2000年10月号
コロキウム
NPOにおける<市民的専門性>の形成
--阪神高齢者・障害者支援ネットワークの事例を通して--
東北大学経済学研究科助教授
藤井敦史
[問題設定]
NPO(注1)における独自な社会的機能は何なのか、或いは、行政機関や営利企業よりも優れたNPOの長所はどのようなことなのかということを検討する際、福祉多元主議論や混合福祉論では、NPOにおける(1)コミュニティ形成機能、(2)柔軟性や実験性故のイノヴェーション機能、(3)公論形成やアドヴォカシー機能等が指摘されてきた(注2)。こうした(1)~(3)の機能は、実際には相互に結び付いている。つまり、NPOにおいて支援対象との共同性や信頼関係の構築が可能だからこそ、ニーズを把握することができ、ニーズに密着したイノベーティブな事業を展開することが可能となる。そして、イノベーティブな事業を実際に展開できるということは、今までにないモデル事業を作り出すことによって、コスト計算を含めた現実的な裏付けのある政策提言の重要な基盤を提供することを可能にするだろう。
しかし、一方でNPOは官僚制化・寡頭制化・行政補完化といった圧力にも直面しており、慈善(charity)的な温情主義・アマチュアリズムを含むボランタリーの失敗(voluntary
failure)という問題もサラモン(Salamon)(注3)によって指摘されている。
それでは、如何なる条件下で、NPOは市民生活上のニーズに密着した財やサービスの供給を行い、また公論の形成、場合によっては政策(計画)上の対案形成まで到達し得るのだろうか。この問いに答えるために、我々は、NPOにおいて、アマチュアリズムを越えた、社会問題解決のための知の枠組みが形成されてきていることに注目したい。本報告で、私はこれを<市民的専門性>と名付け、NPOが地域社会において、ニーズに即した新しい事業を形成し、社会に対して有効なオルタナティブを提示していく際の重要な基盤として機能し得ることを論じようと思う(注4)。
なお、本稿における<市民的専門性>という言葉は、組織としてのNPOにおける知識や技術、並びにそれらを基盤とした問題解決能力の次元で用いられている。したがって、そこには公的な資格を有した専門職が関与することもあれば、そうでないこともある。また、ここでの専門性の中身は、人々の自発性や主体性(自立支援)を引き出していくことが重要なテーマとなる領域(例えば、a:ケア、b:コミュニティ形成、c:ボランティア・マネジメントet.)と深く関わっていることを付言しておく。
以下、本稿では、阪神高齢者・障害者支援ネットワークの事例を通じて、実際のNPOにおける現場の活動の中において、どのような知識や技術がいかにして醸成されるのかを論じ、そのことから<市民的専門性>の内容について考察を深めていくことにしたい。
1)阪神高齢者・障害者支援ネットワークの展開過程
阪神高齢者・障害者支援ネットワークの前身である、ながた高齢者・障害者支援、緊急ネットワーク(以下、略称:ながた支援ネットワーク)は、阪神・淡路大震災直後の1995年1月31日に結成された。
そもそも、震災直後、行政における防災マニュアルの規定等から、県・市の民生部局は救援物資の配給機関(県市町村福祉協議会も県・市民生部局に吸収され物資配送)と化し、福祉事務所職員もほとんどが遺体安置所に詰める状態となり、一時的に福祉の空白という事態が生じていた(注5)。その結果、避難所内外における高齢者の生活環境は、非常に劣悪な状態となり、いわゆる「避難所肺炎」に倒れる高齢者が続出したという。こうした事態に危機感を抱いたながた支援ネットワークでは、まず高齢者用の保護施設として、長田区腕塚町にある在宅福祉センター「サルビア」を確保し、次に、長田区で合計14389戸の在宅安否調査を行い支援が必要な高齢者のニーズを拾い上げ、緊急救援や生活支援のための様々な活動を行ってきた。
