2001年2月号
コロキウム


釜ヶ崎を通して自分をみつめる

日本福音ルーテル教会釜ヶ崎委員会
委員長 高田 敏尚


1. 寒空の下で野宿せざるをえない人たち

大阪の環状線「新今宮駅」南側、約0.62平方キロの地域に約4万人の人々が住み、うち約3万人が建築、土木を主とした日雇い労働に従事しています。日雇いですから、景気の影響を真っ先に受けるのもこの地域の人たちで、バブル崩壊後の不況の影響は深刻です。仕事にあぶれた人は、この地域に多い1泊800円とか1200円の簡易宿泊所にも泊まれず野宿を余儀なくされています。野宿生活者は釜ヶ崎周辺で約2千人、大阪市全体では1万人を超えると言われています。最近は、「仮設一時避難所」の建設をめぐって大阪市と、地域の人たちや野宿者が対立している長居公園や、大阪城周辺もテント暮らしの人が多くなってきました。また、私が住んでいる京都市でも鴨川にかかる橋の下の居住者がめだって増えてきています。そして、野宿をせざるをえない労働者の多くが高齢者や障害者、また病気がちな人というように、社会的に弱い立場の人に、そのしわよせが現れてきています。

2.「喜望の家」のはじまり

この釜ヶ崎で労働者の生活や健康を守り、相談や支援を続けているいくつかのキリスト教の団体があります。ルター系のプロテスタント教会である日本福音ルーテル教会も「喜望の家」という活動場所を与えられ奉仕活動を続けています。この施設の設立に忘れてはならない人がいます。エリザベス・ストロームというドイツ人の女性です。1953年に初めて来日し、売春婦の社会復帰を助ける宣教団体で働いていました。ドイツと違い「ひも」と呼ばれる男性の支配のもとにおかれ、組織として関わっている売春婦はなかなか社会復帰ができず、この仕事に限界を感じていた頃、釜ヶ崎との出会いがあったのです。日本で働きたい、できるだけ陰の部分で働きたいと考えていた時です。キリスト教会には「ディアコニー」という言葉があります。これは、愛の行為、窮状のおりの介助(支援)という意味ですが、この「ディアコニー」は「陰の部分で始めないとうその仕事になる」と彼女は心の中で感じていたのです。そういう思いで1人で釜ヶ崎にきたのが1964年、ドイツや日本の教会の支援を得て、この地域に家を買ってベビーシッターを始めたのが、ここでの活動の始まりでした。日本人でもまだ多くの人が、「恐ろしい、こわい所」と思っていたころです。

1人の外国人の女性が種をまいた運動は、人々の共鳴をよび大きく成長していきました。子どもの世話からはじまり、労働者への炊き出しなどの奉仕活動に取り組んでいるうちに、ここでの大きな問題はアルコール依存症ではないかと思い始めました。これは、ドイツでも大きな問題となっていましたが、日本では「酒をやめなさい。そうしたら病気がなおります」といって酒をやめさせる薬を飲ませる治療が中心でした。しかし、アルコール依存症は心の病気です。この病気は、なぜ、どこから始まったのか、病気の根源である心を見ながら治さないといけないのです。1975年に、労働者の断酒会である「むすび会」を結成しました。1983年にストロームさんは定年のためドイツに帰りましたが、ドイツのブラウンシュバイク領邦教会は、ワルターさんというアルコール治療の専門家を宣教師としてその後派遣し、日本からもこの間3人の牧師がドイツに派遣されアルコール依存症治療の方法を学ぶと共に、「喜望の家」で奉仕しています。いまだに、ドイツとの交流は続いており、一定額の献金を釜ヶ崎を覚えて送ってくれています。

3.「喜望の家」のはたらき

「喜望の家」の主なはたらきは、アルコール依存症の方への支援ですが、日常的には多くの方が生活などの相談に来られ、できるだけの支援をしています。相談の主な内容は衣服の着替えを求めてくる、食事を求める、無料で泊まれるところを尋ねてくる、病気やけがのことなどです。ここでは、古着も貴重品です。当初は求める人に無料で差し上げていていた衣料も、双方が同じ目の高さを保つために、「喜望の家」の路上バザーの価格で「ある時払い」で使ってもらっています。先にもふれたアルコール依存症の方にどのようなことをしているのか紹介します。わたしたちは、「自立プログラム」と呼んでいますが、相談される方が強く断酒を望んでおられる場合に提供しています。これは、精神病院やアルコール関連の病院に入院しないで、通所で断酒のためのミーティングに参加し、酒なしの生活をつくっていくことを支援するものです。期間は約6ヶ月です。その間の生活は、近くのドヤ(簡易宿泊所)から通所し、「喜望の家」はその間のドヤ代や食費などの生活費をお貸しします。プログラム終了後、就職による自活や生活保護を受けてから、徐々に返済してもらいます。このプログラムで、1人の人にかかる費用は月約6万円で、年間約10~20人が利用しています。このような相談やケアを2名の専従職員(1名は牧師)と1名の1年間ボランティアを中心にして運営していっています。もちろん海外からも含めた週1回以上の定期的なボランティアの参加も多いです。そして、これらの費用(約2300万円)が、すべてドイツも含めた教会からの献金や広く一般の方からの寄付によってまかなわれています。

