2000年6月号
特集
生協はどのような協同
組合として再生するか?
組合員と職員が満足する組織の条件
的場信樹 (金沢大学助教授・くらしと協同の研究所研究委員会幹事)
くらしと協同の研究所では、 第8回総会・シンポジウムを、
7月15日 (土) と16日 (日) の2日間にわたって開催することになった。
シンポジウムでは、 「生協はどのような協同組合として再生するか?組合員と職員が満足する組織の条件」
というテーマで、 生協の現在と未来について真摯な議論を巻き起こしたいと考えている。
今回のシンポジウムに向けて、 研究所の若手研究者によって実行委員会が組織され、
いくつかの生協を訪問し調査を行ってきた。 いずれも短期間の日程であり、
軽率な判断は控えなければならないが、 それぞれ個性的な生協であるにもかかわらず共通点が感じられた。
自らのアイデンティティを大切にし、 市民社会の変化を重く受け止めるだけでなく、
しかも単なる変化への対応に止まってはならないという問題意識である。
地に足を付けた議論が求められていると思う。
その意味で、 21世紀に生協はどのような協同組合を目指そうとしているのか、
を考える出発点としたい。 そのためには何をどのように議論すべきか、
という研究課題の整理もしたい。 以上がシンポジウムの狙いである。
ここでは、 議論を始めるきっかけとして、 若干の問題提起を行なってみることにするが、
本論はあくまでも若林靖永さんの 「論点整理」
と田中秀樹さんの 「コメント」 である。
【問題提起】
1. ミッションを規定する組織のあり方
くらしと協同の研究所ではこれまで、 生協にとってミッションのもつ意義、
重要性を強調してきた。 今回のシンポジウムでは、
この論点をさらに一歩進めて、 ミッションとそれを可能にする組織の関係について考えてみたい。
つまり、 ミッションは環境から一義的に与えられるものではなく、
それを実現するための手段によって規定される面があるということである。
組合員のニーズや要求、 それらを実現する 「仕方」
の特徴、 一般に 「組織文化」 といわれるような組織のあり方によってミッションの内容も、
その実現の可能性も変化する。 生協が地域社会に必要とされる組織であり続けるためには、
ミッションを選択し、 それを具体化しようとする組織のあり方を問題にする必要がある。
2. 問われる経営危機からの再生のプロセス
現在少なくない生協では経営危機からの脱出と再生を懸けた模索のプロセスが進行しているが、
その推移は生協の将来を決定する側面がある。
21世紀における生協のあり方を考えるうえで象徴的な意味が、
ここにはあると思う。 危機に際しては概して、
結果こそが全てであって、 その方法は二の次になりがちである。
しかし、 ヨーロッパの経験によれば、 経営危機からの脱出に成功したときが組織的危機の始まりである場合が少なくない。
改革が組織的体質を変えてしまったのである。
日本では、 今まさに経営危機や環境変化の帰結である再生のプロセス自体が問われている。
そして、 そのプロセスは、 それぞれの生協がどのような組織を目指すのかに掛かっているのである。
3. あるべき生協像と職員の位置づけ
厳しい経営環境のもとで組織の効率化が進み、
職員を中心に人員削減や合理化とその影響にたいする不安が広がっている。
職員の中でも、 あるべき生協の組織像を求める声は大きい。
その中で、 とくに職員の位置づけについては、
「専従者」、 チェーンストア理論における 「ワーカー」
等々、 それぞれの生協ごとにかなり異なっているのが実態だろう。
それぞれの生協がどのような組織を目指すにせよ、
その組織のあり方は職員の位置づけとその 「ありよう」
