1999年12月号
特集

青年と協同
21世紀の新しい「生き方」と「働き方」



この特集では、 岡安喜三郎さんの論文 「青年と協同組合」 ( 『協う』 1999年10月号。 以下、 岡安論文) の中身を、 実際に協同や協同組合の現場に関わっている青年の側から議論していく。 岡安論文では、 21世紀の協同の構図として、 ①コミュニティ・ベースの"協同"②協同組合青年フォーラム、 ③多様な協同組合の存立が掲げられている。 これを以下のように認識し、 この特集では考えていきたい。
まず、 青年たちが、 何か切実な問題に直面したときに、 「私」 の関心、 問題意識から出発し、 解決するために、 何かに依存するのではなく、 自分の力で、 あるいは互いに問題を共有する人同士が協同して、 自分たちの手で問題を解決していく。 そのことが単なる 「私的行為」 の領域を越えて社会的な意味や価値を生み出していく。 その実践から青年は何を学び取っているのか。 「協同」 という行為、 あるいは、 協同組合という組織形態にどういう価値や意味を感じ取っているのか。 また、 仕事として協同組合という組織・職場を選択している青年たちは、 自分の将来や協同組合の未来、 地域社会の未来をどう描こうとしているのか。 既存の協同組合に魅力を感じているのか、 いないのか。 さらに、 21世紀に向けて、 様々な非営利・協同組織が単独の組織を越え、 個人を越えて集える場は求められているのか。
以上のような論点について、 非営利・協同の組織の現場で働く青年として、 大阪高齢者協同組合 (以下、 高齢協) で働く豊吉寛子さん、 (財) 大学コンソーシアム京都で、 NPOへインターンした学生、 佐々木直美さん、 そして学生と一緒に商店街づくりを進める早稲田商店街の 「いのちの街づくり実行委員会」 の活動、 の3つの取材から、 青年と協同の関係について考察する。


(1) 大阪高齢者協同組合で働く
日本労働者協同組合連合会 センター事業団
平野地域福祉事業所 所長 豊吉 寛子さん


たった1分でなにがわかるの!
一昨年、 就職活動で一般企業を受けたときに、 7人ぐらいがひとつの部屋に入れられて、 短所と長所を1分間で話して下さいといわれた。 そのときに 「たった1分だけで私の何がわかるのか。 結局この会社で働いても、 全体の一部としてしか見られない」 と思った。 それで、 非営利組織である農協や生協に興味を持つようになった。 高齢協はたまたま友人に誘われて来たけれども、 説明会の時に見せてもらったビデオで、 高齢者自身が仕事おこしをしていくことに魅力を感じた。 それに、 一般の企業では会社が儲かって、 自分の給料が上がれば確かに嬉しいが、 本当にそれだけでいいのだろうかと思っている。 自分の地域を見たときに、 高齢者のたまり場や子どもの遊び場など、 欲しいと思っているものがない。 高齢協であれば、 利益を地域に還元して、 そのような地域に必要なものを自分たちの手でつくることができる。

仕事の担い手であり経営者
働きだして1年目は給食や清掃など、 高齢者と一緒に現場で働いていた。 給食や清掃などは誰にでもできる仕事だけれども、 協同することにどういう意味があるのか考えた。 団会議といって、 月一回職場の人たちで話し合う場がある。 そこには上下関係など無く、 仕事に関しての学び合いや、 自分たちがやりたいことを出し合う。 その中ででてきたこと、 やりたいことを仕事にしていく。 あとは一人ひとりが経営に責任を持つということ。 そのために経営の透明性が必要になる。 団会議などで、 何にいくら使ったなどの報告をすると、 組合員からは 「もっとここを切りつめられないか」 などの発言が出てくる。 厳しい経営状況がわかるし、 自分自身が経営している意識があるから、 単純に給料を上げろという要求は出てこない。

高齢協で働くことの意味
高齢の組合員が 「趣味だけでは 『生きがい』 にならない」 と言っていた。 仕事がいきがいであるし、 それもただこなすだけでなく、 自分の仕事が社会に対してどれだけ役に立っているかがわからないといけない。
「たとえこの事業所や労働者協同組合がつぶれたとしても、 またこの様な組織を作りたいと思う。 雇われるのがイヤだというのがあるのかもしれないけれど、 マニュアルを渡されてその通りに営業活動をして仕事を取ったとしても、 それは自分の仕事ではない。 自分の意志で行動して、 自分の言葉で営業活動をして、 はじめて自分の仕事だと思う」 と豊吉さんは話している。
自分の 「仕事」 が地域に位置付き、 地域の人たち、 社会に対してどのように役立っているかが見える。 そこを基盤にしながら、 自らの働き方をどうしていくのかを、 考えて行動していく。 そこに協同組合で働く意味や魅力を見出しているのではないだろうか。


