2000年12月号
書評2


「大学改革」と大学生協

芦田 文夫
大学生協京都事業連合理事長・立命館大学経済学部教授


1980年代の前半に立命館大学生協の不祥事問題があったとき、再建の理事長職に就いて以来、久方ぶりにまた大学生協に関わりをもつことになった。その間は、いわゆる「大学改革」の上からの激職に忙殺されていた。今度は、大学をいちばん底辺から支える、しかも学生と教職員のほとんど全体を組織する唯一のものである、生協というリアルなところから「日本の第三の大学改革」の帰趨を見極めていきたい、というのが今の心境である。

この前、七月に全国理事長・専務理事セミナーというのに参加した。消費の冷えこみと学生数減の厳しさ一途の状況をどう打開していくか。印象的だったのは、専従の幹部職員のところには「ある種のリストラをもふくむ経営再建」という流れがどうしても強くでてくるのだなあ、ということであった。反対に、私をも含めて大学教職員理事のところでは、根元は「今の大学と学生の急速な質的な変化に生協が対応しきれていないギャップ」にあるのじゃないか、それに真正面から立ち向かわないと、という空気がかなり漂っているように思えた。学生理事の方からも、学生が自分たちの欲しいものを自分たちも一緒になって開発していくという例(京都事業連合奈良女子大学生協のオリジナルパン作りの例)など、当今の「起業家精神」あふれる元気な報告が出されていた。

それから、いま「大学改革」のなかから、大学側から生協にこれまでには無かった新しい要請が出されてくるようになっているという事実が次々と紹介された。語学の研修、就職の資格講座、パソコン教室、等々。多くの大学では、必要なのは解かっているがそこまでは手がだせないから、生協さんにということになってきている。業者とは違う、教学の延長上にどう噛みこんでいくか。食堂や購買、憩いの空間も、若い高校生を引きつける戦略的ポイントの一つになろうとして、大学のトップ層まで生協を頼りにしてくる。

リストラだけだとズルズル後退いっぽうになりはしないか。21世紀の大学像のなかに、生協を前向きに積極的にどう位置づけていくか。そのさい、私の経験と自戒をこめてなのだが、上からの「大学改革」のトップ管理層はどうしても「なりふりかまわぬ大学間競争」に陥りがちになる。気がつけば一番大事な学生や教職員の下からのやる気とエネルギーを殺してしまっていた、ということになりかねない。そこに、大学生協の真の出番があるのではなかろうか。


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