1999年10月号
書評
高齢社会における協同組合の"針路"を展望し、
提言する
杉本 貴志
関西大学助教授
『福祉社会と非営利・協同セクター
-ヨーロッパの挑戦と日本の課題』
川口清史・富沢賢治編
日本経済評論社 1999年 3500円
政府や自治体からなる公共セクター、 および株式会社などの民間営利セクターに対置し、
第3のセクターとして 「非営利・協同セクター」
を想定するアプローチ、 そしてその中心に生協など協同組合を位置づけようというアプローチは、
日本の協同組合陣営・協同組合研究においてもすでに一定の市民権を得たといっても良いであろう。
それどころか、 たとえば本紙 『協う』 の読者であれば、
このような非営利・協同セクター論こそが現在の協同組合研究の主流であるという印象を持つ方々も多いのではないか
(いうまでもないが、 主流であるということは、
問題がないということとは全く一致しない)。
とくに本年1999年は、 富沢賢治 『社会的経済の分析-民間非営利組織の理論と実践』
(岩波書店)、 角瀬保雄・川口清史編著 『非営利・協同組織の経営』
(ミネルヴァ書房)、 そして本書という具合に非営利・協同セクター論が続々と刊行され、
21世紀のあたらしい協同組合研究へのいわば橋渡しの年となっている感がある。
こうした非営利・協同セクター論と従来の伝統的な協同組合研究との最大の相違点は、
後者が協同組合を他の経済組織とは区別・隔絶されるべき体系、
それ自体で完結する (完結すべき) 体系として捉えていたのに対し、
前者は常にNPO、 財団、 アソシエーションなどと呼ばれる各種非営利組織との関係のなかで協同組合を考えようという姿勢を示していることにある。
昨今の 「NPOブーム」、 ボランティアへの社会的認知の高まり、
介護保険に代表される高齢社会の諸問題への注目といった社会情勢も、
こうしたあたらしい視角からの協同組合研究を後押ししている。
しかしながら日本においては、 実は非営利組織の運動あるいは研究においてさえ、
一般的にいって協同組合はまだまだ十分に理解されない存在にとどまっているというべきであろう。
その原因は、 非営利先進国の一方の雄であるアメリカのNPO論にもとめられる。
彼の 「協同組合不毛の地」 におけるNPO論は、
構成員に対する剰余の分配があるか否かをNPOのメルクマールのひとつとしており、
それ故協同組合は非営利セクターから排除されている。
そしてこれを (国による土壌の相違など意識することなく)
無批判に受け入れることにより、 法制をも含む日本の
「非営利」 界も、 しばしば協同組合を全く無視することとなっているのである。
ジョンズ・ホプキンス大学のサラモン派に代表されるNPOのアメリカ流定義をもし機械的に適用するならば、
ロッチデール以来の利用高割り戻しを忠実に実施する地域生協はNPOではないけれども、
割り戻しをしないで書籍などの割引販売に特化する大学生協はNPOである、
という奇妙な解釈にも成りかねない。 形の上では株主への配当にも似た
「利用高割り戻し」 や 「出資への利子」 がいかに協同組合のなかで考案され、
議論・実践されてきたかは長い歴史があり、 これらは協同組合人たちの知恵と苦闘の結晶である。
コンテクストを無視して簡単に 「配当」 扱いできるものでは決してない。
アメリカ流NPO論にはその理解が全く欠けているのであるが、
これに対抗して、 協同組合こそ非営利セクターの中心に位置づけられるとするのがヨーロッパ生まれの非営利・協同セクター論である。
本書は、 そうしたヨーロッパの非営利・協同セクター
(しばしば 「社会的経済」 とも呼ばれる) 研究を代表する論客を招待して1998年9月に東京・明治大学で開催された国際コンファランスを基礎にした論文集であり、
それ故、 協同組合研究のみならず、 ともすればアメリカ一辺倒となりがちな日本の非営利組織研究にも刺激的な一石を投じる好著である。
たとえば、 上にも述べたような、 NPOと協同組合とをどういう関係として捉えるべきか、
両者をひとつのセクターとして考えることの意義はどこにあるのか、
という問題について、 本書第Ⅰ部 「非営利・協同セクターをどう概念化するか」
の6つの論考は、 読者に基礎知識を提供するとともに問題を整理し、
考えをまとめる機会を与えてくれる (とくに
「ドゥフルニ報告へのコメント」 における議論の整理は秀逸である)。
NPOから協同組合を異質のものとして排除するサラモン流NPO論も、
公的存在としての協同組合というものを考え直すきっかけを提供してくれるという限りにおいては有益なものとなり得ると評者は考えているが、
その 「公益性」 を前面に掲げたあたらしいタイプの協同組合=
「社会的協同組合」 の存在は、 結局、 利潤分配云々ではなく、
社会に対していかに開かれた存在であるか否かが、
協同組合にとって重要であると教えてくれる。
表題が示すように、 本書は 「福祉社会」 における非営利・協同セクターの分析を中心課題としている。
福祉に関心の高い関係者ならば、 福祉ミックス、
福祉多元主義のすぐれた研究として本書から多くのものを学べるであろう。
それはいうまでもないが、 実は福祉論としてだけではなく、
21世紀のあたらしい生協・協同組合論としても、
本書は必読の文献である。 昨今、 生協における危機的な経営状況を指摘して、
その生協が福祉の分野にまで手を広げることに疑問や危惧を寄せる向きも見受けられる。
「本業」 をおろそかにしてそんな余裕があるのか、
というのである。 しかし生協の原点を振り返ってみれば、
その本来の目的は、 自分たちの生活状況とそうした状況を生み出す社会とを協同の力で改善しようというところにあったのであり、
それがたまたまこれまでは、 生活物資の共同購入という形でもっともよく達成され得たのだ、
ということが理解されよう。 小売業それ自体ではなく、
組合員と社会のニーズを充足すること、 が生協の目標であった。
したがって高齢社会において、 福祉活動が物資の供給活動に勝るとも劣らぬ重要性をもつのであれば、
生協は当然それに関与していかなくてはならない。
原理的には、 福祉へのニーズと買い物のニーズとの間に優先順位などつけられるはずもないのである。
ヨーロッパの経験を伝える本書は、 日本の生協人
(および無知な生協批判者) にそのことを教えてくれる。