(2) 非営利・協同組織にインターンする
(財) 大学コンソーシアム京都 NPOインターンシッププログラム (NPOスクール)
(参照、 『協う』 1999年8月号 「視角」)
大阪高齢協にインターンした佐々木 直美さん
(龍谷大学経済学部4年生)


大阪高齢協にインターン
大阪府枚方市に今年7月に設立された大阪高齢協の 「ホットステーション御殿山」 にインターンした。 高齢協はここを地域福祉の発信地にしたいとのねらいがある。 5人の専従職員がいるが、 そのすべてが女性である。
ここにインターンしたいと思った動機は、 将来介護施設で働きたいと考えていたからである。 佐々木さんはNPOスクールで高齢協を知った。 その紹介パンフレットを見て 「受ける福祉」 「与える福祉」 ではなく、 「参加する福祉」 「創る福祉」 をめざすという高齢協に関心をもった。 従来の 「福祉」 や 「施設」 のイメージと違っているのでインパクトが強かった。 そして、 自分の将来を考えあわせると、 枚方市の 「ホットステーション御殿山」 の活動について、 地域にどんなニーズがあるのか、 ニーズと施設の間にどのような課題があるのかを考えてみたいと思った。
「ホットステーション御殿山」 は、 設立されて間もないこともあって、 やってみたいと思っていた地域のニーズ調査どころのさわぎではなかった。 民家を活用して作られた事務所の看板作りや、 ヘルパー講座への参加の呼びかけ、 枚方市にある介護施設や病院のマップ作りなどの実務に追われながらの毎日だった。

協同組合として 「高齢協らしさ」 を大切にする
佐々木さんがこのインターンから考えたことは何だったのか。 それは、 高齢協だからできることを考えなければ、 介護保険施行後、 ユーザーによる選択に耐えられないのではないか、 ということだ。 地域の特別養護老人ホームは、 それなりに知名度が高いが、 高齢協はまだまだ知名度が低い。 だからこそ、 「高齢協だから」 できることをアピールすることが大事ではないか。 他のヘルパーステーションでは巡回型にしろ在宅型にしろ、 時間とサービス内容が決まっている。 高齢協なら、 ヘルパー以外にも地域の組合員同士の様々なつながり (協力) で、 より地域の高齢者の横のつながりを創っていける。 そのことによって、 「点」 でしかない介護サービスを、 その人を取り囲む人間関係・社会関係を創りだし 「面」 にすることが可能ではないか。
佐々木さんは、 そこに組合員自身が地域の福祉を受け身ではなく自分たちで創っていく高齢協の可能性があると考えている。 高齢者も含めて地域で生活する人同志が、 出資して主体的に創る、 サービスの作り手にもなれれば、 受け手にもなれる協同組合の強み、 可能性を感じているのである。

自分の 「生き方」 と 「仕事」
インターンを通して考えたもうひとつのこと、 それは 「働き方」 についてである。 多くの人は仕事とそれ以外の生活をきっちり分ける。 しかし 「協同組合という場は、 仕事とプライベートがなかなか切り離せないような働き方なのでは」 と感じたという。 インターンする前は、 当然、 自分の 「生き方」 と 「仕事」 は分けて、 離れているものだと思っていたが、 高齢協に関わって、 いろんな働き方をする人たちがいていいんじゃないかと思うようになった。 協同組合は、 「生き方」 と 「働き方」 が近い人に向いているのかもしれない。 そのような 「働き方」 は、 社会的に意味があるからするだけでなく、 それ自体が楽しいことなのではないかと感じた。