によるところが大きいのではないか。 そうだとすれば、
職員の満足度いかんが生協運動の帰趨を決する面を無視できないのではないか。
4. 組合員と職員の相互関係を強めようという動き
組織改革の効果を挙げるためにはシステムを変えるだけでは不十分であって、
組合員や職員が利用や活動や仕事において当事者意識を得られるような組織のあり方を実現することが必要だという考え方が、
多くの生協で広がってきている。 また、 組合員と職員の相互関係を強めようという試みも共通して始まっているように思う。
こうした動きがどこから出てきているのか、 その意義や課題についてシンポジウムではぜひ議論してみたい。
5. 古い組織と新しい組織
社会環境の変化によって、 魅力的でない組織は忌避される時代になってきた。
「生協は古い組織、 NPOは新しい組織」 という感覚が若い世代を中心に広がってきていることが気になる。
気軽につくったり、 参加できる組織というイメージは、
たしかにNPOの方が強い。 しかし、 NPOの方が、
一人ひとりの満足度が高いことが、 むしろ問題かも知れない。
満足を重視するということは、 組織の中で一人ひとりの当事者としての
「ありよう」 を大切にし、 単なる結果ではなくてプロセスと結果の関係を重視し、
全体ではなくて、 あくまでも個人を出発点に置いて、
個人と全体の関係に注意を払うことだと思う。
シンポジウムでは、 満足を実現する組織が求められる背景や、
組合員や職員の満足を実現する組織の条件について考えてみたい。
6. あらためて問われる研究所のあり方
くらしと協同の研究所のシンポジウムは日頃の研究成果を発表し交流する場であると同時に、
今後1年間の研究課題や研究方法を共同で開発していく場であることが望ましい。
一方通行の啓蒙でも、 双方向の交流でも、 現実に求められている研究課題に応えていくことはできないと思う。
共同作業が求められている。 何が明らかになり、
明らかにされなかったのか、 深められなければならない課題は何かをめぐって自由に議論できる場がシンポジウムであるとすれば、
そこでは真摯な相互批判も必要である。
その意味では、 くらしと協同の研究所自体、
組織のあり方があらためて問われているといえる。
今回のシンポジウムでは、 協同組合の組合員と役職員と研究者が共に学び合う
「共同の議論の場」 を提供したいと考えているので、
ぜひ多くの会員が参加されるよう呼びかけたい。
【論点整理】
生協組織をデザインする軸
若林靖永 (京都大学助教授・当研究所研究委員会幹事)
的場さんや田中さんが述べているように、 生協は今日、
深刻な経営危機にあるとともに、 さらにどういう生協なら存在価値があるのか、
という問いが投げかけられていると思う。 そうした問題意識を共有した上で、
私は、 生協組織のあり方をデザインするための思考実験
(頭の中であれこれ空想してみる) に役立つ軸
(何であって何でない、 イエス・ノーで考える)
をいくつか提示したい。
1. ミッションをめぐる軸
今日の生協組織をみる上で、 第1の視角はミッションだと思う。
歴史や競合の中でミッションも細かくみると、
生協によって大きく違う。
運動か、 利用組織か?
生協のミッションを考える上で、 まず 「運動」
なのか、 「利用組織」 なのか、 という生協の基本性格に関わる問題がある。
「運動」 というのは、 生協を構成する組合員の暮らしをめぐってさまざまな問題や不満、
そして夢があり、 それを実現するために生協の事業や社会へのアピールを展開するという性格づけである。
これに対して、 「利用組織」 というのは、 生協は会員を対象に特別の便宜を図った事業サービスを提供するという性格づけである。
この場合の目標は会員満足である。
福祉事業は本業か?
