2000年6月号
コロキウム(論文)
生協は新しい
時代を切り拓く
担い手たりうるか
コープえひめ名誉理事長
立川 百恵
四国の松山という地方都市で生活協同組合に四半世紀の間かかわってきた。
設立直後から非常勤の地域理事として6年、 常勤の理事長として18年、
そして今、 定年を迎え学識枠の非常勤理事として理事会の末席にある。
私の生協 注1 は、 1974年、 オイルショック直後に組合員712名でスタートし、
県下一円をエリアとしている。 現在、 組合員は120000世帯、
70市町村の66自治体に広がり、 共同購入を中心としながら、
1984年から店舗を併用し、 現在5店舗を有している。
共同購入の基地である支所はそれぞれ組合員の
「くらしのセンター」 を2階に併設し、 現在11ケ所に点在している。
理事28名、 監事4名、 正規職員330名、 定時職員650名、
地区コープ委員会125、 コープ委員1200名、 テーマ別グループ90、
グループ参加者約700名、 交流サークル60、 サークル参加者500名、
現在、 組織の概要は以上のようであるが、 長年、
生協の運営に関わりながら感じてきたことなどを率直に記してみたい。
組織の変化
昨年、 私の退任がマスコミなどで報じられて以後、
街のあちこちで会う人たちから 「長年ご苦労様でした」
と声をかけていただいた。 続いて、 感想などが述べられるが、
その中で何人かから発せられた言葉に 「皆で一緒にやっていた頃からの組合員です」
というのがあった。 この一言には重い意味がある。
私もこの言葉でいつ頃からの組合員かがわかる。
そして近年、 〈皆で一緒にやっている〉という感覚とは遠い距離が私たち役職員と組合員の中にできてしまっていることを痛いように考えさせられる。
手作り生協と言われて、 組合員と役職員が一体になって"組織づくり"と"求める事業"を進めた時代、
不器用でも〈何がしたいか〉を組合員と役職員が絶えず語り合い、
共通の想いを持って動いていた。 どの生協も、
いや、 協同組合はこうした想いの人たちの自発的な参加で発展していく。
それぞれの歴史や地域性はあるけれども日本の戦後生まれの地域生協は、
こうした成長の過程でバブル経済と呼ばれる流れの中へ巻き込まれ、
翻弄された。
組合員の自主性、 自治能力
生協は、 既存の生活に問題意識を持ち、 こうしたい、
こんなことができないか、 の期待を持って組合員が資金を出し合い、
事業を行う。 現状の生活に満足している場合は、
自発的な協同組織の必要性はないといえる。 従って、
出資に始まり、 自らもてる力を出し合うことなくして目的を達成することはできないことを学び合い、
共通認識にする必要がある。 初期、 こうした学習はくり返し行われた。
教材も豊富に提供した。 ある時期、 生協は民主主義の学校と言われた。
日本の民主主義が十分育たない中で生協の組織運営は、
一人ひとりの組合員の主権を基礎に代表制を取りながら、
学習を重視し実践的に進められた。 くらしをテーマにこうした運営を進める中で組合員が得たものは大きい。
私たちの生協で支所建設の折りには、 2階を 「くらしのセンター」
にし、 組合員が暮らしの問題を持ち寄り、 学び合う場を必ず設置したのも、
こうした活動を重視したからである。
しかし、 協同する力はある時期 (成長過程・規模に起因するか?)
