1999年4月号
エッセイ



  竹富島 (たけとみじま)

コープおきなわ専務理事 上仮屋貞美



竹富島、 沖縄の観光パンフを手にした人は誰でもこの小さな島の名前を見たことがあるに違いない。 コバルトブルーのきれいな珊瑚の海に浮かぶ、 赤瓦と白い浜砂の道がきれいな人口三百人足らずの小さな島である。
沖縄本島からは飛行機で一時間ほど南西に飛んで石垣島に降りる。 そこの港から高速船に乗れば十分ほどで着く。 手軽さもあって石垣観光の目玉のひとつになっている。
私はこの島が大好きで、 石垣まで足をのばせるお客さんがあれば必ずつれていくことにしている。 それはこの島にいくと、 都会ではなくなった 「何か」 があるように思うからだ。 その 「何か」 はお客さんがその人なりに見つけてくれるから面白い。
設計関係の人と行ったときは、 建物の話が中心になった。 赤瓦の家は木造ではあるが、 毎年やってくる台風に備えた工夫がされている。 まず強い風をよけるため屋根は低く軒も短い。 赤瓦もしっくいで固められていて強い風でも飛ぶことはない。 家のまわりを囲んだ石垣も風よけになっている。 暑い時でもすずしくするなど 「人と自然の調和」 が考えられ、 全体として人に優しくできていると、 その人は言う。
ある生協の役員と島へ行ったときのこと。 島の博物館長に九八歳のお年寄りのところにつれていってもらった。 そのお年寄りは今でも芭蕉布をつくる仕事をしているのだという。 沖縄県は全国一の長寿県で知られているが、 そのなかでもこの竹富島は長寿の島だ。 竹富島には一人の 「ぼけ老人」 もいないという。 その秘訣はこんなところにあるらしい。 百歳近くなっても自分の仕事を持って働いているのだ。 お隣りどうしの会話もぼけ老人をつくらないことにつながっているらしい。 高齢化社会に向けて学ぶべきものが多い島である。
島で一番大きな行事が 「種取り祭」 である。 収穫のお礼と翌年の豊作を祈願するお祭りで、 最後の二日間は、 島民あげての芸能奉納が行われる。 このときは大人も子供もみんな踊る。 祭りの成功のために大人も子供も役割を分担して担う。 子供たちは祭りの前日に会場周辺を自主的に清掃するという。 島人はこういう行事を通して 「人と人のつながり」 をつくり、 「助け合う心」 を育ててきたのであろう。
集落を離れて少し歩くと、 透明に透きとおったきれいな珊瑚礁の海があらわれる。 その海を見ていると、 心の底まで洗われるような気持ちになる。 そして誰もが 「この海は守らなければ・・・」 と言う。
竹富島は自然が豊かで、 今でも人の協同の心が生きている島である。 そして都会に住む我々にいつかどこかに置き忘れた 「何か」、 未来に向けての 「何か」 を考えさせてくれる島である。