事業についての大きな基本軸としては、 商品供給を中心とした事業を行なうというものと、
商品供給以外の事業も積極的に展開していくというものがある。
多くの生協で、 介護保険の導入に伴い、 福祉事業の展開が始まっているが、
それを生協のミッションとしてどのように位置づけ、
どのように展開していくか、 生協によっていろいろ違いが出てきているように思われる。
福祉事業もまた大きな柱として本格的に施設や人員を抱えて展開するという方向もあれば、
あくまでも小さな付随的な事業としての位置づけにとどめるところもあるだろう。
生協が取り組む福祉事業そのものがどういうミッションを持つか、
ということも問われている。 福祉の領域は広く、
介護保険に関係する部分だけでもさまざまな福祉サービスがからんでくる。
提携もふくめて本格的に福祉サービスの全分野に関わろうとするのか、
それとも、 施設介護に力点をおくのか、 あるいはヘルパー派遣事業にのみ取り組むのか。
配食サービスなどにも取り組むのかどうか。
どのようなサービス領域に取り組むのか、 に加えて、
他の福祉サービス供給者 (社会福祉協議会関係や民間企業など)
と比較して、 どのような差別化される特別のミッションを設定するか、
が重要である。
さらに、 ここで追加しておきたい問いは、 商品供給以外の事業領域は介護保険などの狭義の福祉ばかりではないだろうということである。
すでに、 さまざまな助け合い活動やボランティア活動が展開されている。
福祉以外の領域も含めて、 商品供給以外のさまざまな地域社会のニーズにこたえる事業を展開する用意があるかどうか。
ここに着目した 「コミュニティの活力を生み出すコミュニティのための事業、
すなわちコミュニティビジネス」 の創造を生協事業の領域として加えるかどうか、
が私たちの暮らしや地域が変わりつつある中で問われている。
何を供給するか、 店舗になぜ取り組むのか
さて、 話をつぎに、 商品供給事業についても、
どういうミッションを与えるかが問われている。
日常の食品を中心にというようにミッションを位置づけるか、
それとも衣料品や家電製品などについても供給していくと考えるかどうか。
実際は、 家電等も扱う大型店やSSM (衣料品売場も大きいスーパーマーケット)
の店をつくってきたが、 多くの生協でそれを軌道にのせることができていない。
すなわち、 あくまでも日常の食品を中心に負けない食品スーパーマーケットを出店していくべきであるということが言われている。
食品を中心とした商品供給を考える場合でも、
共同購入業態のみで展開するのか、 店舗業態も合わせて展開していくのかで大きくミッションが変わらざるをえない。
共同購入事業を中心にすすめてきた生協にとっては、
論理的には、 ミッションの変革があってはじめて、
店舗業態の展開を位置づけることができる。 実際、
店舗事業にこの20年間の間に本格的に参入した生協では、
たとえば 「なぜナショナルブランド商品 (以下NB)
を取り扱うのか」 「NBの取り扱い基準」 などといった商品政策についての検討や組合員合意がなされている。
すなわち、 店舗展開は、 70年代から80年代にかけて、
共同購入業態を通して安心・安全の 「コープ商品」
にこだわって商品供給をすすめるという事業ドメインからの発展・転換を意味したのである。
なぜ、 店舗事業に取り組むのだろうか。 そこで、
つぎの問題はどういう店舗事業をめざすのか、
である。 たとえば、 共同購入事業の補完として行なうというような位置づけもあった。
共同購入で取り扱われているコープ商品しか置いていないようなお店である。
このような位置づけはすでに多くの生協はとらなくなっている。
「普通の食品スーパー」 を展開しているところが大多数である。
食品スーパーのめざす方向についても、 いろんなものがある。
安心・安全という生協の主張を追求するお店というものがある。
また、 地域で最も安価でよいものを提供する店をつくるというものもあろう。
地域一番店をめざすというものもある。 子育て期の家庭を主なターゲットとした品揃えに絞るというものもあれば、
高齢者や単身者の生活を支援するところまで品揃えを拡大するというものもあるだろう。
日常の生活に必須の食品に絞るというものもあれば、
特別の日の食事やこだわりの調理にまで対応したグレードの高いものまで揃えるというものもある。
ナショナルチェーン、 ローカルチェーンの出店があいつぎ、
いっそう競争が厳しくなるなかで、 食品スーパーとしてのミッションをどこに置くのかは、
実践的な問いとなっている。
2. 組合員組織をめぐる軸
創立当時の生協を思い出すとき、 組合員の活気というものが生協を支えていた。