依存に変化する。 元来、 主体性を持った協同は、
市民の個の確立と自治能力の習熟なくしては困難だが、
日本の村共同体から民主的な協同組織への移行という高度な社会変化を実現するために、
私たちが生協で行う学習はいかにも不十分であった。
組合員は、 機関としては間接・直接民主主義により意志決定に参加できる手段を持っているが、
日本の国政・自治体へのかかわりと同様、 自らを律する訓練の未熟さはあなたまかせの依存型に限りなく近づく。
1991年日本生協連の女性評議会が行った調査
注2 では、 理事会の意志決定さえも非常勤理事は自ら行っていると自覚していない。
職員のありよう
一方、 日常業務を担当している職員はどう変化していったか。
設立後しばらくは、 誰もがマルチで全ての作業に関わり、
全体を見渡した仕事を進める。 組合員とも常に連絡を取り、
同じ土俵で語り、 仕事に生かしていく。 生協全体のことに絶えず関心を持ち、
情報交換しながら共通認識を持つ努力をし、 夢も語り合う。
しかし、 組織の成長と共に仕事が分化し、 専門部署が分割されていくに従って受け持ち範囲の仕事を深めることが求められ、
専門技術のトレーニングに時間をとられ他分野への興味や関心が持ちにくくなり、
互いにおまかせムードの共存が芽生える。 そこには
「タテ割り」 と批判される行政の業務体制に近いものがはびこる。
更に、 想像以上の組織の急成長は彼らの仕事量を増やし、
業務に追われる日々は生活者としての意識よりも仕事人間としての事業従事者意識を否応なく育てる。
そして、 組合員との共働から次第に消費者を対象者と位置づけて運営する職員に変化分離し、
あちら側、 こちら側での発想が出始める。 その時、
職員は生活者のリーダーとして生協運動を専門の仕事とする本来の意識と実態から離れ始める。
そして、 対象者に向けての販売集団として、 「売る」
技術やノウハウを身につけることに追われ生活感は遠のく。
協同してやりたいこと
組合員は、 暮らしに対する不安や不満を解決し、
希望する生活を手に入れるために協同する。 その内容は時代と共に変化する。
私たちの生協では、 初期、 物価高騰・物不足・食物や環境の汚染などが要望として大きく、
生産者と話し合い直結してこれらの問題を改善・解決していくことにエネルギーが集中した。
そしてこの運動は少しずつ成果をあげ、 全国の大運動と共に添加物や農薬などの削減を中心に"食べ物の安全は当たり前"を世論にするまでになった。
これは、 消費者運動の中での告発型ではなく、
事業を伴う実践型で生産者と共に生協が勝ち得た大きな成果で、
生協組織の存在を組合員のみではなく広く市民にアピールする機会になった。
こうした時代を経て組合員は今、 消費者として以上に生活者として協同することを求め始めている。
つまり、 暮らしの幅広い部分で協同することの必要性を感じ始めているといえる。
子育て・老後生活・ゴミ問題・環境などより幅広い分野で地域の協同が必要であることを実感し始めている。
協同して進めたい中味が大きく変化ないしは幅広くなってきている。
組織運営上の問題
時代の変化と組合員の暮らしの変化の中で、
組合員が生協に求めることも変わってくる。 こんな問題を協同して解決できないか、
互いに力を出せばこんなことができるのではないか、
幅広くなった生活の要望は長年の歴史の中で大幅に広がった組合員が力を合わせれば可能なことがいっぱいあるのではないか。
組合員のこうした想いと職員側の 「生協ができることはこの範囲です」
との間に大きなギャップがある。 そして、 そのギャップは可能性をも否定し、
「生協とは」 を限定して幅の狭い存在にしてしまう。
もちろん、 限られた費用と職員が担える事業や活動支援には限度がある。
しかし、 組合員がまず自主的に活動を起こすところからすべての事業はスタートした。
そして、 次第にそれが共感を呼び大きな事業になり運動となって地域の変化を作りあげていく。
組合員の要望はすべて職員が受け止め実現していく必要があると考えるから幅が狭くなり、
