2001年2月号
視角
コーポラティヴ・ソリューション---21世紀協同組合のキーワード
立命館大学教授・当研究所理事長
川口清史
インドNGO訪問で見てきたこと
昨年の夏、学生24人を引き連れて、2度目のインドNGO調査に行きました。ムンバイ(旧ボンベイ)からゴア、マンガロール、ケララ州のコッタヤムとアラビア海沿岸を12日間の日程で走破しました。多くのNGO、協同組合を訪問しましたが、その中でも特に印象に残ったのがムンバイの女性協同組合とNGOです。
アンナ・プルナ・マヒラ女性協同組合は、インド社会で厳しい環境に置かれている女性の中でとりわけ厳しい状況にある離婚女性、ローティーンでの強制結婚、売春婦の娘といった人々のシェルターとなり、裁判を支援するとともに、それらの女性の経済的自立を助けて、銀行借り入れの保証等の起業支援を行っています。また自ら事業を起こせない女性たちによるランチデリバリー事業を展開し、著名な外資企業を含め1万食供給しています。今組合員は20万人を超えているとのこと。政府からは一切補助金をもらわず、すべて自前でやっています。指導者のプラオさんは、日本でのユニセフのシンポジュウムで、「寄付ではなく、私たちにお金を貸してください。必ずお返しします。」と語っておられます。
ストリ・ムクティ・サンガターナという女性NGOが今取り組んでいるプログラムは、ごみ拾いを生業としている最下層カースト女性の自立支援です。インドではごみはもちろん分別されませんし、焼却もされません。市内から集められたごみは湿地帯のごみ捨て場に山のように積み上げられ、そのごみ捨て場の周りにびっしりとスラムが張り付いています。女性たちはパッカー車が来るとごみの中に少しでも金目の物を得ようと群がります。それでも彼女たちの稼ぐお金は1日10ルピー(25円)程度です。このNGOはこうした女性たちを組織し、字を教え、衛生教育をし、貯蓄グループを作らせる一方、生ごみの堆肥化とそれを利用した園芸事業を始め、経済的基盤の確立を目指しています。最終的にはこの組織を協同組合化し、この女性たちの自立化を図ることが目標といいます。
コーポラティヴ・ソリューション
この話の中から、私は「コーポラティヴ・ソリューション」という言葉がパッと浮かびました。これはもちろん「コミュニティ・ソリューション」からの連想です。IT技術による問題解決という意味で、ソリューションという言葉が流行語になっていますが、グローバリゼーションに対抗してコミュニティレベルでこそ問題解決がなされるという主張です。
もちろんコミュニティ・ソリューションは大事ですが、それを誰がどのように担うのでしょう。日本での今の期待はNPOです。NPOもその一翼であることは確かです。しかし、日本のNPOはまだ生まれたばかりですし、きわめて多様でもあり、正直、まだ海のものとも山のものとも、といった段階でしょう。NPOへの期待は第一義的にはボランティアへの期待といえるでしょう。問題解決のためには市民の自発的参加が何よりもの基盤であることは確かです。しかしまた同時にボランティアだけでは問題が解決できないことも徐々に明らかになってきています。最近では市民起業、あるいは社会的起業が注目されています。市民による社会問題の事業的な解決ということです。ボランタリーな参加を基盤に事業的に問題解決しようとする組織形態といえば協同組合にほかなりません。
協同組合的という場合、ともすれば一人1票制度といった意思決定システムに目が行きがちですが、インドの例から重要なことは、解決すべき問題を抱える人々の自助組織、セルフヘルプグループと専門的、資金的支援を行うNGOとの協同です。NPOの議論では、しばしば公共性、アルチュリズム(愛他主義)、フィランソロピー、ボランティアが重視されます。他方協同組合では自助、民主主義の重要性が語られてきました。日本生協連の21世紀ビジョンは「自立した市民の協同」を語ります。ここで問題は誰もが自立でき、自律しているわけではない、ということです。問題を抱えていても、いや抱えているからこそ自立し得ない人もいれば、自分自身は問題はないが社会的な問題として解決する必要があり、そこに参加する意欲も力も持っている人、さまざまでしょう。「協同」というと、私たちは同じ立場の同じ特性を持った人々の協同をイメージしがちです。しかし大事なことは違った個性、違った経験、能力を持つ多様な人の協同ではないでしょうか。
多様な人々が協同する組織形態として最近ヨーロッパで議論されているのが、マルチプル・ステイクホルダー・コーポラティヴです。生協や農協のように、単一の階層が組織される協同組合ではなく、多様な人々が参加する協同組合です。NGO+セルフヘルプグループとしての協同組合もその一種と見ることができるでしょう。インドで語られる協同組合は大半は働く人々の協同組合、いわゆるワーカーズ・コープです。しかし、それをワーカーズだけの協同組合と見ると事態を見誤るように思えます。実際にはワーカー以外の専門家やボランティアによって支えられているからです。イタリアの社会的協同組合が社会問題を解決する協同組合であるように、その目的やミッションを協同組合の名称とするべきではないかと思います。
日本の生協が21世紀を展望するとき、第1に考えなければならないのは、協同組合として何を解決しようとするか、ということでしょうし、また協同組合としてどのような人々に担われ、これらの人々がどのような関係性を持ち合うか、ということが確かめられなければならないと思います。
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