1999年12月号
くらし発見の旅
「福祉のまちづくり」 のために、 協同組合ができること
10月27日~28日の両日、 京都府生協連合会
(吉田智道会長理事) の主催で、 第6回京都府生協大会が京都市北文化会館を会場に開催された。
そのメイン企画として福祉と食の安全をテーマにしたシンポジウムがそれぞれ行われた。
そのうち27日の 「福祉のまちづくり」 をテーマにしたシンポジウムでは、
一番ヶ瀬康子 (日本女子大学名誉教授・長崎純心大学教授)
さんの講演と、 京都府下で活躍する団体 (京都民主医療機関連合会、
京都生協福祉委員会、 京都生協福祉事業部、 JA京都美山町、
京都市上京区春日学区住民福祉協議会) が参加しコーディネーターを成田直志
(日本生協連福祉事業推進部長) さんがつとめたパネルディスカッションが行われた。
今回紹介するのは、 「生活福祉とまちづくり」
をテーマにした一番ヶ瀬康子さんの講演である。
協同組合の果たす役割についてあらためて考えてみたい。
「静かな革命」 と生活
国際高齢者年にあたって国連のアナン事務総長は、
現在が 「静かな革命」 の時代であると演説した。
これは人口構成が大幅に変化するということに留まらない。
今までと同じような、 経済や社会、 文化、 心理、
精神の持ち方だと、 これからの長い人生を生きられないという意味であり、
「すべての世代が共に生きる社会」 という国際高齢者年の合い言葉も実現されないということである。
この言葉を聞いて即座に思い起こしたのが、
介護保険を目前にした生協、 農協や市民グループのめざましい活動であった。
「生活」 というのは単に物を消費するだけではなく、
お互いに人間同士がふれあい、 いきいきと生きるためのあり方を助け合い、
協同の力で見つける場所である。 生協の基本的な仕事として、
この福祉に関する助け合いの活動をするべきだというのが私の長年の主張である。
阪神大震災と 「福祉のまちづくり」
「福祉のまちづくり」 という言葉は、 最近ではずいぶんと定着したが、
この出発点は阪神大震災で本当の人間の住まい方とは、
そのためのまちづくりはどうあるべきかという問いからであった。
震災の時には、 コープこうべをはじめ全国の生協が様々な活躍をし、
そのおかげで助かった人も大勢いた。 その活躍の中で明らかになったことがある。
それは、 日頃から 「向こう三軒両隣」 というように、
近所との付き合いが密だった人は救命も避難もその後の立ち直りも早かったということである。
我々がよく言うのが、 「遠くの血縁より近くの仲間」
ということである。 最近では、 子供たちはだんだんと親と住むことが少なくなり、
親と離れて暮らすようになった。 これは仕事の関係や経済的な問題、
また考え方の違いなどからくるのであろうが、
遠くの血縁を頼るよりも近くの仲間と助け合う方が大事になってくるであろう。
日本の都市計画は産業優先のものであった。
例えば車を中心に考え、 歩道橋を作ってしまえば、
高齢者は外出が困難になってしまう。 それが結果的には、
高齢者の足を弱らせて、 寝たきりへと近付けてしまっている。
つまりは歩道橋文化が老人を家に閉じ込めているのであり、
もはやこのような都市計画には限界がある。 そういった状況の中で
「福祉のまち」 の 「まち」 を生活者の視点から考えると、
それは国際高齢者年での原則に挙げられていた、
「自立」、 「参加」、 「ケア」、 「自己実現」、 そして
「尊厳」 という言葉がもっともよく表している。
これらの原則は歩道橋をわざわざ渡らなければどこにもいけない社会ではなく、
私たちが歩いていける範囲に最小限の生命を維持・活性化するための設備がそろっていること、
それがまちづくりの出発点である。 この歩いていける範囲を私たちは
「日常生活圏」 と言っており、 具体的には半径500メートル以内に生活のための拠点がそろっていることを言う。
行政は小学校区や中学校区単位でまちづくりを考えているが、
少子化が進むと学校の統廃合が進み、 校区も広がってしまう。
そうではなく、 私たちの住んでいるもっと身近な日常生活圏の範囲にまちづくりの基盤を戻すべきである。
ドイツや北欧では、 日常生活圏に生協やレストランなどがあり、
そこで高齢者のための食事サービスなども行われている。
介護保険が成り立つ条件
在宅介護を成り立たせるにはいくつか条件がある。
まずは住宅の整備だ。 日本の住宅には段差が多く、
