2001年4月号
コロキウム
福祉に関する組合員活動の展開
---1980年代以降における日本生協連の政策の変化に着目して---
立命館大学大学院政策科学研究科 博士課程
(財)生協総合研究所 研究員
山口 浩平
1.はじめに
本稿の課題は、1980年代以降に特に着目し、生協において福祉に関する組合員活動がどのように展開されて来たかを検証し、今後の福祉活動に求められることを整理することにある。ここでは「日本生協連総会議案書」の各年度版に注目し、そこに見られる福祉に関する組合員活動の方針の変遷を検討する。
結論から先に述べるなら、1980年以降の組合員活動は次の3つの段階に大別できる;Ⅰ.抵抗期(1982年まで):老人医療費の有料化等の社会保障費用増大に対しての反対運動を組織的に行っていた時期、Ⅱ.実践期(1983~1989年まで):灘神戸生協(現:コープこうべ)をはじめとして、いくつかの生協で「くらしの助け合いの会」が設立され、実際の「サービス提供」に踏み込んだ時期、Ⅲ.収斂・(数的)拡大期(1990以降):いくつか絞り込まれた実践をより多くの生協に広め、数的に拡大を志向する時期。
公的介護保険制度の導入に伴い、26都道府県で41生協(2000年8月末現在)がその指定事業者となっていることもあり、当然のことながら活動との対比・連結という意味での「福祉事業」を論じることも必要なことであろう。本稿では紙幅の関係もあり、これについての論考は今後の検討課題としたい。また、地域生協の介護保険事業についてのデータは、成田(2000)を参照して頂きたい。
2.生協と福祉活動に関する先行資料・研究
2-1.厚生省に設けられた研究会等
本稿での論考を進める前に、特に1980年代後半に活発化した、「生協と福祉」に関する先行する資料や、近年の研究動向をまとめてみたい。まずは、主に厚生省(当時)での検討をみていく。厚生大臣の要請により参集された「生協のあり方に関する懇談会」(座長:宮崎勇)による1986年の報告書は、生協の事業量の拡大に鑑みた生協法の見直しを主眼としたものではあるが、購買事業を中心としつつも、組合員の意志に基づき高齢者のための福祉活動など「幅広い生活文化活動の展開」に対する期待が述べられている。また1989年には「生協による福祉サービスのあり方に関する研究会」(主任:京極高宣)が設けられ、その報告書では、福祉サービスの供給システムを類型化し、公的福祉・市場的福祉と対置しつつ重なるものとして「自発的福祉サービス供給システム」を位置づけ、具体的にはボランティアの組織化、利用事業としての家事援助の制度化、介護商品の供給、共済事業、福祉相談機能の充実、を格別に配慮して取り組む領域として提言している。1998年には「生協のあり方検討会」(座長:野尻武敏)が設けられ、特に公的介護保険制度導入に当たって生協への(サービス提供という観点での)期待、およびそのための員外利用一部容認などが位置づけられている。
2-2.日本生協連の対応
これに対して、日本生協連の側では、1986年以降「福祉・助け合い活動交流会」を開催するとともに、1988年生活問題研究所によって実施された「生協組合員のくらしと意識調査」などによる、組合員の福祉活動への要求がまとめられている。同年、第4次全国中期計画による提起を基に、総合指導本部担当常務理事の私的諮問機関として設置された「生協福祉研究会」(助言者:岩田正美)は、生協の助け合い・福祉活動の位置づけとして、購買のみならず生活のあらゆる局面での協同・生活の自立・地域社会作りを目指すこと、国や自治体の肩代わりではなく社会保障制度の充実を求める運動と結合すること、生協の組織・事業・商品のあり方を見直し生協運動の社会的役割を高めること、の三点を強調している。また、組合員活動として課題の整理や、福祉サービス事業への展開を検討することも提起している。その後理論的な整理としては、(財)生協総合研究所が設置した「生活協同組合による福祉活動に関する調査研究委員会」(主査:庄司洋子)が、活動実施状況、ヒアリング、組合員意識の観点から検討を進めた。さらに、1990年総会においては「福祉」を重点テーマとして掲げ、1992年には「生協の福祉活動の現状と課題:ゆたかな地域福祉を目指して」を理事会で決定し、会員生協における福祉の取り組みを促進してきた。この中では、ゆたかな福祉のあるまちづくり、生活福祉の視点にたつ活動、自立と協同を中心にすえた活動、事業運営上の福祉を欠かさない、の4つの視点を提起した。公的介護保険制度の導入が議論される中、1996年には「高齢者介護問題研究会」(座長:一番ヶ瀬康子)が設置され、「社会福祉」における生協の役割を、助け合いの精神に基づいた広義の福祉理念を実現する組織であり、公的・民間福祉サービスの充足できない分野に生協の独自の領域があり、活動・事業とも多元的に行うこと、であるとしている。そして、介護保険の導入が決定された後、専務理事の諮問機関として「生協・福祉政策検討委員会」が発足し、1998年答申を行った。この中では、組合員活動しての助け合い活動の強化、ホームヘルプを機軸とした介護保険内での事業の推進、が政策として位置づけられている。