限界がある。 組合員は協同組織である生協を大いに活用し、
自分の暮らしをよりよく向上させていけばいい。
そのために仲間と一緒に様々な活動を展開し、
場合によっては事業の芽を創り出すことも可能だ。
組織はそれらを励まし、 育てる包容力がいる。
職員が担えること、 経営に役立つことのみにとらわれた組織運営が進むと生協は組織の規模とは裏腹に小さな存在でしかあり得なくなる。
健全経営は誰のために、 何のために大切なのかを再認識する必要がある。
反面教師にすべき協同組合のありよう
2000年3月末から4月初にかけて、 地方紙 「愛媛新聞」
に特集"農協はどこへ"が13回連載された。
農協の持つ問題点、 現状などがリアルに書かれて投書欄での反響も大きかった。
中でも農協の経営基盤が共済事業と金融で成り立っていること、
その共済は一斉推進で担当者も苦しみ、 組合員も悩まされてきたことなどが詳述された。
本来の営農指導から生活全般への事業拡大の模様も具体的に報告された。
一連の記事を読みながら思い出したことがある。
80年代に入り、 生協が地域内での産直を強め、
種類も量も増やしたいと協同組合間提携の模索をしていた。
まだ、 規模にも格段の差があり、 生協は相手として考えにくい時代ではあった。
何度かの話し合いの中で、 協同組合どうし産直を通して地域に活力を持ったものにとの生協からの提言に対し、
当時の常勤役員の参事が 「あなたの言われることはよく解るし、
協同組合の目的もそうだと思う。 しかし、 今私たちは多数の職員を抱え、
組織を維持していかなくてはならないのです」
と率直に事業のあり様への悩みと矛盾を語られたことがあった。
この頃、 農協の役職員による農協改革の学習会が継続して開かれていて、
何度かおじゃました。 その時、 生協は農協を反面教師にして本来の協同組織を見失うことなく発展して欲しいと異口同音にメンバーから言われた。
今回の連載記事でそれらを思い出すと共に、 組合員を置き去りにした事業拡大が行われた根っこは何だったかを考えさせられた。
市民自治が希求されている現在、 生協はその中心的役割が担えるか
1999年第148国会は、 地方分権法・情報公開法・NPO法・男女共同参画社会基本法・・・などを矢継ぎ早に可決・施行し、
市民自治が重要な時代の流れになってきている。
私の住む愛媛県では、 この中で99年正月3日に行われた異例の知事選挙で、
長期にわたる保守政治が転換し始めた。 公約の
「県民の、 県民による、 県民のための地域創り」
は、 具体的に動き出し"職員の目線を県民に"も少しずつ実行され変化を見せ始めている。
そんな中でNPOは元気いっぱい積極的に動き始めた。
「県民による地域社会づくり推進懇談会」 の下におかれた作業部会ではNPO代表たちが県職員と深夜まで膝をつきあわせて語り合い、
提案を出した。 その中で県民側から"行政の職員は自ら県民の一人として発想し、
行動する姿勢に欠ける"と指摘され、 互いに激論を交わした場面も報告された。
それらを克服するために職員はまずボランティアに加わり、
県民が何を考え、 どんな実践をしているかを見る。
県民の一人として地域をどうしたいかを常に考え、
その視点で仕事をすることを課した。 この懇談会に参加していて、
私は既存のNPO・NGOの活動 (生協も含めて) を再構築して力にしていくことを提起しながら一抹の不安を抱いた。
私たち自身、 行政批判と依存から抜け出せない体質の中で提案能力・自治能力を生協の中で育て、
磨き続けてきたか。 県民の過半数が参加する生協がこの機会に中核となって地域変革に参加できる力を蓄えているか。
環境・福祉で自治能力を再構築する
多くの生協が食の安全と同時に近年、 環境・福祉を運動の柱にしている。
組合員の関心からすれば当然であるし、 組合員活動の中ではリサイクルや助け合い活動は早くから始まっていた。
しかし、 経営上の判断で環境や福祉は事業的にマイナス効果と見なされ、
生協の課題に真正面から取り上げることは遅れた。
今やそのような逃げは許されない状況に社会全体の動きが進んでいる。