高齢者がよく転んでしまう。 住宅のバリアフリー化を進め、
住まいづくりをしっかりやらなければならない。
生協には住宅改造における相談機能の充実や、
そのための道具類の低価格での供給が求められるであろう。
次の条件はヘルパーの問題である。 ヘルパーの存在はまさに在宅介護の最重要の柱である。
家族の役割は高齢者への精神面でのケアであり、
ヘルパーはそのために身体介護などの技術面での役割を担うことになる。
また、 ヘルパーが働きやすいように、 身近なところにヘルパーの拠点をつくり、
専門家との連携を深めることが必要である。 3つ目の条件はネットワークである。
いざという時に頼れる医療とのネットワークがなければ、
在宅介護は成り立たないが、 日本ではこの点が未成熟である。
スウェーデンではヘルパーと看護婦、 医者との連携がスムーズに行われており、
退院後のケア体制など見習うべきことが多くある。
医療との関係で言えば、 生協の場合には医療生協がある。
医療生協の活動は市民組織とも連携して、 地域に根付いてきた。
できれば校区単位で医療生協があれば、 うまくネットワークを築けるのではないだろうか。
ドイツの介護保険
日本がモデルにしたと言われるドイツの介護保険には、
日本に比べて大きく3つの違いがある。 まず、
施行までに全国に6000ケ所の 「ソーシャルステーション」
というサービス拠点ができている。 さらにそれが、
教会、 労働組合、 市民組織などによって、 ボランタリーにつくられたということが重要である。
日本でも、 そのために何も新しい施設をつくる必要はなく、
最近増えてきた学校の空き教室や公民館、 そして生協の店舗の利用という方法がある。
2つ目の違いは人材が豊富であったことである。
ドイツでは、 介護の専門職の教育を長い時間をかけて行っている。
また、 徴兵されるかわりに介護労働を選ぶ若者も多い。
日本でも、 大学が力を入れて、 学生ボランティアを育成していけないだろうか。
3つ目の違いは住宅の確保を社会的に保障していることである。
日本は持ち家主義であり、 自分で資金を確保して住宅を建てる仕組みになっているため、
高齢者の住宅保障は立ち遅れている。 この不備を防ぎながら、
在宅介護を充実させるために考えられるのが、
グループホームとケアハウスの活用である。 生協でもこういったものをつくって、
在宅と施設の中間として位置付けてもいいのではないか。
介護市場で、 協同組合に何ができるのか
介護保険では民間企業も参入してくるが、 企業は営利体質であり、
利潤を守るためにサービスの質を落とすか、 単価を高く設定するかのどちらかになりかねない。
それに対抗するために、 生協や農協、 NPOなどの市民組織がサービスの供給を行うことが必要である。
これらの組織からのサービス供給は、 適正で公正な価格を守る意味で、
あるいは営利へのチェック機能を果たすという意味で大変重要である。
それに加えて、 非営利の事業と活動は仲間同士での助け合いであり、
ぬくもりがあるということも重要な要素である。
介護保険の保険料をできるだけ少なくするために、
また介護認定をより多くの人が受けられるためにはどうすればいいか。
それは寝たきりや痴呆にならないよう、 お互いに努力することが大切である。
では、 寝たきりにならず、 いきいきと生きる条件とは何か。
それはまずは食事に気をつけることである。 生協でも食事サービスや配食サービスをつうじて健康な食品を提供していってもらいたい。
第2には、 スポーツなどで体を動かし続けることである。
第3には、 生き甲斐を大事にすることだ。 例えば、
学ぶことは年をとってからでも同じように続けられることだし、
定年を迎えたとはいえまだまだ働ける人はたくさんいる。
そして趣味活動。 ボランティア活動で人に喜んでもらい、
それが生き甲斐になることもある。
長距離型ランナーをめざそう
最後に、 アナン事務総長の挨拶をもう一つ取り上げたい。
「今までの私たちは短距離ランナー型の人生を考えてきた。
だが、 これからは長距離ランナー型の人生を考えていこう」。
これからはゆっくりと、 息切れのしない人生を互いに助け合って、
100歳をこえて生きていこうということを、 まちづくりや介護の中で考えていってほしい。
それが本当の意味での 「福祉社会」 であり、 その中での生協などの市民組織の役割は大変重要なものなのである。