2000年4月号
書評2

不思議でおもしろい人間関係

岡本 やすよ
京都生協組合員


「すすめられて、 一気に読みました。 おもしろかったですよ。 一度書評を書いていただけませんか?」
「あの、 私、 永 六輔ってきらいなんです。 ずっとさけてきたんです。」
なんか読まないと損をする気がして、 すぐ駅前の本屋へ。 ありました。 2冊揃って。 読みました。 あっという間に。

―親と子―
大好きになったのは永 忠順さん。 著者の父。 「親である彼らが子供を産んだのではなく、 子供が生まれることによって親になった。 ―略―子供を自分のつごうのいい人間に仕立てあげようとすることが躾や教育という名で呼ばれていいのでしょうか。」 私が初めて出産した21年前。 娘の透きとおる指を見て保護者の実感がわいた。 それまで私はずっと誰かに保護されてきた。 私は親になり保護する側になった。 そして15年後。 息子の不登校により本当の親にしてもらった。 苦しかった3年間。 おかげで今では子供たちとは対等に話し合い、 相談できる関係を作ることができた。 忠順さんの言葉が心にしみこむ。
いやだったのは臓器移植の話。 「臓器移植法は、 文明であって文化ではないのだ。 ―略―人工臓器なら誰に遠慮することなく移植が出来る。」 ドナーの側からだけの感情で反対されるのはひどい。 生き延びる方法がそれしかない、 生きていたい、 生きていてほしいと願う人にとって、 ドナーになってくれる人はモノではない。 人工臓器の開発を待っている間にも死がやってくる。 その苦しみを思いやることはできないのだろうか。

―夫と妻―
印象に残ったのは著者ではなく対談者。
辛 淑玉 (シン スゴ) さん。 江戸時代に、 嫁の心得について貝原益軒が書いたとされる 「女大学」 の項が痛快。 こういうときは嫁を叩き出していいと書いた 「七去」 を 「そこまでしつこく言うということは、 これはとりもなおさず、 そんなふうにやっている人がほとんどいなかった、 ということじゃないですか。」 男女関係、 セクハラについても 「すべてのものは理解できない、 自分以外の人は同じ考えではないのだ、 ということからスタートしないかぎり、 ―略―理解の溝というものはどんどん深まっていくと思うのですね。」
あと、 中山千夏さんの話もおもしろかった。 淡谷のり子さんの思い出話もまあよかった。
募金の話で初めて著者と気が合った。 「入れすぎるぐらいがいいんです。 ちょっと多かったかなと思うといいことをしたという気持ちを忘れません。 この豊かな気持ちはお金では買えません。」 ほんとにそうです。 今度ユニセフ募金の話をするときはこの言葉を使わせてもらいましょう。

2冊続けて読んでやっぱり好きになれなかった。 なんか人の言葉で書いているような、 感性の違いからくる違和感があるような。 けれども、 対談者、 引用者の言葉は示唆に富んでいて交友の広さ、 深さに感嘆しました。 これはひょっとして、 著者の人柄がすばらしいのかしら?


「親と子」 「夫と妻」
永 六輔
岩波新書 2000年1月 各660円



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