1999年8月号
コロキウム(論文)

住民と行政
~ごみ焼却場問題から~

岩手大学人文社会科学部教授
             井上 博夫   


1. はじめに

ここ数年来、 ダイオキシン汚染が社会的に重大な問題となってきた。 日本ではその主要な排出源がごみ焼却工場であることから、 政府は、 1997年8月に廃棄物処理法に基づく政・省令を改正し、 焼却施設の構造基準や排ガス中の濃度基準を強化した。 また、 ダイオキシンの耐容一日摂取量についても、 本年6月に、 厚生省と環境庁は、 従来よりも低い4pgTEQ/㎏/日 (ダイオキシン類を最も毒性の高いダイオキシンである2378-TCDDに換算して、 体重1㎏当たりの1日当たり摂取量を4pg-10億分の4g-としたもの) とする報告書を発表した。 ヨーロッパ諸国に比べればあまりにも遅すぎたとはいえ、 政府がようやく本腰を入れてダイオキシン対策に取り組み出したことは歓迎すべきであろう。
だが、 その対策が、 焼却炉の構造や排ガス処理設備の改善という、 いわば 「終末処理技術」 による対応に偏重するとしたら、 疑問とせざるを得ない。 まして、 技術的対応のために焼却炉の大型化とごみ処理の広域化を推進する、 となればなおさらのことである。 そもそも 「ごみ問題」 がわれわれに提起したものは、 ダイオキシン排出抑制策だけではなかったはずである。 「終末処理技術」 の問題に矮小化してはならない。
ごみ焼却工場の建設にあたっては、 多くの地域において住民と行政間の紛争が起こってきた。 その際、 紛争の原因は何だったのか、 住民は何に反対し何を求めていたのか、 そして住民と行政はどう対応したのか? これらを知ることは、 「ごみ問題」 のありかと展望を考えるための情報を、 われわれに提供してくれるものと思う。
私が住む岩手県盛岡市では、 新清掃工場 (盛岡市クリーンセンター) が、 昨年4月から稼働した。 そこでもやはりごみ焼却工場の建設は地域の大きな問題となった。 私自身、 住民運動団体に加わって活動してきた経験から、 以下にその経過と教訓を紹介したい。


