1999年10月号
エッセイ

「作る」

龍谷大学生活協同組合専務理事
 小林 和美


私は千葉の田舎の生まれ。 昔の田舎のことだから、 今のように 「捨てる」 という習慣がなく、 古くなったり使わなくなったものでも、 全部とってあった。 物置の中には、 ヒビの入った七八回転の浪曲のレコードだとか、 さびた鋸や古クギだとか、 竹カゴ、 土瓶や火鉢、 木っ端だとか、 ガラスのラッパ (今考えれば、 母乳の吸出し器) とか…。 子どもにとっては、 それこそ宝の山のようなものだった。
「ウソー」 といわれそうだが、 子どもの頃は内気で内向的だったので、 物置の中からガラクタを持ち出しては、 いじくりまわして一人遊ぶことが多かった。 そんなこんなで手仕事というか、 日曜大工というか、 「ものを作る」 ことが趣味のひとつになった。
これで助けられたのが、 三年前交通事故で足を骨折して半年間も入院させられたとき。 ものを作ることで生活のリズムを保つことができたし、 ヒマをつぶすことができた。 竹を細工して鈴虫の笛、 鴬の笛、 おならの笛。 でんでん太鼓とか竹とんぼなども作った。 一日フルに使えるのだから数もできる。 これらは保育園のバザーに出して一万円以上稼いだ。 大きいものでは小学校の御輿行列の大団扇を四本作ったし、 生協関係でいえば、 「どうせ夫はヒマだから」 と妻が注文を取ってきて、 京都生協のコープ石田店のオープン二十周年の記念式典に使う 「くす玉」 も作った。
妻は 「あんたの仕上がりはきれいじゃない」 と評するが、 使用に耐えるかどうか、 いかに安くあげるかが基準であって、 必要に迫られて、 子どもの勉強机、 二段ベッド、 食卓なども作ってきた。 つまるところの夢は、 どこか山の中に地べたを確保して、 建築廃材をもらってきて、 自分で家を作ること。 入院中に知り合ったダンプの運転手にそんなことをしゃべったら、 「捨てるのにも金がいるんだから、 電話一本で四トンダンプ、 二杯でも三杯でも運んでやるで。 ショベルカーの兄ちゃんに言っとけば、 柱とか梁とか、 あとで使えるようそっと持ち上げるんだ」。 燃やすだけではもったいない。
「生まれ変わったら大工になる」 と家族に宣言しているが、 生まれ変わるときにリセットされるだろうから、 どのみち生協に関わって似たような仕事をしているような気もする。




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