(3) 空き缶リサイクルから街づくりへ―コミュニティを再生させる―
早稲田商店街会長 安井 潤一郎さん


都の西北、 早稲田の街では、 今地域の商店街が大学生を巻き込みながら、 活気ある街づくりの取り組みが進められている。 その街づくりは、 環境問題をきっかけにして始まった。
商店街会長の安井さんはいう。 地域と商店街は切っても切れない。 せいぜい500メートルの範囲が顔の見える範囲だ。 コミュニティは 「近所付き合い」、 環境は 「身の回り」 と翻訳して取り組み始めた。 補助金に頼る、 他人に依存するということだけでは、 結局商店街の活性化、 街の活性化なんてできない。
早稲田は住民が2万2千人、 大学生が3万人。 大学の街なのである。 ここに7つの商店街がある。 夏休みには、 3万人がいなくなってしまい、 夏枯れが発生する。 96年、 夏枯れ対策として、 「サマーフェスティバル in 早稲田」 という名前で、 夕涼みコンサートでもやろうかという話になった。 しかしそれでは人が集まらない。 ちょっと賢い奴が、 「エコサマーフェスティバル in 早稲田」 にしようと言い出した。 頭にエコをつけた。 「環境と共生 いま早稲田から」 という副題がつけられた。 あまり中身は考えていなかったけど、 環境に優しい商店街を作ろうと、 環境産業のメーカーに声をかけて、 協力しないかと呼びかけた。 すると、 商店街が環境問題に取り組みだしたとすごく注目された。
環境産業関連メーカーに全面協力してもらい、 環境にやさしい街をテーマにして、 一日ごみゼロ実験をやってみようという話になった。
そんな中、 特に注目を集めたのが、 空き缶回収機だった。 空き缶・空きペットボトルを入れると減容する機械なのだが、 減容している時間に、 モニターでサッカーゲームが始まる。 ゴールが決まれば、 チケットが出てくる。 そのチケットには、 いろんなサービスが書いてある。 面白いと行列ができ、 当日販売した缶ジュースの本数以上の空き缶が集まった。
この一日企画の実験で、 全体のごみの実に8割近くまで再資源化できた。 これをきっかけに、 早稲田商店街はごみゼロ平常時実験にチャレンジしていくことになる。
今、 早稲田商店街の一角にはエコステーションがあり、 そこにはあの空き缶・空きペットボトル回収機が設置してある。 空き缶、 空きペットボトルを投入して、 当たると出てくるチケットには、 「コロッケ3つ無料」 とか 「ビール割引券」 とか 「豆腐30円引」 とか書いている。 なかには 「麻雀1人、 1時間無料券」 などもある。 麻雀するには仲間がいる。 あと3人呼びかけてくる。 1時間無料でも、 1時間では麻雀は終わらない。 歯医者さんが出してきたのは 「歯の無料診断券」。 虫歯が見つかったら、 その後は治療 (もちろん有料)。 どんどんこのチケットがきっかけになって、 商店街内での商売と交流が深まっていった。 環境問題というきっかけで取り組みはじめたが、 実は地域の中の販売促進になっていたのである。 空き缶・空きペットボトルの回収機ではなく、 実は 「お客さん回収機」 だったのだ。 エコステーション事業部長の藤村洋一さんは言う。 「リサイクルは手段。 リサイクルだけやろうと思ってもすぐに枯渇してしまう。 リサイクルを通じて、 地域での物のやりとりが増え、 人と人とのコミュニケーションが増加する。 結果として、 人と人との関係が深まってきている」。 ここに、 この実践の本質がある。
96年に始まった商店街のイベントに、 早稲田の学生たちも関わり出してきた。 96年の 「第1回エコサマーフェスティバル」 では、 インターネットを使って世界の環境サイトを検索するコーナーを創ったが、 商店街のメンバーだけではできないので、 西早稲田にある東京コロニー情報処理センター (自立をめざす障害者の団体) に協力してもらって進めた。 その中には、 『五体不満足』 (講談社) の著者で知られている乙武洋匡さんも加わっていた。 乙武さんは、 この活動をきっかけに、 早稲田商店街の街づくり活動に関わり始め、 環境に関するイベントで 「街と心のバリアフリー」 というタイトルで講演する。 生まれてはじめて、 人前で話す機会を得た。 活動を通して 「ぼくじゃなきゃできないこと」 を大切にすることの重要性に気づく。 現在では彼らが中心になって、 「早稲田いのちのまちづくり実行委員会」 として、 バリアフリーの街づくりへの活動が試みられている。 今年8月に開催された 「エコサマーフェスティバル」 には、 100人近くの高校生や大学生がスタッフとして運営に関わっている。 確実に、 若者も巻き込みながら、 早稲田のコミュニティ創りは広がりだしている。