2-3.近年の生協の福祉研究
ここまで厚生省・日本生協連の研究会等の動きを追ってきたが、それらの枠にとどまらない実践に着目した、いくつかの研究が行われている。例えばくらしと協同の研究所では、「福祉プロジェクト(2000年度からは福祉研究会)」を設置し、各地の実践を様々な形で調査し、蓄積してきている。この研究会の視点は、必ずしも制度に拘泥せず、地域にくらす人々の視点から事業・活動を構築すべきである、というものであった。おそらく、介護保険制度が定着と言わずとも、その意義と限界が整理されつつある現在において、その成果は意味を成して来るであろうし、今後の研究に期待したい。また著者は、同研究所の「生協調査研究会」(座長:的場信樹)の一員として、2000年度にいくつかの地域生協への訪問調査を行い、その結果からの考察を、山口(2001)としてまとめる予定なので参照されたい。
3.日本生協連総会議案書に見る組合員活動の変遷
ここでは、1980年代以降の生協の福祉に関する取り組みを、3つの歴史区分を設けて検討していく。その際、「日本生活協同組合連合会総会議案書」をその検討材料とすることから、日本生協連が近年において福祉に関する組合員活動領域において果たしてきた役割について、一言しておく。それを端的に言うなら、「地域生協によって実践された先進的で優れた活動を、セミナー・活動交流集会等によって全国に普及させること」であろう。例えば、2000年度の「コープくらしの助け合いの会全国ネットワーク:第5回全体会」においては、従来までおおむね高齢者の生活支援活動をしてきた「くらしの助け合いの会」の中で、近年エフコープ、いわて生協、生協ひろしま等で子育ての支援活動が活発になりつつある点をふまえ、この活動の交流および学習を主眼としていた。これは、生活協同組合(特に地域生協)のナショナル・センターとしての日本生協連の役割を考察する上で重要な視点であろう。地域生協が活動の開発機能を担い、日本生協連が情報収集・集積とその普及・交流機能を担う、という流れは一つのモデルとして、ある重要な役割を担っているであろう。これとともに、日本生協連が大方針である福祉政策を策定し、それを会員生協が受け止めて中長期計画としての福祉政策を策定し、実行へ移すという福祉活動における一つの流れが発生したことも指摘しておきたい---(注1)。
以下、前述の3つの区分に従って検討を進めていく。また、総会議案書に関する引用は、(1970総会:pp35-75)のように表記する。
3-1.~1982:「抵抗・要望型」の運動形態
まず、第1期は、もっぱら社会保障の切り捨てと呼ばれる状況、特に1980年の臨時行政調査会の設置以降における新保守主義的な政策――例えば1981年の老人医療費無料制度の廃止――に対抗することをその原動力にしていた。例えば(1981総会:p25)では「…福祉切り下げ政策についての大衆的学習とキャンペーン活動を強める」「…老人医療費の有料化に反対し、…総合的な社会保障制度を充実させる運動を強める」などのように、組合員のくらしの危機に対し、団結して抵抗する、という主張が見受けられる。ただし、ここでの主張はいわゆる「老人問題」にとどまらず、組合員の家計という観点から、その負担増への抵抗が主眼となっている。
3-2.1983~1989:「実践」への展開
第2期では、1983年に灘神戸生協(現:コープこうべ)において「くらしの助け合いの会」が設立されたことが起点となっている。これ以外にも、やはり灘神戸生協でユニセフ募金を行ったり、視力障害を持つ組合員のための注文用紙の朗読など、第1期の抵抗型とは明らかに異なった運動形態が生まれている。これは例えば、先述の老人医療費無料制度廃止にも関わるが、1983年2月に施行された老人保健法において、高齢者への訪問介護などの施策が拡充したことや、有料家庭奉仕員要綱が指示されたこととも関連があるだろう。
