1999年12月号
コロキウム(論文)
「21世紀生協労働者への提言」 への問題提起
生協労連東海地連執行委員長
榑松 佐一
生協労働者の自主的研究会、 生協研究会 (以下生協研)
は、 来年に 「21世紀生協労働者への提言」 をまとめることにし、
31回めになる今年11月、 問題提起を行った。
「21世紀生協労働者への提言」 への問題提起
(以下 「問題提起」) は生協危機の本質を明らかにし、
21世紀の生協運動の展望を示すことを目標にしているが、
同時に各単組で、 自分の生協、 職場でどういう提言が必要か考え、
「みんなで提言を創ろう」 と呼びかけている。
また、 労働者への提言の中に 「生協への提言」
を組み入れたことも特徴である。 それは 「仕事をしている時に労組を必要としている」
し、 賃金や休日の問題だけでなく生協の仕事そのものが
「問題」 になっているからである。 これは正規だけでなくパートにも同じく要求がある。
労組が生協のあり方に立ち入って意見をいうことは、
単組によっては 「労使関係」 を変えることにもなるので論議が起こるだろうし、
討議そのものをしない単組もあるだろう。 しかし、
21世紀には労組自身も生まれ変わらないと生き残ることはできない。
なお、 ホームページ (http://www.aik.co.jp/c-pro/clu/)
に全文を掲載しているので、 みなさまにもご一読いただき、
ご意見をお聞かせいただきたい。
地域社会に信頼される事業と運動を
「21世紀生協労働者への提言」 への問題提起の要旨
[1] 現代の生協危機の認識
(1) 危機の本質解明を
この間発生している生協の経営破綻、 信頼失墜の事例を労働組合のたたかいから本質の解明をおこなってきた。
くしろ、 さっぽろ、 道央、 いずみには直接でかけ、
また北海道では再建に全力をあげる現理事者からも直接お話を聞く機会をうることができた。
生協労連はすでに経営破綻が明確になったものについてのみ
「ころばぬ先の労働組合」 ( 『生協の経営危機にどう立ち向かうか』
99年、 生協労連) にその事態を示してきたが、
「問題提起」 ではさらにつっこんで生協の組織と運動の両面について危機の本質を議論してきた。
(2) 民主主義の危機と官僚化
危機におちいった生協では共通して 「民主的運営の欠如」
が指摘されている。 しかし民主主義は生協運動の生命線とも言えるものであり、
トップに民主性が欠けていたとするだけでは解明できない。
「問題提起」 では日本の生協全体が経営に偏重する中で組織の官僚化が起きていることを指摘する。
90年代に入ってからトップマネジメントの強化が言われてきたが各地の総代会での紛糾やトップの不正などが表れてくると今度は
「ミドルマネジメント」 が強調された。 しかしミドルはなぜトップの暴走を止められなかったかが問題である。
企業では組織の官僚化の弊害は重大な問題として常に防止策が講じられてきた。
ところがこれまでの生協運動の中では組織の官僚化は問題にされてこなかった。
しかし官僚化した生協組織の中では自ら意志決定を行うことができず、
聞いてきた組合員の声もただ報告し、 聞き置くだけになってしまうのである。
[2] 協同組合戦略と近代的手法
(1) 生協の危機をめぐる2つの論点
危機をめぐる論点としては生協企業化と民主主義・生協らしさの欠如の2つに問題を整理した。
企業化については 「行き過ぎが経営偏重につながった」
とする論と企業化を近代化ととらえ 「組織の近代化の遅れが不正や民主的運営を阻害している」
という双方の議論がある。 現在危機に陥っていない生協であっても、
経営危機を強迫観念に近い形で労働者に押しつけているところもある。
かながわでは 「行き過ぎた企業化」 と総括され、
さっぽろが 「一時的な経営的成功で生協運動としての民主主義を失ったことが破綻の本質である」
ことを示したにも関わらず企業化の成功だけで走る経営者には警告が必要である。
いずみ問題では短期間に100名もの退職者を出したことが
「異常」 なこととして取り上げられたが、 現在経営的に成功と言われる生協で年間100人の退職者が出ているのは物言わぬ警告ではないか。
一方生協らしさをめぐる論議では 「消費者の生協の時代の終わり」
( 『消費者の生協からの転換』 田中秀樹、 日本経済評論社)
