2000年4月号
エッセイ

平成新山に向いて思う

生活協同組合ララコープ
事務理事 赤木 相太


三月五日 (日) の朝、 七時に起床。 昨晩、 明朝雨があがっていれば山に行こうと決めていた。 運よく天気予報は 「曇のち晴」 である。 まず、 犬の散歩に出かける。 本明川を渡り諫早高校の脇道を通り抜け、 重要文化財指定の史跡 『眼鏡橋』 が移築されている公園までを折り返す。 一九五六 (昭和三一) 年七月にこの川が氾濫し頑丈に造られた 『眼鏡橋』 が堰になって六○○人の死者・行方不明者を出す大惨事となった忘れがたみである。 約四○分歩いて自宅に戻り朝食をとる。 妻は洗濯を仕掛けている。 私は早速、 弁当の準備にとりかかる。 九時頃には着替えも済み、 二人分の弁当、 コーヒー、 飴玉などと、 洗面用具一式をディバッグに詰めて出掛けるばかりになっている。 行先は雲仙である。
昨年は五月から十一月まで毎月必ず登り、 冬が終るのを待っていたのだ。 車で約一時間走れば雲仙温泉街に着く。 一九三四年に国立公園に指定された九州有数の名泉である。 温泉街を抜けるとすぐにゴルフ場が見えてくる。 このあたりで標高750mあり、 平地より五℃は低く真夏でも快適なプレーが楽しめるところである。 私たちはゴルフ場に接する池の原園地の駐車場に車を停め、 ここから、 かつての雲仙最高峰 「普賢岳」 (1359m) をめざす。 中高年の低山歩きである。 まず仁田峠 (1070m) まで急坂を三○分かけて登る。 これが実にきつい。 この峠までは有料登山道路が通じている。 二人はここで一息入れて 「あざみ谷」 ルートに入る。 一九九八年十月に入山が解禁されたコースで、 とりわけ秋の紅葉がすばらしい。 約三○分で紅葉茶屋 (1180m) に出る。 ここから頂上までは急登がつづき約二五分で山頂にたどりつく。 時刻は正午、 すでに晴れ間が見えはじめている。 少し寒いが快適だ。
この山頂の東、 500mに平成新山がある。 1990年11月に噴火がはじまり翌年6月3日に大火砕流が発生、 多数の犠牲者を出し、 一九九五年五月まで噴火と崩落を繰り返した溶岩ドームの姿がある。 何と高さは1483mまで盛り上がっている。 普賢岳山頂より124mも高いのだ。 もちろん草木ひとつ生えていない岩と砂の固まりである。 雲仙を訪れ仁田峠にやってくる観光客の目当てもこの溶岩ドームだが、 最も近くで全容を一望できるのはこの山頂をおいてはない。 ここに立ち巨大な岩塊に接すると言葉にできない感動を覚える。 体力があれば、 ぜひここまで登って来てほしいと思う。
長崎は有史以来、 大きな天災・人災に見舞われてきた地であり、 近くは五五年前の原爆投下があった。 戦争の世紀といわれる二○世紀最後の今年八月は反戦・平和を願い訴える大切な節目だ。 この願いを二一世紀に生きる若者と子どもたちに語りつぐ事は私たちの余生に課せられた使命であると思う。
さて、 弁当を食べ、 温泉街に戻って町営の共同温泉に疲れた身体を沈める。 至福のひとときである。 妻や娘と月に一度は雲仙に登り温泉につかる。 自然の恵みと驚異を実感できるこの地は私にとって何ものにも換えがたいところとなっている。



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