灘神戸生協の経験を受けて、「…身障者や寝たきり老人など福祉の実態を学び合い、住民同士の助け合いとしてボランティア活動への取り組みをすすめる」(1984総会:p40)、「…寝たきり老人や身障者など社会的弱者と地域の福祉の実態を学び合い、住民同士の助け合いとしてボランティア活動への取り組みをすすめる。組合員同士の助け合いとして有償福祉のあり方なども検討し、生協らしい取り組みについて交流する」(1985総会:p43)などの文言が見受けられる。この時期、事業の拡大路線に伴い生協規制への動きがあり、それに対してこれらの活動が「生協の社会的役割」と結びついて語られることが多いことにも着目すべきであろう。
3-3.1990~:「収斂・普及型」へ
第3期は、生協の福祉活動が「助け合いの会」および「お食事会」に収斂するとともに、それらに取り組む生協が大幅に拡大した時期である。
1990年度総会の第5号議案において、第5次全国中期計画案が提起された。その中での重点課題として、「(この3年間で進めること)…2.福祉・助け合い活動の全国交流のノウハウ交流を進め、制度として取り組む生協の倍増をはかり、参加する組合員の拡大をはかる」(1990総会:別冊p36)、という提起がなされた。この後も「…「くらしの助け合いの会」と「お食事会」に取り組む生協をさらに広げ、参加者の拡大を進める…」(1992総会:p17)、「厨房付き集会室等、施設的条件のある全ての地域で、高齢者を対象にした『お食事会』の定期開催を定着させる。『福祉・助け合いの会』の会員を飛躍的に拡大し、活動エリアを生協の展開する全地域に広げる(傍点引用者)」(1993総会:p27)などの文言に見られるとおり、「広げる」ことを重点化した政策が採られている。なお、助け合いの会の会員数・活動時間数を1990年度と1999年度で比較すると、会員数:4458人→56437人、年間活動時間:61638時間→1217725時間、となっている---(注2)。
3-4.各時代の意義と限界
福祉に関しての組合員活動を三つの区分で概括してきたが、ここではそれぞれの意義と限界についていくつか整理しておきたい。まず「抵抗・要望型」に関しては、「家計簿」活動などと併せて消費者の組織として、物価高騰などから家計を守ることを主眼とした運動であり、生活防衛手段としての生協の役割が浮かび上がる。「消費者が地域社会のなかで連帯を発展させていく場として生協の果たす役割は重要…平和とくらしを守る運動の拠点として…組合員全員の参加の下に大学習運動を展開し…世論を積極的に先導していくようにする。…」(1981総会:p24)などの文言にも現れているとおり、学習を基に「賢い」消費者であろうという主張が見受けられる。
次に「実践型」の時期は、時代背景として「日本型福祉社会論」全盛期であり、いわゆる「含み資産」としての家族力・女性の無償労働を前提とした在宅福祉重視の政策設計がなされていたことを、やや詳しく説明しておく必要があろう。この時期、森川(1999)の指摘するように、「家庭奉仕員=専門職としての介護者」が「介護人=地域住民による非専門的援助」の登場により、「家庭の主婦による無償の家事労働」の延長線上に捉えられつつあった。さらに中央社会福祉審議会による「当面の在宅老人福祉対策のあり方について(意見具申)」(1981.12)では、有料性の導入、ボランティアへの期待、家庭奉仕員の勤務形態として「パート・フレックス制」の導入、がうたわれた。家庭奉仕員の人数が、1981年以降大幅な増員が図られたこと、同時に1982年に「介護人派遣事業」の廃止により、「社会的行為としての在宅介護は『主婦役割』化・『大衆役割』化」(森川op.citp38)したのである。
この点を考慮に入れるなら、少なくとも1983年当時は「主婦の・大衆的な」組織であった生協が、有償のボランティアとして期待されたであろうことは想像に難くない。ただしその活動の実績を積み重ねることによって、組合員のくらしが見えてきた、という報告がいくつかなされていることも見ておく必要があろう。例えば福祉たすけあい活動交流会での大分県民生協のコーディネーターの発言の中では「…(地域的にほとんどの家に庭があるので)その伸び放題の庭の草の悩みのようなことを糸口に入ったわけです。そうして何回か訪れるうちに、知り合い、友だちになりということで、例えば畳替えをするのに人手が要るからといってそのお手伝いをするというようなことで深まっていったわけです…」「…(一人暮らしの高齢者が)自分の身の回りはなんとかするけれども、季節の変わり目の衣類の入れ替えとか、細かいところのお掃除とか…買い物の手伝いなどさまざまの活動がございます…」「…犬小屋をつくってくれませんかとか、押入を洋服ダンスのようにしたいので芯棒を通してくれませんか(などの利用者からの要望が)でてきました…」(日本生協連組織指導本部、1986)。このことは、抵抗型、あるいは生活防衛からは明らかにならない実態としての組合員のくらしや要望を、組合員同士の新たな関わり合いの中から知ることができた、という意味で意義として評価しうるであろう。