今と比べれば、 本当に少数派であったが、 だからこそ未来を信じて組合員たちは熱心に生協の活動に取り組んだ。
このとき、 中心的な組合員たちは職員と変わらず、
職員といっしょに地域の中で組合員拡大に、 運動に、
利用結集に取り組んだ。
その後、 共同購入事業=班組織が誕生し、 地域の中に大きく生協が広がっていった。
同時に、 班は生協の基本的組織と位置づけられ、
班を基礎とし、 班-地区-行政区-理事会という組合員組織ヒエラルキーが確立した。
この時点で、 組合員活動は自主的なものであるとされつつも、
実際は理事会ないし組合員活動事務局が決めた活動メニューをそれぞれの単位で具体化していく、
班からの意見を地区へ、 行政区へ、 そして理事会へと集約していくというトップダウン=ボトムアップ型の組織がつくられ、
しばしば官僚的な傾向 (これは生協の組合員組織では扱いませんというように、
組合員の願いを無視する。 あるいは、 ルール優先で柔軟な対応をとらないなど)
が生まれている。
このように、 組合員組織においては、 まず、
組合員活動の自主性が実際に生き生きと展開されているか、
それとも官僚的運営などで組合員の自発的な思いがふみにじられているか、
という軸がある。
トップダウンか、 ネットワークか
つぎに、 組織のスタイルとして、 上記の班、
あるいは店舗を基礎としたコープ委員会などを軸としたヒエラルキー組織で、
トップダウン=ボトムアップ型の運営がなされている生協がある。
従来のように 「上からの提案」 という指示というかたちでは、
活力が失われるため、 ていねいな説明や合意づくり、
学習の重視などによって、 今日でも生協に対する中心的なファン、
組合員活動の担い手が生まれ、 活躍している生協がある。
しかし、 そういう生協でもすでに班会の開催率や班長会の出席率は低迷し、
組織改革が行なわれている。 多くの生協では、
ボランティアサークルや自主的なテーマ活動グループなど、
ヒエラルキー組織とは異なる、 組合員の自主的活動単位がつくられつつあり、
これらは90年代大きく広がった。
そこで、 ある生協では、 地域のコープ委員会の役割として、
地域にテーマ活動を広げ、 多くの組合員の活動をつくりだすことを位置づけている。
また、 ある生協では、 逆に地域のコープ委員会の役割そのものを見直し、
おしゃべりを中心に、 気がついたこと、 やりたいことをそのときどき取り上げるというものに変わっている。
これは、 それぞれの単位が自主的に決めて活動する、
地域単位やエリア単位などでは個々の単位にこういう活動をしなさいと指示することはなく、
活動を支援したり、 情報を提供したりするという、
トップダウンでもなければ、 ボトムアップでもない、
個々の自律を基礎としたネットワーク組織のスタイルに変わりつつあることを示している。
以上のように、 組織スタイルとしては、 トップダウン=ボトムアップ、
あるいはネットワークという方向性があるようだ。
3. 経営組織をめぐる軸
経営について、 最大の軸はマネジメントがあるか、
ないかというものである。 マネジメントがないと言うと、
極端な言い方であるが、 大きな経営問題を発生させたり、
赤字経営が継続してしまうようでは、 マネジメントが存在しないと言わざるをえない。
大きな問題が起こらないような仕組みをつくり、
その仕組みがきちんと働くようにするのはマネジメントの問題である。
赤字がたとえ発生しても、 連続して赤字にならないように、
実際赤字が克服されるまで打つ手を休めないのがマネジメントである。
「やることにすると決める」 だけでは不十分で、
実際に 「やった」 ことにならないとだめである。
「やった」 だけでも不十分で、 実際に結果を出さなければだめなのである。
結果が出るまで、 徹底することが求められる。
経営が困難な理由には、 対外的環境の問題も少なくないだろうが、
言い訳をするのはマネジメントではない。 それは傍観者の態度である。
マネジメントは主体的に問題を解決する能力である。
特に、 共同購入事業は90年代初めまで安定的に成長してきたし、
投資規模やシステムからいっても高度なマネジメントは必要ではなかった。
マネジメントが問われるようになったのは、 本格的に店舗事業に取り組むようになったことからである。
店舗展開においては、 出店に伴う投資規模が大きく、
立地や不動産購入、 投資回収シミュレーションなど、
高度な経営判断が求められる。 また、 店舗運営においても、
程度の差はあるが基本的に運営のシステムを確立し、
それに沿ってすすめる必要がある。 このように店舗経営にはマネジメントが欠かせない。
チェーンか、 それとも商店か?
