2000年12月号
人モノ地域1


組合員とともに生協再建をすすめる

後藤剛志
福島生協労働組合 書記長


大型店出店による事業拡大

1989年、生活協同組合福島消費組合の時に、「方木田店」という1000坪の大型店を出店した。当時は全国的に大型店を出店していた時期だったが、福島消費組合としては初めての大型店だった。当時の営業時間は、夏は21時まで、冬は20時までだったが、「方木田店」の営業時間を23時、その他は22時までと理事会は営業時間の延長を提案してきた。また、それまでに結んだきた労使協定・協約を破棄し、手当ての新設を提案、それをのまなければ春闘の団体交渉にも応じないという態度であった。これに対して労働組合は腕章闘争や指名スト、地方労働委員会に訴えるなどしてこの提案を跳ね返した。

その「方木田店」は、実際に開店すると、当初予測していた供給をはるかに超え、最高時で49億円まで伸びた。この予想を大幅に上回る成功で「これからは大型店の時代」として、92年7月の総代会での提案がないまま赤字を理由に小型店4店舗を閉店、同年12月に「あだたら店(約1700坪)」を出店する。そして、95年3月に「郡山市民生協」と「生活協同組合福島消費組合」が合併し「コープふくしま」となり、その後も4月に「あさか店(約1000坪)」を出店。大型店の出店と総代会での合意がない赤字店の閉店による事業拡大を進めていく。

地域へ、組合員へ

95年、新たに「やのめ店(約1500坪)」(開店は96年11月)の出店を計画、それを期に「森合店」「本内店」という小型店の閉店を進めようとした。労働組合はこのときから「店舗の閉店や新設は生協組合員が総代会で決めるもの!」と主張、組合員に十分な説明を行い、組合員の納得と合意のもとに総代会で決議することを団体交渉などで理事会に求めたが、平行線をたどった。労使交渉でのやり取りに限界を感じた私たちは「地域に出よう」「組合員に聞いてみよう」と、私たちの思いを書いたビラをもって組合員訪問を行うことにした。しかし、はじめての試みでもあったので、とても不安で組合員宅のポストにビラを入れてくるのが精一杯だった。

95年7月に行われた合併後の第1回総代会で、理事会は96年度方針として「(1)(前文省略)…南矢野目地区に大型店の新設をします。(2)周辺店舗の見直し統合も含め、近隣組合員さんとの検討に入ります」と提案するが、組合員が総代会で「周辺店舗の統廃合とは『本内店』のことですか?」と質問した。「これから近隣の組合員との検討に入るので、どの店舗にするかまでは決めていない」と専務理事は答えたが、総代会が終わるとすぐに、「森合店」「本内店」を閉店するための説明会を始めた。これに対して労働組合は2店の閉店は総代会で確認されていないのにすぐに閉店の話が出てくるのはおかしいと、閉店の撤回を求めた。そして、またビラをもって私たちは地域に出た。しかし、今度は胸をはって。

森合店閉店

同じ頃、「森合店」周辺の組合員による閉店反対の署名運動が起こった。その組合員と共に茶話会を労組員、組合員合わせて60名の参加で開催、組合員の納得と合意のもとに総代会で閉店問題を論議するよう理事会に求めた。その運動の成果として翌96年3月臨時総代会が開催され、赤字店はすぐに閉店するのではなく、一定期間継続のための努力を行い、その上で判断することになった。労働組合は組合員、店舗職員、労組役員、理事会メンバーの構成で「活性化委員会」を設立することを提案、店舗存続のための努力が開始され、「森合店」は月によっては黒字になることもあるなど収支は改善されたが、結局閉店となる。労働組合は「森合店」が大幅に業績が改善したこと、「やのめ店」出店に伴う統廃合で閉店を総代会で提案していることなどから、閉店するなら新たに総代会に提案し直すべきと主張したが、理事会は閉店を強行した。そしてさらに96年の通常総代会で「泉店」の移転提案があったが、実際にできた店舗は2階にトイザらスを入れた1000坪の大型店であった。

生協法による署名運動

97年5月20日、今の運営に危機感を感じた労働組合は組合員に呼掛けて、「生協について考えるシンポジウム」(220名参加)を開催した。そこから、組合員と一緒になって民主的運営を求める運動を進めるために「組合員のためのコープふくしまを作る会」を発足して「生協法94条に基づく行政監査を求める署名」をはじめた(総組合員数の10分の1の同意があれば県が検査できる)。これには、コープふくしまだけでなく、東北地連内の労組員の協力があり、組合員宅を訪問した。