2. ごみ焼却工場建設の顛末

(1)突然の発表に周辺住民が反発
1990年の秋、 市はごみ焼却工場の建設計画と予定地を議会に報告し、 翌月、 地元住民に対する説明会を行った。 予定地選定は、 助役を委員長とし市の内部職員のみで構成する検討委員会で進められ、 職員にも 「箝口令」 (かんこうれい) が敷かれていたという。 住民にとっては全く突然の話だった。 説明会は、 行政の決定した計画に 「理解を求める」 というものでしかなかった。
用地選定は、 まず市内16カ所の候補地あげ、 選定基準に基づいて評価した。 その結果ここが最適地だった、 と行政は説明した。 だが、 他の候補地名や評価結果を公表せよという住民の要求に対しては、 これを拒否した。 しかも、 「無公害」 だと説明するために上映した映画が電気集塵装置だったこともあり (当時、 これはダイオキシンを発生しやすい環境条件をつくるとして問題になっていた)、 住民の不信はかえって強まった。 こうして、 ごみ焼却場問題を考える住民団体が結成され、 隣接町内会も 「白紙撤回」 を決議することとなった。
当初の段階において、 住民の不満と要求は概ね次の点にあった。
①用地選定が不透明だ。 選定過程に関する情報を公開し、 住民参加で選定作業を行え。
用地選定に係る争点は2つあった。 一つは、 行政内部で決定すべきか、 住民参加で行うべきかである。 行政の立場はこうだ。 いわゆる 「迷惑施設」 の場合、 どこでも住民の反対が予想されるので、 行政主導で内密に決めざるを得ない。 したがって、 一旦決定した予定地は変更できないと。 一方、 住民側は、 市民のオープンな論議で決めるべきだと主張した。 行政が勝手に決めたものを押しつけようとするから紛争が生じ、 結果的に事業も進まなくなる。 また、 行政が決めて特定の地域に押しつけると、 ごみ問題が、 あたかも当該地域だけの問題のようになってしまう。 すべての地域の住民と行政が自分の問題として考えるためにもオープンに論議すべきだと。 二つ目の争点は、 選定過程の情報を公開すべきか否かである。 行政は、 行政内部の未成熟な意思形成過程情報だから、 公開すると公正・適正な意思形成を困難にする、 として非公開にした。 住民は、 候補地名・選定基準・評価内容等の情報が知らされないと、 選定が適正に行われたかどうか検証できず、 信用できないと主張した。
②ごみ問題は全市民が行政とともに取り組むべき課題であり、 そのためには、 1カ所集中型の大規模施設よりも、 分散立地とすべきだ。
盛岡市には、 市の北部及び南部に各1カ所、 あわせて2カ所の焼却工場があった。 新清掃工場は、 これら既存施設の老朽化に伴い建て替えを計画したものである。 その際、 両工場をともに廃棄したうえで、 新たな場所 (1カ所) に集中し、 より大規模な施設を建設するという計画であった。 そこで大規模集中型か分散立地型かが争われたのである。 行政は、 効率性と余熱利用施設整備の観点から大規模集中型を、 住民側は、 自分たちのごみは自分たちで処理するという自地域処理原則に基づいて分散立地型を主張した。
③建設計画は、 ごみ減量を前提としない焼却処理中心の廃棄物処理計画に基づいている。 徹底した分別と減量により、 焼却処理量を削減するよう計画を見直せ。
行政の計画では、 新工場の稼働と同時に、 プラスティックごみを、 一部分別から全量焼却に転換することになっていた。 当時はまだ 「容器包装リサイクル法」 もなかったが、 いくつかの自治体では、 既にプラスティックの分別を始めており、 当地の生協でもトレイ等の回収に取り組み始めていた。 そのためプラスティックごみ全量焼却への転換は、 こうしたリサイクルの動きに水を差すものと住民には認識された。 そこで、 徹底した減量対策を行い、 そのうえで焼却処理計画を立てるよう要求したのである。 また、 プラスティック類の焼却は、 ダイオキシンの発生原因になるという意味でも反発があった。

(2)環境アセスメントをめぐる対立
その間にも計画は進められ、 行政は環境アセスメントを実施した。 しかし、 盛岡市には環境アセスメント条例がなく、 もちろんアセス法もまだなかった。 厚生省監修による 『ごみ焼却施設環境アセスメントマニュアル』 はあったが、 これも拘束力を有するものではなかった。 そこで、 ①環境アセスメントの実施手続き、 ②評価項目・環境保全目標の設定、 ③測定・予測方法や評価等をめぐって、 行政と周辺住民の対立は続いた。
①実施手続きについて、 住民は、 十分な説明、 公正な実施、 住民意見の反映等を求めた。 なかでも、 アセス報告書を審査するための、 公正な第三者機関の設置を要求した。 環境アセスメントは、 事業者自身が行うものであり、 住民が意見書を提出して異議を唱えても、 事業者である市自身が再び最終評価を下すのであれば、 公正性・客観性が担保されないと考えたからである。
これに対し、 市は 「新清掃工場建設専門委員会」 を設置した。 しかしこの委員会は、 市によれば、 市長の私的諮問機関であって、 専門的事項に関し意見を得るためのものという位置づけでしかなかった。 つまり、 審議して一定の結論を出す委員会ではないとのことだった。 さらに、 委員会の審議内容はもちろんのこと委員の氏名すら公開されなかったのである。 これは後に、 情報公開訴訟へとつながる。
②評価項目と保全目標については、 法令等に定められている範囲内で行うのか、 それとも今日的課題や地域の状況をふまえた独自のものとするかが争点となった。 特に、 ダイオキシンを評価項目に加えるかどうか、 保全目標をどうするかが問題になった。 住民は、 欧米諸国の事例等を引き合いに厳しい対応を求めたが、 アセスでは結局、 「厚生省の暫定評価指針と比較して十分低い」 とされた。
③予測方法についても、 平坦地と仮定した予測で足りるかどうか等をめぐって意見は対立した。