という企業化と生協らしさの喪失を危機の本質ととらえる議論と個の確立尊重を流れとする新しい協同を取り入れる必要を説く議論がある。
生協らしさや民主主義と企業化を対抗的にとらえるか並立が可能かが議論になる。
対抗的にとらえる議論では経営対策としての企業化が民主主義を消極的にしたり、
生協らしさにこだわることが必要な近代化を遅らせる口実にされてきた。
しかし民主主義は、 早まったり遅くなったりはするが一方向的に進歩するものである。
企業化も生協らしさも民主主義の進歩と並立的に進むがその早さは一様ではない。
急速に進んだ民主主義の中ではかつて生協らしかったものが遅れて見えたり、
企業化だけが先にすすんで企業化が生協らしさを奪うかのように見えることもある。
(2) 生協らしさ・民主主義と近代化
生協らしさのもっとも重要な要素は民主主義である。
企業化・近代化と民主主義を対抗的にとらえ、
企業化の中で結果的に民主主義を捨て、 生協らしさを喪失してきたといえる。
経営の危機感から強迫観念が支配的になると職場の中からも生協らしさや民主主義を対抗的にとらえる声が発生する。
危機はここから生まれた。
(3) 協同組合の戦略に基づく近代的手法の活用を
21世紀の生協運動の戦略を考えるうえで、 国民生活の状態を正確に分析し、
この上にたって近代的な手法の活用が求められる。
まず着目したのは 「日本の生協が急速に若い主婦の支持を失いつつある」
という事実である。 かながわの調査ではかつて1割以上あった20代の利用がすでに2%を切っており、
日生協の組合員調査でも利用年令が毎年1才上がっている。
事業的にも組織・運動の組立からいっても日本の生協が後退局面に入っており、
小手先の経営対策で済まないことは明らかである。
この問題意識から協同組合戦略に基づいた近代的手法の活用について論じている。
事業的には年令データを用いたマーケッティングリサーチが不可欠である。
生協組合員のくらしの状態を正確に分析することなしに、
メーカー情報や一部の組合員の意見に頼っているだけでは生協のオリジナルは創り出せない。
また組織論についても 「金太郎あめ」 の組織から一人ひとりの違いを尊重した協同組織のあり方への転換を求めている。
多数決による民主主義では矛盾する個の尊重と協同という新しいテーマに積極的に取り組まなければこれからの協同は発展しない。
[3] 新しい時代のコミニュケーションと組織の変革
(1) だれのためのコミニュケーションか
「職員はもっと商品知識を」 「商品部はもっと専門性を」
「経営のプロに」 「担当者はコミニュケーションを仕事として」
という指摘はそれ自身間違ってはいない。 しかし今日の生協危機の本質はそこにはないように思われる。
もっと 「プロ」 化したときに組合員は生協を必要とするだろうか。
生産者は生協組合員のためによい農産物をつくってくれるだろうか。
職員と組合員、 担当者と管理者、 現場と本部が組合員の暮らしの願いを共感できなくなっているから、
商業ベースのコピーの商品しか企画できなくなっているのではないか。
商品政策の変更がなくても実務段階ではメーカー政策が変更されているという実態があるのではないか。
(この件については日生協や事業連合の構造にまで事実をつっこんでいく必要がある。)
聞く活動が全国で展開され、 何万件という声がLANを使って集約され、
「組合員の声で企画しました」 という欄が注文書に掲載されている。
しかしそれは担当者や組合員の喜びにつながっているだろうか。
このことを痛感したのは新潟の農協労連と生協労組が行っている労働者状態調査からである。
詳細を説明する余裕がないが、 「調査に参加した仲間が元気になった。
地域を見る目ができた」 と聞く。 コミニュケーションは労働者の主体を育てる活動であると言える。
(2) 情報共有型コミニュケーション組織
以上のように情報共有型のコミニュケーションを基本とする組織は下図のようになる。
従来のタテ型組織では情報は上下に伝わるがそれぞれ一方方向である。
「話し合い」 は求められない。 リスニングやミドルアップが強調されることもあるが補完的である。
聞く活動が上に行くほど 「聞くだけ」 になる。
評価や競争の導入により上方向には 「成功事例」
のみが報告される。 他の職場が 「失敗事例」 を共有することはできない。
情報共有型ではマネジメントの基本が情報の共有になる。
とくに失敗事例を共有することで担当者自身が自分たちの問題として考えるようになる。