97年7月の第3回総代会。理事会のこれまでの運営に組合員が批判の声を上げた。いつもだと2時間で終わっていた総代会が7時間半もかかった。役員選挙では理事長への不信任票があと10票で可決されるまで多く出された。結果的に全議案は可決されたが、役員選挙投票の総代人数への疑問が出てきた。そこで「生協法96条に基づく行政検査を求める署名」(総代数の10分の1の同意があれば総代会などの議決に対して県が取り消しできる)を集めて、県に検査を求めた。2ヶ月後、県は総代会の決議は有効としながらも運営には問題があったとし、理事会に今後の総代会運営について指導した。理事会は「総代会のまとめ」という文章を作成し、組合員に配布した。その中に今後の生協の民主的運営を行っていく上で「組合員と従業員の知る権利に応えていく」「組合員と従業員との合意形成プロセスを重視する」「組合員の意見や要望に最大限に応えていく活動こそが最重要」と表明した。そこで、労働組合は、財務諸表などの資料の提出を要請、何がどうおかしいのかを学習していった。しかし、当時はまだ貸借対照表の見方さえ十分に理解していなかった。

経営分析

97年秋、生協労連東北地連で経営分析の学習会が開催された。そこでは、具体的に経営がたいへんだという他生協とコープふくしまを比較しながら経営分析を行った。非常にショックだった。その後、独自に経営分析をすすめたところ、92年ころから不明な点があり、その総額は13億円あることを突きとめた。同時に生協労連から紹介のあった公認会計士に調査を依頼、「調査報告書」を作成してもらい、理事会が行ってきたことへの責任追及を行った。98年3月10日、最大の山場の団体交渉には管理職にも呼び掛け、参加してもらった。そして3月25日の団体交渉で40年以上就任していた前理事長が次期総代会で交代することを約束した。

累積欠損24億円

でも私たちはトップが変わったからといって「コープふくしま」の経営危機が改善されるとは思っていなかった。地代家賃の値下げ交渉を求めたり、職場に増資運動を提起したり、労組独自の再建計画を打ち出したが思うように進まない。このままでの独自再建は無理と考え、98年7月13日、累積欠損の可能性があるとして日生協東北地連に支援要請をした。その後、理事会としても正式に日生協に支援要請をした。8月に日生協が調査に入った。その後、累積欠損が約24億円あることがわかった。その後99年度、「再建5ヶ年計画」が出される。

再建へむけて

この計画は、前年の供給を維持しながら人件費を5億円削減し、剰余を毎年5億円づつ出しながら5年で累積欠損をなくしていくというものだった。理事会は人件費削減を進めるために70人の希望退職を打ち出した。労働組合は職場討議を行い、「もともと生協は労働者が自分達の生活を守るために作った。その生協が同じ仲間の首を切って生協らしい再建などできるのか?」と呼掛けて、求められる人件費削減を人員削減ではなく、労働者全員で賃金削減を行い捻出していくことを臨時大会で決議した(反対0、保留7、賛成85)。そしてこの臨時大会は、労働者自らが主体的に生協再建を進めていこうと他の6つの方針を打ち出した(反対0、保留2、賛成87)。その1つである労働者自らが生協で取り扱っている商品を全て利用しようと「全利用運動」を職場に提起をした。この運動によって灯油や共済などは昨年比130%を越えるなど、99年度を何とか黒字決算に導くまでの成果を作り出してきた。

労組の宝

これまでの取組みの中で一貫して通してきたことは、「生協の主人公は組合員だ」と言うことである。そのことを言い続けてきたからこそ、組合員と一緒になって生協の民主化・再建闘争を進めることができたし、逆に言えば組合員との接点を見出すことがなく、労働組合の力だけではこれまでの運動を進めることができなかったと考えている。そのことは福島生協労働組合としての誇りであり宝であると思っている。

生協再建2年目に入り、事業は計画どおりに進んでいないのが実態だが、私たちには組合員がいる。漠然とした組合員ではなく、顔も名前も分かり、一緒に生協を支えようとしている組合員がいる。そのことが、私たちの励みであり、その組合員に応えていくことが生協再建だと考えている。


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