その後、1995年春以降、自力で住宅を再建することが困難な被災者が避難所から仮設住宅に移っていくにしたがい、ながた支援ネットワークもその活動を、仮設住宅における継続的な生活支援へと変化させていく。仮設住宅では、その多くが西区や北区といった新興住宅地に建設されたこと、抽選によって入居者を選抜したこと等により、被災者の多くが地元のコミュニティから引き離されると同時に、避難所で形成されたコミュニティも解体してしまい、孤独な高齢者の群れが生まれていた。そうした中で、ながた支援ネットワークは1995年6月の世話人会で名称を阪神高齢者・障害者支援ネットワークへと変更し、神戸市西区春日台にある最大規模の第七仮設住宅(最盛期には、1060戸、約1600名)に拠点を定めて(1)孤独死をさせない、(2)コミュニティを作ろう、(3)寝たきりをなくそうを合言葉に新たな活動を開始したのである。
以上のような阪神高齢者・障害者支援ネットワークにとって、そのミッションを強化していく重要な契機となったのは、1995年9月に第七仮設住宅で発生した二件の孤独死だった。この孤独死は、ボランティアが頻繁に安否確認を行ったにもかかわらず起こってしまった事件であり、ニーズがニーズとして表明されなければ、プライバシーの壁によって生命を救うことが困難であることを痛感させた。そして、このことは、裏を返せば、仮設住宅の住民は正に自尊心も尊厳もある「生活者」として存在していること、それゆえ、彼等のニーズを見出し、受け止めるためには、前提として、地道なボランティアと仮設住民、並びに仮設住民同士の信頼関係(支え合える関係/配慮し合える関係)、すなわち、コミュニティの構築が重要であることを意味していたのである。
このような孤独死事件を契機に、阪神高齢者・障害者支援ネットワークでは、ふれあい喫茶、仲間作りのための各種イベント等を通じて、仮設住宅におけるコミュニティ形成に力を入れるようになり、また、安否確認作業の見直しや日々のミーティングの積み重ねを通して、ボランティアによる仮設住宅住民へのケアのあり方を一層深めていったと言えるだろう。そして、彼等は、1996年以降、ケア・システムを確立し、(1)訪問活動(地元の主婦を中心に約70名のボランティによるふれあい訪問と看護婦による訪問活動)、(2)ふれあい喫茶、(3)医療相談や福祉相談(福祉事務所等と協力)、(4)ホームヘルプサービス(家事援助)、(5)カーボランティア(通院や買い物援助)、(6)学生の実習の場としての機能、(7)ふれあい喫茶でのミニデイケア、(8)正月の配食サービス、(9)西ネットワーク(西区で活動する団体のネットワークのコーディネート)等々、多様な事業を展開していった。
阪神高齢者・障害者支援ネットワークは、仮設住宅が解消された今日でも、仮設住宅で培ったケアのあり方を基盤にして、グループホーム"あじさいの家"と生きがい仕事作りのための共同作業所"伊川谷工房"を中心に活動を続け、NPOによる地域福祉の理想像を模索し続けている。
2)阪神高齢者・障害者支援ネットワークにおける"専門性"の中身
阪神高齢者・障害者支援ネットワークでは、資格を持った専門家である看護婦や医師、老人ホームの施設長といった人々が主導的な役割を果たしてきた。しかし、それは、単に既存の専門職がそのままNPOを結成し、かつ指導したということではなかった。そうではなく、少なくとも以下の三つのことが指摘できる。すなわち、(1)専門家がボランティアとして福祉行政の枠組や病院の官僚制組織における規制から自由になったことにより、専門性の一層の発揮が可能になったこと、(2)ローカル・ノレッジの学習・蓄積により、ケアに関わる知識・技術の内容が成熟してきたこと、(3)現場から学習する一般ボランティアと特定領域に精通した専門家との協働により総合的な問題解決能力が醸成されたことである。本稿では、紙幅の関係上、この内、(2)の論点=新たな専門性の中身について掘り下げて考察してみよう。
まず、阪神高齢者・障害者支援ネットワークにおけるケアの理念として強調されてきたのは、「生活者としての人間」に対するケアという考え方である。この時の「生活者としての人間」とは、彼等がその人固有の生活の文脈を背景に有しつつ、様々な思いや感情を抱きながらそこに存在しているということに他ならない。それ故、ケア者にとって必要なことは、医療に偏重した視野狭窄("専門バカ")や対象との権威主義的関係を脱却し、「人間対人間」としての関わりの中で、いかにして相手の気持ちに寄り添い、信頼関係を築くことができるかということである。以上のような理念を前提として、阪神高齢者・障害者支援ネットワークでは以下のような特質を持つ知識・スキルの形成を見出すことができる。