このプログラム終了後に、高齢や障害をともなう人や、就労復帰が困難な人のために1999年に「のぞみ作業所」が「喜望の家」の中に開設されました。紙すきや木工などの軽作業や、散歩の会や昼食会など、アルコール依存症と戦っている人の居場所や経済的自立を助ける場所として活動しています。

寒い冬のアオカン(路上での野宿)は、命を奪われることにもなります。実際に毎年凍死者が出ています。釜ヶ崎で活動しているキリスト教の団体が釜ヶ崎キリスト教協友会という団体を作り、それぞれの組織が曜日別に「夜回り」をしています。寒いなか、打ち合わせやコース分けをすませたボランティアたちが、リヤカーに毛布やお茶、食料などを積んで午後10時ごろに「喜望の家」を出ます。テントの中で起きている人には声をかけます。寝ている人には、寝息などで無事かどうか確認します。大勢で囲むとシノギとよばれる強盗と思われるので、2人単位くらいで行動します。目線を寝ている人と同じ高さまで合わせ、仕事の様子や食事をきちんととっているか尋ねます。普段だったら声もかけないかもしれないのに、ここのおっちゃんたちと話すことによって、私自身の差別や偏見に気づき変えられていっていることに驚かされます。ダンボールだけで路上に寝ている人には、毛布を配ります。毛布もですが、持っていっているカップラーメンも本当に必要な方に渡すことにしています。経済的なこともありますが、必要以上に依存されることがないように気を配っています。

4.ここで育てられる若者

1995年の阪神大震災をきかっけにボランティア活動というのが脚光を浴びてきました。とりわけ、若者が元気に楽しくボランティア活動を行っている姿に「ボランティア元年」という言葉まで誕生しました。ボランティアというと、自主性や無償性が強調されますが、もっと広く「なんらかの困難に直面している状況を『他人の問題』として自分から切り離したものとみなさず、自分も困難を抱えている1人として、その人に結びついているという『かかわり方』をし、その状況を改善すべく、働きかけ、『つながり』をつけようと行動する人」(金子郁容『ボランティア』岩波新書)と考え、このようなつながりによる相互扶助のネットワークが今後の社会には不可欠と考えられます。時間があるという点では、シニアの世代によるボランティアも盛んですが、インターネットやゲームなど私的な世界に閉じこもらず、公的な領域と接点を持ち社会性を育むという点でボランティア活動は現代の若者にこそ意義があると考えています。

日米の社会に差があるとはいえ、日本の青少年(15~19歳)のボランティアは人口比17%、その年代の国民1人あたりの週平均活動時間はわずか2分です。これが、アメリカになると、ボランティア人口比が61%、活動時間は3.2時間にも及ぶのです。(五月女光弘『ざ・ボランティア』IJDライブラリー)もう少し、調査を通して青少年の意識を紹介します。『第6回世界青年意識調査』(1998)によると、「ボランティア活動を全くしたことがない」という若者が74.7%で、この数値をアメリカの40.1%や韓国の50.6%と比べると随分高いことがわかるでしょう。また、「現在活動している」と回答した若者は、2.7%にしかすぎず、調査された世界11ヶ国で最低の数値となっています。一方、ボランティアに対する興味に対する問いでは、「興味がない」と答えた者は37.6%であり、逆にいえば6割を超える者が何らかの興味を持っているといえます。しかし、実際に行っている者は3%もいないのです。(この調査を実証してみようと、私の勤務校の高校1年生160人に同様の調査をしてみました。ボランティアについて「現在、行っている」という回答が1.9%、「全くしたことがない」という回答が66.0%という結果でした。また、「興味がない」と答えたものは17.0%で、先の調査よりもボランティアに対する関心は高いようでした。)ボランティアに興味をもつのはどういう気持ちからかという問いには「困っている人の手助けがしたい」(35.6%複数回答)「いろいろな人と出会いたい」(29.3%複数回答)と、情緒的な回答が上位を占めています。

興味はあるけど、実際に行動に移せていない、いや行動する場所や機会を知らないのが実態ではないでしょうか。困っている人を何とかしたい、もっと幅広く人や社会を知りたいというのであれば、釜ヶ崎のような所でのボランティアは最適です。医療機関の紹介や就労の相談、生活保護の申請などケースワーカー顔負けの働きをしなければなりませんし、時にはおっちゃんたちの話し相手にもならねばなりません。地方の公務員だった人、昔は羽振りがよく中小企業の経営者だった人、ほんとうにさまざまの人生を背負った人がこの町にはおられます。