自分が感じたことを組合員の中にも伝え、 共感が広がる。
生協組織全体も情報の共有を重視することで不要な階層組織を減らすことになる。
官僚的なミドルは不要になる。
[4] 労働組合の果たすべき役割は
生協労連は生協労働者の2つの使命として労働者としての要求実現と権利の拡大という一般的な使命と生協運動の民主的発展をかかげ、
その統一的な実現のためには生協運動に3つの民主制を確立することが必要だと定式化してきた。
それは①組合員組織関係の民主制②業務組織の民主制③労使関係の民主制である。
戸木田嘉久氏は 「専門的使命の解明は不十分」
と指摘する ( 『生協職員論の探求』 戸木田嘉久、
三好正巳編、 法律文化社) が、 専門的使命は単協での労使関係やスタンスの違いにより実践的にはまだ統一的な理解に至っていないというところである。
単協によっては労組が経営政策や運営問題について発言することを極端に嫌ったり、
また単組も職場に十分な力量を持たないまま経営問題にコミットすることは労働組合の民主的運営の面からも問題を起こしかねないのである。
しかし近年の生協危機は、 労働組合に経営分析の必要性を促し、
あちこちで生協の民主的運営問題が発生すると労組も考えざるを得ない状態になっていることを示している。
すでに秋田・由利生協では労働組合と元組合員による新しい生協づくりが始まった。
ふくしまでは生協組合員と労働組合が217人も参加して1泊の生協研究会を開催して生協の再建活動を行っている。
さっぽろでも労働組合が生協組合員の家庭を訪問して増資の活動を始めている。
このような情勢を反映して 「問題提起」 が議論をされている。
いぜん単組のスタンスの違いは大きいが生協研運営委員会は21世紀の生協運動の発展のために労働組合の果たすべき役割は生協運動に民主主義を育てることだとまとめて全国の生協労働者に問題を提起した。
ここについては 「問題提起」 をそのまま引用する。
生協に民主主義を育てるための労働組合の任務
あと10年もすれば市民生協の創立期メンバーはいなくなる。
しかし私たち労働者は 「消費者の生協の時代の終わり」
にも舟をこぎ出さなければならない。 理事者は21世紀のビジョンの検討に一生懸命だが、
私たちは私たち自身の明日の時代のためにこの10年をきちんと見据えてたたかうことが重要である。
「生協労働者の2つの使命とと3つの民主制」 の視点から生協運動に民主主義を育てる労働組合の役割が重要である。
(1) なかまのたたかいの経験から
①理事会とは異質の論理で
「良い商品」 「組合員のため」 と言う理事会の言葉をただ信じているだけでは過大投資を止めることはできない。
「経営者」 は赤字という事実より赤字を表面化させることの方をおそれ粉飾・経営破綻をまねいた。
労働組合は理事会とは 「異質な論理」 (99年7月5日、
生協労連東海地連生協研での浜岡政好佛教大学教授の講演)
で生協のあり方について考え、 経営者に対して意見を言うことができる。
労働組合が経営問題、 生協の運営問題に意見を言ったからといって
「経営に責任を持たなければならない」 ようなことはない。
経営者には経営者としての権力と金と時間があるのだから経営者が責任をもつべきであり労組に経営責任を押しつけてくるような経営者にはやめてもらったほうがよい。
②生協運動に民主主義を育てるカウンターパワー
組合員不在の運営は幹部の腐敗を生む。 組合員による牽制が必要だがそのためには職員による情報の公開が必要である。
カウンターパワーとしての労働組合の存在が経営に対して緊張感を与え、
生協に民主主義を保障する。
理事会同士は成功事例の交流しかできない。
今回の経営破綻や粉飾でも理事会内部や他の理事会、
日生協から問題の指摘はほとんどされてこなかった。
労働組合は単協を越えて失敗の事例を交流できる。
独自に持てる情報を活用し組合員の立場にたって経営者に意見し、
組合員に情報を公開することで民主主義を育てることができる。
③日常トレーニング
経営責任、 経営危機を実感したらそのことを労組員に明らかにし、
職場の仲間の実感にできるか。 団体交渉で理事会を論破しても、
仕事の場で職員が生き生きと働けるようになっていなければだめだ。
仲間が仕事に展望を失い、 退職者が1年に50人100人もでているのに
「労使関係が良い」 なんてことでは執行部の姿勢が問われる。