(3)情報公開請求から情報公開訴訟へ
用地選定過程が明らかにされず、 環境アセスメントについて審議する 「専門委員会」 の審議内容も明らかにされなかったことから、 住民は、 公文書公開条例に基づいて情報公開を請求した。 行政側は、 行政内部の意思形成過程情報、 個人情報であることを理由に、 非公開ないし部分公開の決定をした。 住民は、 異議申立てを行い、 その結果、 用地選定に関する情報は、 公文書公開審査会の答申に基づいてその後公開されたが、 専門委員会に関しては、 委員氏名も含め再び非公開とされた。 そこで情報公開をめぐる問題は、 裁判で争われることになった (その後、 上告審まで進んだが、 原告住民側の訴えが一部認められたものの、 ほとんどの情報は非公開のままに終わった。)。

(4) 「住民合意」 の取り方をめぐって
環境アセスメントの手続きも終了し、 用地取得に向けて、 行政は、 住民の 「合意」 を得ることに精力を傾けることになった。
結論から言えば、 「住民合意」 が得られたとして、 その後、 補助金申請のための整備計画書が国に提出されることになった。 その際、 「住民合意」 とは次のようなものだった。 まず、 建設予定地のごく近傍 (煙突から半径500m以内の21戸) の住民からは、 各戸から合意書を取り付けた。 他方、 周辺地域については、 個々の町内会ではなく、 町内会連合組織の会長から 「やむを得ない」 とする文書を得た。
これは、 予定地の直近と外縁部の住民が賛成に回り、 隣接する地域 (いわばドーナツ部分) の住民が反対するという構図になったといえる。 このような結果になったのは、 ごみ焼却工場の建設とあわせて、 温水プール等の余熱利用施設の整備やその他地域環境整備を行うことを行政が約束したことと関係があろう。 すなわち、 外縁部の町内会にとっては、 工場排ガス等による被害費用と地域整備による便益を比較すれば、 便益の方が大きいと感じられ、 焼却工場そのものに対する関心度が相対的に低くなったのではないかと推測される。 「迷惑施設」 の建設に際しては、 利便施設という 「見返り」 も建設するという手法がしばしば見られる。 しかし、 それは必ずしも 「補償原理」 に見合うものではないし、 むしろ住民の間に分断を生じさせたり、 事業そのものについての論議を妨げる危険性が大きいといえよう (「補償原理」 とは、 ヒックス、 カルドアが提起した考え方で、 ある事業の実施によって状態の変化が生じ、 その変化により損失を被る人々に対してその費用を補償してもなお便益があるとすれば、 その事業は社会的に望ましいというものである。 温水プールの建設は、 いわば補償の一種とも解されるが、 焼却工場による損失と温水プールによる便益の帰着が異なるため、 関係する人々の間の公平性は確保されず、 利害の対立を生ずる結果となる。)。

(5) 「公害防止協定」 と 「覚え書」 の締結へ
その後、 論議は 「公害防止協定」 等の協議へと移った。 ここでは、 排ガス基準や環境モニタリングが議題の中心だったが、 ①稼働後の監視及び協議の体制をどうするか、 ②ごみ減量など廃棄物政策に対する住民の声をどのように反映させるか、 ③将来耐用年数が来た時の更新をどうするか、 といった点も重要な論点となった。
①は、 協議会 (住民代表と行政で構成) とは別に、 監視委員会 (住民委員と学識経験者委員からなる) を設け、 住民による自立的な監視体制を確保することにした。 ②は、 市の廃棄物対策審議会とごみ減量推進会議に、 住民が推薦する委員を加えることにした。 ③は、 住民代表の間でも意見が一致せず最も紛糾した問題だった。 結局、 更新を認めるか否かは将来世代の判断に委ねるが、 適正に意見が反映されるための条件を用意することは現代世代の責任だ、 との考えに基づき、 「住民投票等」 を行うという 「覚え書」 を取り交わした。 また、 「覚え書」 中に、 分散型立地を原則とするということも盛り込むことになった。