その店舗運営についてもいくつかの軸が存在する。
一方の端には、 お店を基本的に単独店として考え、
それぞれが徹底して周りの地域住民の支持を得るように努めるという
「サービススピリット型あるいは商店型」 の運営がある。
アメリカのホームセンターとして有名な 「ホーム・デポ」
(年間売上約3兆円) という大規模小売チェーンがある。
ここのトップは言う。 「うちの社員は究極の目的たるものを理解しています。
究極の目的とは純利益のことではありません。
誠心誠意、 顧客に接することです」 と。 チェーンストアオペレーションが一般に本部に権限を集中して、
店舗の人員はぎりぎりに切り詰めるが、 ホーム・デポでは店舗に有能な人員を配置し、
豊富な品揃えと最高のサービス、 そして 「安さ」
を提供している。
もう一方の端には、 お店をチェーンストア組織として運営するもので、
商品政策や売場づくりの雛形やイベント、 サービスの設計などすべて本部が策定しマニュアル化し、
店舗ではそれを実際に売場に実現されるよう、
かつ、 人員の配置など、 効率的な運営をすすめるという分業型の店舗運営である。
アメリカにおいて、 小売業が急速に発展したのはこの組織戦略の革新があった。
ただし、 これは徹底して標準化した店舗を100、
200、 500と出店することで効果が出てくるものである。
食品スーパーの世界でも、 家電小売業の世界でも、
さまざまな小売業の分野で、 この2つの組織戦略は対決し、
しのぎを削っている。 どちらが利用者の支持を得られるのか、
どちらが職員の元気がでるのか、 どちらが利益を生み出すのか、
これまで生協ではチェーンストア組織論をずっと学んできたが、
あらためて組織戦略のあり方を問い直す時期が来ている。
生協職員は何者?
それでは、 生協職員の位置づけはどういうものであろうか。
多くの生協では、 生協職員は生協運動の担い手と位置づけられている。
その一方で、 食品スーパーのプロフェッショナルになることも求められている。
生協によっては、 食品スーパーのプロになることが生協運動の担い手となることであると言い切るところもあるかもしれない。
そのことは、 生協職員に求められる組合員との関係性をめぐる軸とも関連がある。
生協職員は業務に携わるとともに、 組合員と積極的な関わりを持つこととなっている生協がある。
店長がコープ委員会の事務局を担当したり、 地域の組合員の集まりの事務局になっているところがある。
これに対して、 生協職員はあくまでも業務に専念して、
事業において組合員を満足させるよう全力を尽くすこととなっているところもある。
実際のところは、 職員と組合員の連携の軸はこんなに単純ではないようだ。
職員は基本的に業務に専念しており、 組合員活動の
「お世話」 をしているヒマはないとしているところが、
その代わり、 店舗の運営のレベルが高いので組合員の満足度が高かったりする。
逆に、 組合員活動の 「お世話」 などいろいろ組合員と関係があるが、
それは業務の水準に必ずしも活かされず、 店舗の運営レベルが低い場合もある。
ところが、 徹底して組合員との関係で気がついたことを仕事に生かしていくということをすすめることで、
業務の水準を向上させているお店もある。 これらのケースは、
組合員との接点があるか、 ないかというだけでは不十分であること、
組合員とどんな関係を創るのか、 そしてそれをどれだけ業務に活かすのか、
その内容、 レベルが問われていることを示している。
教えられるのか、 学ぶのか?