5.私自身は

仕事もあり、家庭もあり、結構忙しい時間をさいてなぜボランティアをと思うことがあります。やっぱり人の為にかなとも思いますが、この「人の為」という字はいみじくも「偽」という字になるように、人のためだけではなく、自分の人生を豊かにするためにというのが本音です。地図の上で「釜ヶ崎」はあそこだと指差すとよくわかりますが、指し示している人差し指に対して、中指などあと3本の指は自分自身を指していますね。私は実は「釜ヶ崎」のことを考えることはもちろんですが、その3倍の重みをもって自分自身をふりかえっていると思っています。最近はさらに、仕事と人生観と趣味という3つの輪が重なってきている人生と思うことがあります。幸い、私は高校の公民科の教師ですので社会の現実や矛盾、また人生の価値などを若者に語ることができます。趣味といったのは、肩肘はって義務としてボランティアは行うものではなく、いやならやめればいいし、また立場が代わればボランティアしてもらうことにもなりかねないですよね。そんな時に、いやがらずに楽しんでできる、自分の空いた時間をより有意義に、また私なりに考える価値の高いことに費やすことができるという点で趣味という言葉を使ったのです。人生観、日本福音ルーテル教会は『福音に生き、社会に仕え、証しする教会になろう』というスローガンを掲げています。個人の信仰は内面深く保つものという考えもありますが、現実の社会に生き、さまざまな人間関係のなかで生きている以上、その関係の間でこそ個人の信仰が試されなければなりません。そして、その信仰に基づいた奉仕活動というのは、先に述べた「ディアコニア」という言葉に戻りますが、「神のためにやっている」ということになります。聖書のなかに「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイによる福音書25章40)という言葉があります。

少し、話しは大きくなりますが、亡くなったマザー・テレサの話のなかで、『死を待つ人々の家』(インドのカルカッタでの路上生活者で瀕死の状態の人を収容する施設。私は10年前にここを訪れ、かいがいしく働き、当然のように奉仕している北欧の青年たちに好感をもった。)は、「あなたも、この世にのぞまれて生まれてきた、大切な人なのだ」ということを伝えるのが役目であると言っていました。誰にも見向きもされず、路上で見捨てられてきたこの貧しい人々に最後の瞬間であっても愛のふれあいを持たせたい、そのためにこそシスターたちは献身しているというこの思いは、単なるヒューマニズムを超えた「神が最も必要とされる人」に対する愛の行為といえるでしょう。彼女は「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではない。むしろ、そのことによって見捨てられ、誰からも自分が必要とされていないと感じることである」(千葉茂樹『マザー・テレサとその世界』女子パウロ会)と述べています。自分が必要とされる居場所がある、自分の役目がしっかりある、そういうときにこそ張りのある人生が送れるといいます。そう思うと、与えているはずの私が数々のボランティア活動を通して与えられている、支えてあげているはずなのが、いつのまにか支えられているという関係に気づかされます。

6.おわりに

今、社会のなかでは教育の在り方が問われています。「ゆとり」の教育が学力の低下につながるとか、16歳、17歳の犯罪が世間の注目を浴び、奉仕活動の義務化や教育基本法の改正が森首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」の最終報告に盛り込まれています。いわく、中学校に「人間科」、高校に「人生科」を設置する、共同生活などによる奉仕活動を小・中学校では2週間、高校では1ヶ月間行うなどと並んで、将来的には18歳以上の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うと。これも、見方によっては最大の奉仕活動は祖国に対する奉仕、つまりは国土防衛などという文言にいつ変えられてもおかしくない社会情勢です。子どもの世界は大人の世界の鏡であることが多いのです。57歳の国会議員の贈収賄、高級官僚の汚職など「人生科」が必要なのはどっちと言いたくなるくらいです。私も奉仕活動の持っている意味や、若者が他者のために汗を流すという経験は大事なものと思っています。しかし、それが自発的でなく、外部からの強制や義務によって行っているとしたらむなしいものですし、ボランティアをされている人にとっても迷惑な話です。人と接することが好きで、自分の世界を、視野を広げていきたい、そのためにボランティアに興味をもっている若者が6割もいます。若者だけでなく「社会の役に立ちたい」という人が8割を超えるという全世代を対象とした世論調査も発表されています。(『朝日新聞』99年12月10日)このような、意欲やエネルギーを社会がどう活かしていくのかが問われてくるでしょう。

ボランティアをしている人ってどのようなイメージなのでしょうか。お人よし、人とのかかわりが好き、自分なりの哲学や人生観がある、体力勝負、まがったことが嫌い、ちょっと変わっている(これはよく言うと個性的かな)、心が優しい……このような人って「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な」(教育基本法第1条 教育の目的)人のようですね。このような人たちによって担われる社会は住みごごちがよさそうです。人の為が、いつか自分の為になる、21世紀こそ、そのようなボランティア精神が溢れる社会を創っていきたいものです。


・たかだ としひさ
日本福音ルーテル修学院教会会員。京都教育大学附属高校教員。公民科担当。1955年生まれ。ルーテル教会を通した奉仕活動として、釜ヶ崎『喜望の家』や『共に生きる』という国際NGO活動でバングラディシュの女性自立の支援活動をしている。




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