第一に挙げられるのは、(1)ニーズを見出す前提となる対象との関係性のスキル(関わりのスキル)である。すなわち、ボランティア個々人が特定の住民に対して継続的なケアを責任をもって行えるように配置することによって(ボランティアは、多くて10人程度のケアを担当し、引継ぎも非常に丁寧に行われる)、「人間対人間との関係」(人格的関係性)の構築が目指される。そして、具体的には、相手を固有名で呼ぶことや相手の話を聴く姿勢(ある種のカウンセリング技術)の強調に見られるように、仮設住民との間で真摯にかつ丁寧に信頼関係を構築していくことが重視されてきた。
第二に、以上のような信頼関係の構築を基礎として、(2)相手のニーズを発見する力、ケアを行う際の「見方」のスキルが重視されている。例えば、戸の開け方、部屋の散らかり具合(ゴミの有る無し)、声の調子等々、些細なことと思われるような仮設住民の所作や生活状況から、彼等は異常を察知し、多くのニーズを把握できるという。こうしたことが可能になるのは、正にボランティア個人が対象と継続的に信頼関係を構築しつつ、豊富な実践知・経験知を蓄積させているが故である。ここでは、現場において相手の生活に寄り添う中で培われる、関係性を基盤とした知識を、ギアーツ(GeertzC.)にならって(注6)、ローカル・ノレッジ(local
knowledge)と呼ぶことにしよう。こうしたローカル・ノレッジが蓄積されることにより、現場(locus)に埋め込まれた生活の多様な文脈が理解可能になり、翻って、相手のニーズを把握することが可能となる。
第三に、日々の事例検討ミーティング等を通して、(3)現場からのフィードバック(反省性、再帰性)を指摘できる。すなわち、ミーティングの場では、個々人の現場での経験を反省的に問い直し、解釈し直すことが求められるが、そのことを通じて、個々人の中での"気付き"が促進され、同時に、個人の知覚を基盤に暗黙知として蓄積されてきたものが明瞭に言語化され、組織内部で共有化されるのである。このような現場からのフィードバックを含む組織学習のプロセスは、阪神高齢者・障害者支援ネットワークにおけるケアの成熟に非常に重要な意味を持つものだと思われる。
そして、最後に(4)社会的連帯(ネットワーキング)を通しての問題解決を挙げることができる。阪神高齢者・障害者支援ネットワークでは、組織内部に様々な特定の分野に精通した専門家(看護婦、医師、栄養士、福祉関連資格を有する人々等)が存在しているのと同時に、組織外の様々な機関(例えば、社会福祉協議会、地域福祉課、ボランティア、生活アドバイザー、警察署等)とも密接な連携が行なわれている。彼等が仮設住民の「生活」そのものに対峙している以上、問題は多様な広がりを見せるので、このような多様なアクターとの連携による問題解決は非常に重要な意味を持つ。しかし、一方で以上のような多様なアクターはなぜ有効な連携関係を作り出すことができるのだろうか。恐らく、阪神高齢者・障害者支援ネットワークにおいて、現場に密着した視点から、仮設住民一人一人に対して綿密な記録が蓄積されていることが、仮設住民の「生活」を起点として多様な人々が連帯していく際の重要な基盤となっているように思う。
3)まとめ
以上で論じてきた阪神高齢者・障害者支援ネットワークにおける知識・技術の諸特性から、今日のNPOにおける知の枠組みを、どのように把握することができるだろうか。特殊な一握りの事例から導き出すことには、どだい無理があるが、私は以上で論じてきたような知の枠組みを<市民的専門性>という言葉で把握したい。以下では<市民的専門性>における「市民的」ということの含意と「専門性」の内実に分けて説明していこうと思う。
「市民的」ということの含意
ここで「市民的」と呼んでいることは、特に<市民的専門性>の目的の次元に関わっており、以下のような項目が含まれている。すなわち、(1)政府(行政)の下請けとしてではなく、営利追求の論理でもなく、仮設住民の「人間と生活」という公共(公益)性に結び付く社会的使命を軸とした自発的連帯、(2)課題に対して、社会的連帯の形成(ネットワーキング)を通じての目標達成を志向、(3)現場からの公論形成(仮設住宅での活動を基盤として)、(4)市民社会を構築しつつ市民社会によって正統化され支持されていることである。