2000年度日本生協連の重点課題は 「安定した事業経営基盤の確立と経常剰余プラス達成」。
ここ数年打ち出される重要課題は、 1200万組合員が協同の力を発揮していくにはあまりに夢と希望がなさすぎる。
事業を安定させ、 組織が発展する目的は何なのか。
何をしたいがために剰余も確保できる経営を目指すのか、
それがない。 こうした全国方針のもとに単協も又経営第一主義に陥る。
組合員は暮らしに不安を抱き助け合って、 地域で楽しく・心安まる暮らしを子供の世代までと期待を込めて仲間に入る。
その時、 利用できる商品やサービスと共に社会がよりよくあるための課題にどう取り組む組織かということが大切になる。
自分が参加し、 何かをよい方向へ動かすことが少しでもできることは大きな主体的参加の動機になる。
誰もが共通に関心を持っている環境や福祉は重要なテーマだ。
そして、 この課題は身近な地域で住民の一人ひとりがどう関わるかによって社会を変えられるテーマでもある。
例えば、 消費から求める商品をメーカー・生産者に依頼し買い取る生協は、
商品の包材をはじめとする廃棄物を最小限に押さえ、
買い取りルートを活用して物流の逆ルートを使い、
容器の循環・包材の再生へのシステムを作ることは可能である。
組合員学習とメーカー選択でこうした壮大な実験を試み、
社会全体のシステム転換へ糸口を付けることは地域の期待でもある。
地方分権法の施行もあって、 各自治体はこうした課題に個性的に取り組み始めた。
生協は得意とする分野で組合員の生活基盤である自治体にどんな成果を創り、
寄与することができるだろう。 それが地域の過半数を組織する意味ではなかったのか。
社会経済システムの転換に役割が果たせる組織に再構築することが求められている
生協は経済最優先の社会のひずみから生まれた生活優先の社会を目指す組織である。
物やサービスを使い手から発想し、 不足を補い、
生活の視点で創り出し、 組み立てていく、 買い手の組織である。
ここには作り手売り手とは異なる価値観があり、
それがまとまることで強力な生産・販売主導の論理を崩し、
対抗力を発揮することができる。 役職員は、 その組織のプロとして使い手買い手の価値観・論理を代弁し構築する力を持つことが求められる。
これは現状では、 既存の流れに抗し新しい提案が必要で、
常に議論し理論構築と共に実践に移す総合力を持たなくてはならない。
そして、 生協で働くことはそうした社会的なチャレンジができる喜びではなかったのか。
今、 グローバル化が進みIT時代と言われる中で、
一方では地域通貨が世界各地で生み出され実践が始まっている。
人のつながりが弱まり、 主体が不確かな時代にあって、
改めて温もりをもった手から手に渡る役立つ通貨が出回り始めたことは一考に値する。
私たちは協同組合に多くの期待と夢を抱いて参加し、
喜びを広げ合ってきた。 それは何よりも主体的構成員として、
互いが役割を持ち認め合って力を寄せ、 新しいことを実現させてきた楽しさだった様に思う。
できることはたくさんある。 協同組合には社会的挑戦が必要だ。
この大きな時代の変わり目に、 物やサービスの販売組織に甘んじていては生協の役割は終わったと批判されても致し方ない。
注1:コープえひめでは、 組合員・役職員の誰もが
「私の・私たちの生協」 と愛着を持って語れる様にしたいと議案書をはじめ主語は
「私たち」 としている。
注2資料: 「生協の意志決定の場における女性の参画の現状と今後の方向について-日本生協連女性評議会答申-」
1993年6月、 日本生活協同組合連合会。 1991年6月、
日本生協連通常総代会で会長の諮問機関として女性評議会が設立され、
同年12月、 表題のテーマで生協の実態調査を実施、
答申としてまとめた。 そのグループの一つが
「機関運営における女性の参画」 をテーマに7生協108人の組合員理事に対してアンケート調査を実施した。
それによると 「生協の方針・政策の企画・立案に参画しているか」
という質問に 「ハイ」 が45.4%、 「イイエ」 が48.1%であった。