生まれつつある 「多様」 な 「生き方」 と 「仕事」 
会社中心主義はだんだん崩れてきている。 青年たちは、 「生き方」 と 「仕事」 の新しい関係を模索し始めている。 人と人との関係が、 市場経済の中で限りなくモノとモノとの関係に置き換えられ、 その中で個性が見えなくなり、 ついには 「自分」 を見失いかけてしまう。 だから、 かけがえのない 「私」 の存在を大切にし、 「個」 が大事にされながら、 共生し合う関係を求めて、 時代は大きな転換期に入っているのだ。 社会現象として取り上げられる若者の離職率の高さは、 「目的意識がない」 「我慢や忍耐が足りない」 といった声に押されて、 それが原因のように映る。 しかし、 現実は違うのではないか。 それは、 「私」 の生き方と仕事が喧嘩をしない、 調和した関係を探し求める若者の切実な姿でもあるとみることができる。 その意味で、 今までのような会社中心主義や 「卒業即会社」 という従来の公式は、 青年の側から異議申し立てを受けているのである。

自分らしく、 楽しくがキーワード
「自分らしく生きたい」 という思いをベースにした自律的な生き方、 「自分がやりたいこと、 楽しいこと」 から自分の仕事を考える、 なければ創る、 という多様な働き方を探す大冒険が始まっているのである。 そのような青年にとって、 会社は"One of them"でしかない。 つまり、 21世紀には会社のみが唯一支配的な経済主体ではなくなることを示す萌芽的現象であるとも捉えられる。 非営利か営利かを問わず 「社会正義」 や 「会社のため」 が先に立つと、 「全体」 に 「個」 が埋没してしまう。 「自分らしさ」 と 「楽しさ」 が前面に出てくると、 「生きがい」 と 「働きがい」 がつながってくる。

実現したい、 「青年協同フォーラム」
岡安論文に提起されている、 「協同組合青年フォーラム」 のように 「協同組合」 の青年が集う場というよりも、 むしろ、 ベースとして協同に価値を置く多様な個人・組織が出会う場としたほうがいいのではないだろうか。 したがって、 「青年協同フォーラム」 とした方が望ましいと考える。
この場は新しい生き方、 働き方を発見する場である。 そこでは個々に持つ固有な経験を、 その組織に固有の言語で、 その組織として意味づけしているレベルを越える。 つまり、 共通言語を形成するプロセスを大切にする。 経験の持つ意味・価値を普遍化して語り合うことが共通言語を持つプロセスになる。 この行為は、 自らの生き方・人生の価値観から今の自分の組織と活動のあり方を見つめることにつながり、 必ずや個々の組織と活動そのものの質的充実、 幅を広げることになる。
21世紀に向けて、 非営利・協同を志向する人々が、 互いに自らの活動のどこに価値を持ち、 どのようなくらしを、 地域を、 社会を実現しようとしているのかを交流する。 その交流を通じて未来の当事者である青年による21世紀像を浮かび上がらせることの意味は、 非常に大きいと思われる。

21世紀の 「カッコイイ」 生き方
21世紀には、 会社であれ協同組合であれ何らかの 「食っている」 という意味での本業を持ちつつも、 同時に多様な社会的役割を担いながら生きていく方が 「カッコイイ」 と思われる時代が来る。 みんなが自ら生活の足場となる地域や大学―コミュニティ―でお互いに輝き合う関係がたくさんある。
11月14日 (日) に京都市内で 「きょうとNPOフォーラム'99」 が開催された。 そこでは、 NPOへの就職というよりは自らの将来の 「働き方」 について、 生き方の選択肢が一つ増えたんだという考えが出された。 営利であれ非営利であれ、 一つの会社 (組織) に入ったら、 そこの一員になる。 だから他のことはできないという生き方ではなく、 一つの人生の中でいろんなことをするほうが魅力があるし楽しそうだ。 会社だけではない生き方が 「カッコイイ」 という意見が参加者の中で共感されていた。
上記のような問題意識を持って新しい 「働き方」 を模索する青年たちが一定の 「層」 を成してきているということである。 「青年協同フォーラム」 をぜひとも開催したいと思う。 既存の協同組合も含めて、 多くの青年に参加を呼びかけたい。





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