり、 地域生活の協同運動であったと思う。
1980年代後半を 「現代」 とするなら、 現段階は明らかに構造が変わったと見るべきだろう。 一つには、 消費社会が一段と拡大、 進化し、 自立というより孤立といった方がいいほど消費者がバラバラになりつつある。 もう一つには、 福祉国家が市場主義のもとで解体、 再編されつつあり、 社会の中に 「競争」 という面がかなり浸透してきている。
そのもとで、 社会的な結集軸はかつての商品から変化しつつある。 第一には、 「生きにくさ」 という言葉がキーワードだ。 我々の社会は生きにくいものになりつつあり、 その中で協同の関係も衰退して、 協同への願いや自分探しの旅を始める人が増えている。 しかし、 孤立した姿勢からは自分が見えてこず、 いろいろな生き方・出来事・人に出会う中で自分が見えてくる。 つまりこれは 「協同」 だと思う。 「生きにくさ」 という言葉を巡って、 逆に 「協同」 という結集軸が強まってきており、 「協同」 を探す人たちが増えているのではないか。 第二には、 高度経済成長期の都市化や近代的な効率化への反省が表れている。 「地産池消」 とか 「スローフード・ライフを送ろう」 といったことが提起され、 農業や自然や生命的な価値の復権といった動きが強まっている。 第三には、 川口先生の提起にもあったが、 働き方への反省が強まっている。 「働き方」 「生きがい」 「職人」 という言葉がキーワードになってきている。
つまり、 現在の社会的結集軸は、 「協同」 と 「労働」 ではないかと思う。 他人との関係を深める中で、 自分がどういう役割を発揮するのかが見えてくるような 「協同」 のあり方、 自分自身を自己実現しながら、 自分を豊かにするような 「労働」 のあり方が、 一つの結集軸になりつつある。 商品は必ずしも結集軸でないと言うわけではないが、 少し時代が変わって、 協同のあり方も、 結集軸も変わってきている。 領域的には 「地域作り」 ということが協同、 あるいは結集軸の中での具体的な目標になってきているのではないか。
この10年は、 地域作りと協同運動の生協への助走期ではないかと思っている。 商品を位置付けることは大切だと思うが、 やはりくらし作り、 くらしに寄り添うことが大事だろう。 キーワードは 「共感」 という言葉だ。 「組合員の声を心で聴く」 という言葉があるが、 生きにくい社会なので、 生きにくさやくらしに共感しながら仕事をすることが大切だろう。
2.店舗事業をめぐって-基調講演をうけて
○店舗事業には何が必要か
川崎:コープぎふにとって店舗事業は 「挑戦課題」 と位置づけているが、 成功のためには是正しなければならないことが3つある。 一つは、 川口先生と意見は違うのだが、 組合員の皆さんと一緒に作り、 一緒に進めなければならないということだ。 先生は 「自立した人」 が共同購入に参加していると言われたが、 私は地域に住んでいる人は皆、 自立していると思う。 共同購入に参加している人と合わせて、 彼らの要求に応えていけるかどうかが、 店舗事業を成功できるかどうかの一つのポイントだろう。 もう一つは、 プロとしての職員集団の役割を高めること。 そして最後は、 コストの問題だ。 人件費が極端な例だが、 当時、 共同購入で作った労働条件、 賃金のレベルをそのまま店舗にも適用し、 業界から見れば相当高いレベルになっていた。 店舗事業で生み出せる剰余の中で、 実力相応の対応をしていかない限り、 店舗は成功しないのではないかと思っている。
門脇:店舗事業にはいくつかの問題があるが、 一つは、 川口先生の言われたように、 店舗という業態が、 組合員や地域にとってどういう意味を持っているのか、 鮮明にしきれていなかったことだ。 やはり共同購入の延長線で店をとらえる傾向が強く、 店舗事業独自の要素の追求は不十分だったと思う。 二つめは、 ローコスト運営という観点の弱さだ。 組合員施設を含めて考えるとやはり大変な過剰投資だったと言わざるを得ないし、 川崎さんも指摘されたが、 人件費にしても、 共同購入の体系をそのまま店舗に適用し、 その妥当性を顧みることはなかった。 最終的にはともかく共同購入でカバーできているという経営判断の甘さもあって、 店舗事業だけ取り出したときのローコスト運営はあいまいになっていたと思う。
○地域・コミュニティにおける店舗の役割
田中:川口先生の言われるコミュニティ・ビジネスということには賛成だし共感するが、 コミュニティ・ビジネスということと、 店舗ということには少し距離があるのではないか。 コミュニティの方が店舗より広いので、 店舗という視点から地域を見ても、 コミュニティ・ビジネスということろには行かないのではないかと思う。 それから、 店舗をパートや専門職も含めた働き方の出会う場と位置づけておられたが、 最近、 産直市や直売所というものが大変元気になってきている。 いろいろな農産物を持ち寄って交流できる場、 すなわち 「食と交流の拠点」 として、 店舗自体を位置付けることもできるのではないか。
池:最近、 量販店は 「楽しく買い物をしたい」 「憩いと安らぎが欲しい」 「驚くような発見がしたい」 など、 アメニティを重視した店作りをされているが、 生協の場合は、 限られた資源のなかで店舗の位置付けを考えていかねばならない。 その点で、 パルコープでは 「ハートのある店作り」 ということに取り組んでいる。 手話のできる人が一定の曜日に常駐している、 車椅子の人が来店するというような情報を地域のネットワークで伝えるといった試みだ。 このように、 生協で身近にネットワークを使ってできることを店の中でシステム化していくことで、 地域のコミュニケーションの場として店舗を位置付けることができるのではないか。
3---川口さんによる討論のまとめ
今日の私の報告では、 あえて共同購入と店舗は違うということを前面に出して問題提起をした。 結果として両者の協力関係や同一性などがでてくることはあるだろうが、 方法的には一旦、 両者は違うとした上で、 どう違うのか、 どういう点に新しさがあるのかということを、 ぜひ一度検討してみていただきたい。
私が今日提起したのは、 生協運動の新しいステージを店舗で作り出す、 そういう意味での挑戦と考えてほしいということであり、 それは地域作りやコミュニティ・ソリューションを生協が担うという形ではないかということだ。 これまで、 「安全・安心」 が生協の大きなキーワードであり、 共同購入はそれを鮮明に打ち出してきたが、 私はあえて店舗も 「安全・安心」 でいいのだろうかと問いたい。 それに代わる、 例えば 「信頼」 など、 店舗事業の根幹になるようなキーワードを探してほしい。
池さんから 「生協は限られた資源」 という話があったが、 たしかに生協ができることというのは非常に限られている。 生協で全てを解決するということではなく、 地域の問題を解決するために、 いろいろな力をつなげていく、 そのネットワークの一端を生協が担っていくという発想も求められるだろう。
マーケティングの世界で 「ストーリーマーケティング」 という言葉があるが、 商品には品質や価格だけでなく物語性というものが必要だ。 共同購入にはそういった物語が豊富にあるが、 店舗ではどうだろうか。 店舗でも物語を作らなければならないし、 私はそれは地域作り、 くらし作りの物語だろうと思う。 協同組合として協同をお互いに確認しあうような物語を広げることが、 田中さんの言われた 「共感」 とも関わるが、 豊かな地域、 豊かなくらしと生協の発展につながっていくのではないかと思う。
(文責まとめ:豊福裕二)
前のページへ戻る