「正しい」 というのは誰が決めるのだろうか。
先に述べたチェーンストア組織では、 店舗の人間は本部の指示、
マニュアルにしたがって行動することが求められる。
やり方を教えるのは、 本部である。 そのやり方通りできているかどうかで、
評価される。 これも徹底して次々とステップアップした課題を提示してクリアしていくというようにすれば、
職員の意欲、 満足度は高まる。
これに対して、 何が正しいか、 は変わる。 自分自身でどうしたら一番組合員のためになるか、
一生懸命考えて行動する。 そして組合員に評価してもらう。
組合員が喜んでくれたら私もとてもうれしい。
こういう自ら学んでいく、 他者とともに学んでいくという組織がある。
この場合、 一見、 職員によってやり方がばらばらであり、
生産性も低くなりがちであるし、 利用者にとっては対応がまちまちであることは不平等かもしれない。
しかし、 一人ひとりが自分で考え、 それを互いに共有し、
組織として学習していくとき、 これは自ら革新する組織となる。
放任型に見えるが、 決してそうではない、 新しい学習主体による組織をつくりだしている。
以上、 かなり単純化したかたちで、 今日の生協組織のあり方を斬る軸
(視角) を提示した。 それぞれの生協がどこからどこへ来たのか、
そしてこれからどこへ進もうというのか、 生協の過去・現在・未来を主体的に問い直す参考になれば幸いである。
【コメント】
「くらし創り」 のスタンスが生協の未来を拓く
田中秀樹 (広島大学教授・当研究所研究委員)
1. 「くらし創り」 と 「商品創り」 の本質的違い
多くの生協は、 「聴く実践」 を、 声を聞いて商品改善に反映させる、
というレベルで矮小化しているように思う。 つまり、
商品創りや生協の事業改善のツールとして声を聞いているのではないかと思う。
組合員の 「くらし創り」 「生活創造」 「くらしをふくらませる」
というスタンスに徹底して立てるかどうかが決定的である。
たとえば、 産直政策が、 とかく産直商品基準として議論される傾向
(商品創り) がある。 産直商品基準づくりと産直づくり、
言い換えれば、 産直商品基準と産直原則は、 問題にしている視野や運動の組み立て方、
つまりスタンスがかなり異なるが、 その違いや区別にあまりこだわることなく、
次第に産直商品創りに、 産直運動が矮小化してきているのではないか。
ちばコープのビジョンが 「生活創造-ともに生きるくらし創り」
であるように、 「聴く」 ことは、 組合員のくらし創りの一環であり、
決して商品作りに矮小化できないものがある。
ちばコープでめざしているのは、 組合員の 「くらしをふくらませる」
ことであって、 よりよい商品創りそのものが直接の目的ではないと思われる。
商品そのものの質に、 必ずしも最大の価値がおかれるのではなく、
商品をつくる過程での、 様々な人との出会いや、
その商品の生活的背景をもつ使い方や工夫や想い出、
そうしたものが、 その商品とともに共感の輪として広がるのが、
ちばコープの商品創りである。 広がっているのは、
商品というより、 「商品を介した人と人とのつながり」
であり、 共感であり、 関係性である。 これらが、
くらし創りであり、 「くらしをふくらませる」
ということの中身になっている。
生協の事業がくらし創りとして展開することは、
「くらしの中に、 もう一度、 生協を置き直すこと」
である。 ちばコープを、 「地域のくらしの協同を励ます協同組合」
と呼ぶゆえんはここにある。
こうしたスタンスに立つと、 生協運動は、 「新たな協同運動の展開」
という未来への発展の豊かな水脈を掘り当てることになるのではないだろうか。
こうしたスタンスは、 生協運動が、 地域生活の
「協同運動」 (「豊かな他者関係をつくる運動」)
であり、 地域のコミュニティ発展の一翼として生協が発展してきたという歴史とも合致する。
事業的な対応のみで生協の再生を果たすことは困難であり、