既存の専門職とは異なる知のあり方:「反省的な実践家」としての専門性
次に、<市民的専門性>は特定の厳密に画定された領域内において整合性の高い技術・知識(特に、科学的な技術・知識)に閉じこもろうとするものではなく、むしろシュッツ(Schutz)(注7)の表現を用いるならば、エキスパートではなく、合理的に画定された知の領域を越えていく"well-informed
citizen"(より多くの知識を獲得しようとする市民)と呼べるような性質を持っている。しかし、より重要なことは、以上のような性質が現場の具体的な問題、すなわちローカル・ノレッジからのフィードバックに裏付けられているということである。この点について考察を深めるためには、ショーン(Schoen)(注8)の「反省的実践家」(Reflective
Practitioner)という概念が有効である。ショーンは、体系的で標準化された原理的な知識を一方的に対象に応用する、既存の技術合理的(Technical
Rationality)モデルが、実は不確実性、無秩序に特徴付けられている実践の状況に対処できず様々な問題を引き起こしていることを指摘した上で、複雑な状況下において問題の設定自体が専門性の重要な要素として強調されるべきことを指摘した。そして、状況の中で対象との相互作用を行い、その行為について考察/反省していくことによりフィードバックしていく知のあり方として「反省的実践家」を提起したのである。私は、<市民的専門性>の中核に、以上のようなショーンにおける「反省的実践家」という知のあり方が見いだせると考える。そして、そうであるが故に、<市民的専門性>において、目標としての「公益」自体も状況の中で、常に反省的に捉え返されるのであり、また、そのことは自己の知識や技術の不完全さに関する認識に結びつき、結果として他の専門職等との社会的連帯の形成に結びつくのではないだろうか。
私は上述の二点を骨格として含むものを<市民的専門性>として想定したい。私は、この<市民的専門性>というものをNPOにおいて、それが成功裡に活動を展開する上で極めて重要だと考える。そして、今後は、<市民的専門性>がどのようにしてNPO内部で学ばれ共有されていくのか、また、社会からどのようにして正統化され支えられるのかという点について、より一層の考察を深めていくことにしたい。
注1.ここでのNPO概念については藤井敦史「NPO概念の再検討:社会的使命を軸としたNPO把握」『組織科学』vol.32-4、1999年、24-32頁を参照。
注2.藤井敦史「『市民事業組織』の社会的機能とその条件-<市民的専門性>の形成-」角瀬保雄・川口清史編(叢書現代経営学第7巻)『非営利・協同組織の経営』第8章、ミネルヴァ書房、177-206頁を参照。
注3.SalamonL.M.1987"Partners in Public
Service: The Scope and Theory of Government
-Nonprofit Relations"PowellW.W .(ed.)
The Nonprofit Sector: A Research Handbook
New Haven: Yale .
注4.藤井敦史「日本におけるNPOマネジメント論の流れとその課題」、中村陽一+日本NPOセンター編『日本のNPO2000』、日本評論社、212-219頁を参照。
注5.中辻直行「高齢社会と震災」、自治体学会編『年報自治体学』第9号(まちづくりを問い直す-防災と自治-)'965.を参照。
注6.GeertzC.1983 Local KnowledgeBasic
Books(梶原景昭その他訳1991『ローカル・ノレッジ、解釈人類学論集』、岩波書店)。
注7.SchutzA.1964 Collected PapersⅡStudies
in Social Theory(桜井厚訳1980『現象学的社会学の応用』、御茶ノ水書房)
注8.SchoenD.A.1983 The Reflective Practitioner
How Professionals Think in ActionBasic
BooksInc.Publishers.
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