3. ごみ焼却場建設問題を振り返って

新清掃工場は、 1997年3月に試運転を開始し、 98年4月からは本格稼働を始めた。 90年の計画発表以来、 住民も行政も随分の時間と労力を費やしてきたことになる。 稼働後も、 排出基準値を超えることがあったり、 それが住民に迅速に伝えられなかったりと、 問題はまだまだあるが、 住民による監視、 住民と行政が日常的に協議する枠組みは、 一応機能したのではないかと思う。
最後に、 これらの経緯をふまえて、 いくつかの教訓を述べておきたい。
第1に、 住民参加がいかに大切かということである。
なぜなら、 「迷惑施設」 を建設しようとする場合、 行政は、 住民の反対を恐れて、 とかく行政内部で事を進めようとしがちである。 しかし、 紛争の多くは、 意思決定の不透明性をめぐって生じ、 決定の押しつけが行政不信を一層強めるという構図であった。 したがって、 行政事務の円滑な執行という観点から見ても、 計画の初期段階からの住民参加へと、 行政のあり方を転換することが必要なのである。
二つ目の理由は、 より質の高いごみ政策を実現するためにも、 住民参加が必要だということである。 一般廃棄物処理の責任を有し、 日常的に処理・処分に従事している行政は、 とかく現状からの延長で、 処理施設や処分場を確保することに関心が偏りやすい。 そこで、 焼却工場や処分場周辺住民の声によって、 処理・処分に伴う社会的費用が意識化されることの意義は大きい。 こうした声が政策に反映されることを通じて、 処理・処分に留まらない、 上流・下流にも目を向けたシステム改革としての廃棄物処理計画の立案を可能にするだろう。
第2に、 ごみ焼却工場周辺住民だけの問題にせず、 市民全体が自らの問題として考えるようにすることが重要である。
行政は、 建設を推進するために、 「住民合意」 の範囲を極端に狭く取ったり、 住民間の分断を助長する場合すらある。 いずれにしても、 本来市民全体の問題であるはずの 「ごみ問題」 が、 処理場周辺住民だけの問題であるかのように矮小化されてはならない。 反対運動に対して、 「地域エゴ」 といった指摘がなされることがあるが、 沖縄の米軍基地問題を例にあげるまでもなく、 無関心を装う 「遠方の」 住民こそ 「地域エゴ」 というべきだろう。 そこで、 ごみ焼却工場等の建設は、 あくまでオープンに市民全体で論議することが必要である。
また、 ダイオキシン対策と関連して、 ごみの広域処理が推進されているが、 それが、 「遠くの問題だから自分とは関係ない」 といった意識を助長するとすれば問題である。 ごみ減量等の今後のごみ政策は、 住民・事業者・行政各々の責任と協力なしには成り立たないからである。
第3に、 住民参加を進めるためにも、 市民全体で問題を考えるためにも、 情報公開が前提条件となる。 この間、 不正支出問題や市民オンブズマン等の取り組みにより、 自治体の情報公開度は急速に高まってきた。 しかし、 行政内部の意思形成過程情報については、 まだまだ壁は厚い。 だが、 これこそ住民参加にとって不可欠な情報である。 文字通り公開を原則としていくとともに、 住民の側でも、 情報を活用するためのしくみづくりが必要だろう。
第4に、 環境アセスメントについてである。 この間の活動の中で一番不満に感じたのは、 住民がいくら意見を述べても、 それを反映するしくみがないということだった。 これではアセスメントは、 事業実施のための単なる手続きに終わってしまう。 したがって、 まず現行制度のもとで、 アセスの事前 (方法書段階)、 事後 (準備書段階) において提出した意見が、 実質的に反映されるようにすることが重要である。 そのうえでさらに、 事業計画が決定されてから行われる現在のアセスメント制度から、 政策決定のより早い段階で行い、 代替案の検討も行いうる戦略的環境アセスメントへと、 制度を発展させていく必要があるだろう。
ところで、 ごみ焼却炉メーカーの談合が、 公正取引委員会の摘発を受けた。 ダイオキシン対策が、 こうした企業の利益に堕することのないことを願うばかりである。


いのうえ ひろお
1951年、 大阪府堺市生まれ。
東北大学経済学部卒業、 東北大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 現在、 岩手大学人文社会科学部教授。
財政学担当。




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