生協の経営再生は、 生協運動の再生、 つまり、
「くらし創り」 を展開することによって可能であると思う。
2. ちばコープにおける 「くらし創り」 スタンスの発見と共有の過程
ちばコープが、 長期ビジョン 「生活創造」 というスタンスを発見し、
理事・職員がそれを共有する過程があり、 その過程を理解することが、
大切だと思う。 単なるノウハウではなく、 「くらし創り」
は、 理事・職員がよって立つスタンスであり、
皆の心の中に落とし込んであることがらだからこそ、
それを発見し共有する過程が大切となる。 スキルやノウハウ、
マニュアルではない故、 簡単にまねしたり取り入れたりできず、
やはり、 どの生協も、 時間の長さ短さはあるにしても、
「発見と共有の過程」 を歩む必要があると思われる。
なぜ、 ちばコープは、 「生活創造」 というスタンスを確立し、
皆が共有し続けていられるのか。 ちばコープが、
当初からこうしたスタンスをとり、 それが皆に共有されていたわけではなく、
組合員のくらしをふくらませ、 協同を励ますというスタンスへの転換と、
理事・常勤職員による共有の過程が、 合併から5年後の
「5周年アンケート」 の実施過程であり、 ビジョンづくりの過程であった。
その過程については、 詳しくは、 昨年の当研究所シンポジウム
「元気が出る生協の条件」 でのちばコープの村井さんの発言、
あるいは昨年暮れの広島での 「地域のくらしから協同を考える」
パネルディスカッションでの藤井さんの発言を読めばよくわかる。
簡単に要約すれば、 アンケートで生協への要求を聞く、
つまり 「生協に何を求めるか」 を聞いたのではなく、
「あなたや家族の願いや思い、 関心」、 つまり、
「あなたの暮らしで大切にしたいこと」 を聴いたこと、
そして、 それを皆で、 理事・職員で読み込んだことがポイントである。
そこから、 「職員、 理事の立場を越えてくらしが丸ごと見えて」
きた。
3. 「くらし創り」 のスタンスから貫かれる機関運営のありかた、
機関の位置づけ方
日生協でも、 昨年 「機関運営のありかた」 に関する文書が出されたが、
その基調は、 理事会のあり方として、 「業務執行の監視・監督・評価」
が前面に打ち出されている。 北海道の生協など、
生協の経営問題を背景に考えると当然の視点だが、
ちばコープの理事会のあり方、 位置づけ方は少し性格が違う。
正確に調べていないので間違っているかもしれないが、
印象としては、 「くらしと政策の討議・立案機関」
的性格が前面に出されているように感じている。
また、 運営委員会の性格も、 「菜の花クラブ」
とか、 あるいは、 「くらし楽しみ隊」 という名前とか、
いわば、 「地域づくり委員会」 的性格ではないかと思いった。
つまり、 ちばコープにおける機関運営組織の位置づけ方は、
かなり独自でおもしろいものがあると思う。
この点では、 宮崎県民生協の機関運営もかなり共通した側面を持ちながら、
たとえば、 理事会は、 より立法機関的性格を強く持ち、
「班→運営委員会→理事会=立法機関」 と政策を組み立てる流れがある。
少し、 ちばコープとは異なり機関組織の位置と流れがきちっとしているが、
共通点は、 理事会の性格が、 「監視・監督」 よりも
「くらしの論議や政策立案」 にポイントがおかれていることだろうと思う。
同じ、 「聴く実践」 というスタンスにたちながら、
ちばと宮崎は、 異なる点が明確になりつつある。
宮崎は、 購買生協にこだわっているが、 ちばは、
あまり購買生協という枠にとらわれず、 「くらし創り」
というスタンスからその枠をも突破しつつある。
なぜ、 そうした違いが生まれたのかも、 研究してみたい点である。
いずれにしても、 生協の機関運営のあり方は、
大事なポイントであり、 非常勤の婦人理事を含めて議論を発展させていくことが大切だと考えている。
(文責・まとめ 若林靖永)