それに続いての「収斂・普及型」については、日本生協連が先進生協の取り組みを集約し、媒介して(比較的)後進の生協に伝え、より多くの生協が、同質的な取り組みを進めた、と理解できる。これは、ただし、先に問題意識の章でも指摘したことだが、くらしの助け合いの会が、「くらし」という広範でかつ個別化した用語を背負っている以上、例えば地域特性、もっと言えばその一つ一つの世帯が抱えている、まとめ上げることのできない固有の不安や援助の必要性を丹念に受け止めることでしか成立しえないであろうし、それは供給組織の側がリスト化して業務範囲を限ることでは達成されない。個々の援助場面において感じ取られたそれらのニーズが、集約し→(一般化し)→普及するというプロセスの中で、どれだけその個別性が認識された形で伝えられているかという点においては、疑問が残る。
4.まとめにかえて
本稿での議論は、生協運動としての相応しさ、という観点ではない。むしろ、生協と、組合員である以前に生活を営む個人との関係において、どういった関係性が築き上げられるかという問題提起である。
ここまでの主張をまとめるならば、まず、1980年代以降の福祉に関する組合員活動は、抵抗から実践への大きな方向転換と、その拡大という流れを持っていたと言える。組織規模の拡大と共に社会的な影響力を発揮したことは意義として重要だが、ただし、その過程で活動の枠がある程度確定され、それぞれのプログラムに組合員が「参加する」という活動の収斂化が起こったこともまた事実であろう。その収斂化に対し改めて、組合員という以前にある特定の地域に居住し、生活する個人がどのような営みをしているかをもう一度知り、生協に関わることで組合員がどのように生活不安を解消し・力を得るのか、という観点からの福祉活動、ひいては生協のあり方を捉え直すことが求められるのではないだろうか。
【注】
- 1)例えば、「…全国生協の課題:(2)福祉活動の拡大と事業対応の促進…各生協ごとに福祉政策を確立し、常勤担当者を配置する」(1993総会:p27)などは、明らかに1992年10月に策定された福祉政策(日本生協連1992)をもとにした言及である。
- 2)出典:日本生協連(http://www.co-op.or.jp/jccu/kurashi/fukushi/index.htm)。1998年度活動時間が大幅に伸びているのは、東京マイコープ、神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会およびグリーンコープ福祉連帯基金と連携しているワーカーズ・コレクティブ等の活動を新たに加えたため。
【参考文献】
- 朝倉美江(1999)「コープこうべの組合員活動の歴史とくらしの助け合い活動」『東洋大学大学院紀要』第36集
- くらしと協同の研究所(2000)『介護保険をこえて、質の高い福祉を創る:生活協同組合が福祉に関わる必要性について(福祉プロジェクト報告書)』通巻28号
- 森川美絵(1999)「在宅介護労働の制度化過程」『大原社会問題研究所雑誌』486号、法政大学大原社会問題研究所
- 成田直志(2000)「地域生協の介護保険事業:現状と課題」『生活協同組合研究』vol.299、生協総合研究所
- 日本生協連組織指導本部(1986)『1986年版第1回福祉たすけあい活動交流会報告集』
- 生協福祉研究会編(1989)『協同による地域福祉のニューパワー:生協と福祉活動』ぎょうせい
- 生協総合研究所(1991)『生活協同組合による福祉活動に関する調査研究事業報告』
- 山口浩平(2001)「生協の福祉活動の展開:1980年代以降を中心にして」『生活協同組合研究』Vol.304、生協総合研究所
山口 浩平(やまぐち こうへい)
1977年生まれ。専門は社会福祉学・組織論。立命館大学大学院政策科学研究科修了。政策科学修士。
前のページへ戻る