2000年12月号
書評2
雪印食中毒事件が問いかけたもの
新山陽子
京都大学大学院農学研究科助教授
6月末に発生した雪印乳業の集団食中毒事件は、発症者が約1万4千人にものぼる未曾有の食中毒事件に発展した。その被害は、直接的な被害者のみならず、生産者や乳業メーカー全体、さらには食品業界全体にまで及んでおり、消費者や生産者に与えた精神的なショックも含めると、それが及ぼした社会的影響の大きさは計り知れない。それでは、そもそもなぜこれほどまでに被害が拡大したのだろうか。この点に関して、マスコミ報道等では、雪印の企業体質の問題に加えて、HACCPという食品衛生管理の問題が大きく取り上げられた。そこでまず、このHACCPの問題から考えてみたい。
そもそもHACCPとは、HA(Hazard Analysis:危害分析)とCCP(Critical
Control Point:重要管理点監視)の2つの要素から成る食品衛生管理の手法であり、前者は、健康に被害を与える危害要因を企業が自ら特定すること、後者は、各企業の製造工程に則して、健康被害を防ぐための重要な管理点がどこにあるかを、企業が自ら特定することをさす。このシステムの特徴は、これら危害要因と重要管理点の特定に基づいて管理した記録を文書で残しておくことにあるが、これによって、消費者からクレームがあった場合、どこで問題が発生したのかをさかのぼって特定することが可能となる。つまりHACCPとは、食品を衛生的に製造するだけでなく、システムの問題点を製造者が自己改善するためのシステムであるといえる。その意味では、HACCPはあくまで器にすぎないのであって、その中身は企業自身が作るものなのである。
そこで改めて今回の事件を振り返ってみると、雪印が自らシステムを構築してHACCPの申請をしながら、申請通りに管理をしていなかったこと、また、本来なら企業自らが原因を特定し、改善措置を講じるべきところを、そうした対応が全くとられなかったことが明白である。その点から考えると、今回HACCPが機能不全に陥ったのは事実であるとしても、マスコミ報道のように、そもそもHACCPの仕組み自体に欠陥があるのではないかという議論は短絡的である。むしろ、企業の自己責任で衛生管理の水準を高めるというHACCPの思想が、企業側に全く理解されていなかったということが、今回の問題の本質であろう。したがって今後は、HACCPの思想について啓蒙をすすめると同時に、厚生省の認可のあり方についても改善が求められる。検査員の不足によって、書類審査だけで認可したケースもあったと聞くが、その点では、やはり厚生省自身もHACCPの思想を理解していなかったといわざるをえない。HACCPが個々の工場に則したシステムである以上、現場検査は不可欠であり、アメリカのように綿密な現場検査を組み入れた検査体制の整備が求められる。
次に、雪印の企業体質の問題としては、主として以下の点を指摘できる。第一に、事件後の対応のまずさである。これは最近の三菱、そごうなどにも共通する問題であるが、企業側の隠蔽、ごまかしの繰り返しの結果として、原因の特定が大幅に遅れることになった。第二に、企業による自立的な改善措置の欠如である。早急に改善措置を講じて信頼の回復に努めていれば、これほど社会的影響が拡がることはなかったはずであるが、雪印が講じたのは大阪工場の閉鎖だけであった。自らの営業成績しか念頭になく、消費者の被害はもちろんのこと、生産者と運命共同体であることの認識、乳業はもちろん食品業界全体に対する消費者の信頼に発展するという発想が欠落していたといわざるをえない。第三に、そうした改善措置を講じることを含めた、企業の危機管理体制の不備である。そして第四に、上記すべてに責任を負う立場にある、経営者の無能と自覚の欠如である。
最後に、消費者の責任という点にもふれておきたい。今回の事件で教訓化されたように、もはや消費者は、製造された食品を受け身で消費するだけであってはならない。近年、食品の供給システムをフード・システムと表現するようになっているが、消費者は自らをフード・システムの構成者として位置づける必要がある。システムにおいて、消費者は安全が確保されているかどうかを監視する立場にあり、消費者が絶えず表示をチェックして食品を選択する購買行動をとれば、それは自ずからシステムの川上にはねかえり、品質管理のあり方が改善されていくことになる。ヨーロッパでは、狂牛病やダイオキシンなどの問題もあって、消費者は食品の安全性に敏感であり、食品政策の策定にも消費者が強い発言力を有するようになっている。日本でもこのような消費者のあり方が求められている。
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