理事会は、 カウンターパワーを嫌い、 弱めさせるために、
必要なことすらさぼるというのが常道。 ふくしまやさっぽろのたたかいは労働組合が労働者の一致する要求で団結したたかいきることが不可欠であることをしめした。
それは危機に陥ってからでは遅い。 日常的なトレーニングが必要。
いつでもストライキを打てる力と体制を確保できるか。
「国民的課題では今や労組員は結集しない」
とくらしを厳しくしているものとのたたかいを放棄していては団結は強まらない。
経営幹部の不正により自主廃業に追い込まれたとき山一証券の労働組合は何もできなかった。
企業内の従業員組合に終始した結末である。 社会的な公正と正義をめざすたたかいを、
自分たちの力量に応じてきちんと位置づけることが重要である。
④情報の公開
「民主的」 かどうか判断するのは誰か。 それは一部常勤者だけではない。
多くの組合員であり、 社会的にも公正さが求められる。
情報の公開は21世紀の生協の民主主義にきわめて重要である。
労働組合は労使協議での情報提供と自らのネットワークで生協の情報を獲得し、
理事会に対し積極的に情報の公開を求めることが必要である。
(2) 労働組合の自己改革を
①地域社会から見て公正か
仕事の場における労働者 (正規・パート) の地位の向上が重要である。
労使関係では人事問題を絶対に許さない。 労使懇談会を多くおこなうことで仕事の問題も労働組合として発言をできるようになる。
また企業内に閉じこもらず地域の仲間と結びついた労組活動も重要である。
生協労働者の具体的要求を取り上げ、 地域に持ち込むことで理解と共同が広がり、
逆に地域社会から見て公正な運営になっているか確かめることが可能になる。
②生協とは何かを考える生協研活動を
「この間職場に入り、 職場に起きている現象を考察してわかったことは、
生協労働者が生協で働く意味や、 生協の社会的役割がわからないということが要因としてあることです。
……経営危機があろうとなかろうと生協労働者の生協運動に関する学習、
教育、 その実践的行動は継続的に行うことが必要だとしみじみ感じています」
(コープさっぽろ労組臼意委員長)。 「組合員が主人公」
の生協運動を維持するためには労働者の中に主体形成が不可欠である。
単組で生協研を行う意味はここにある。
③労組自身の自己改革を
労働組合も規模の拡大により官僚制は発生する。
それは慣れ、 妥協、 当面の困難さから発生する。
官僚制の発生を自覚し、 自らの組織革新に取り組むことが求められる。
またこれまで常識であった 「多数決による民主主義」
だけでは不十分になる。 代議員制では少数意見も尊重し、
執行部と違う意見もその理由を構成員に積極的に知らせることで全体の理解を広げることが必要である。
一枚岩の団結から多様な価値観を認めあう団結への発展が新しい時代の民主主義である。
生協労働組合運動が新しい民主主義の段階へ自己革新をすることが、
2000万人が参加する日本の生協運動に新しい時代に通用する民主主義を育てるパワーとなる。
労働組合の任務は生協運動に民主主義を育てるところにある。
(3) 生協の危機に陥らないためのチェックポイント
経営危機チェックポイントⅠ
①大きな投資の時は十分説明されているか②決算方法の変更があった時に理由はなにか③減価償却は適切にされているか④必要な積み立てはされているか⑤借入金は正しく表示されているか⑥出資金は一部の組合員に偏っていないか⑦高額出資者、
組合債はないか
経営危機チェックポイントⅡ
①管理職は上ばかり見て仕事をしていないか②ミドル
(部長以上) は集団として育成されているか③権限の集中、
無理の押しつけはないか④現場の長の意見は取り上げられるか⑤会議は報告だけで終わっていないか
経営危機チェックポイントⅢ
①退職者が多い職場には必ず労働問題がある。
その理由は何か②労使交渉・協議は必ず複数で行われているか③法律、
確認したルールは守られているか④労組役員の活動は保障されているか⑤労組の活動への干渉介入はないか
くれまつ さいち
1978年、 名大生協を経て名勤生協に入協。 81年名勤生協労組執行委員長、
以後労組活動を続ける。 91年より労組専従。 98年より生協労連東海地連の活動に専任。
89年より全国生協研究会の運営委員として研究会活動に参加。
日本福祉大学大学院情報経営開発研究科修士課程に在籍。