1999年4月号
書評2
時には思いを馳せてみたい・・・昔と今のつながり
中嶋 陽子
大坂経済法科大学非常勤講師
これは、 不思議な面白い本である。 著者は、
100点あまりの世界中の集落の写真とともに、
その各々に主題を掲げ、 800字程度の文章を添えている。
こうした本のつくりもさることながら、 その不思議な魅力の核心をなしているのは、
なんと言っても、 文章の格調の高さと、 そこにたゆたう自由な精神性を感じさせる点であろう。
文体はやや堅く哲学的な言葉遣いも散見されるが、
それらは著者の思考を伝える道具としてきちんと咀嚼されているので、
十分に内容を楽しむことができる。 もし、 本書の対象が集落ではなく、
住まいであれば、 読後に深い精神的な充足感を感じることは難しいかもしれない。
住まいは、 それぞれに私的な個別性や自己完結的な美的世界を連想させる。
しかし、 集落は、 それ自体社会的で歴史的な構造をもち、
しかも、 著者の専門である空間や建築物のデザインといった創造性の表現体でもあるからだ。
さらに興味深いことに、 集落のあり方は、 自然の制約を被っているので、
その記述や分析には、 数学や哲学を援用することによって、
抽象や普遍への指向も見られる。 当然、 論理性も高い。
その意味で、 この本は、 社会科学と自然科学のかけ橋的な要素をうまく押さえながら、
素人の知的な冒険心も満足させる内容に仕上がっている。
わたし個人の読み方として、 大変心を惹かれたのは、
本書全体を通して論理性と創造性の美しいバランスを感じとれたことである。
物事の機能や処理速度が重視され、 実際問題への過度の適応が
「世界標準」 のようになっている時に、 集落は一社会集団のありかたという現実を通して、
私たちに、 様々な美や感動の形を提示してくれる。
悠々とした時間の流れと多彩な表情を見せる自然の中で、
人間が人間社会の歴史をつくろうとし、 二者の間の調停と語らいの過程で、
多様な集落の風景を生み出してきた。
これらの対照を見ると、 現代は、 画一性や均質性への要請が強すぎて、
我々から、 自然と結びついた創造的な潜在能力を奪いつつあるのではないか、
と思われる。 今では、 人間が人間の造ったものに適応するのに忙殺されている。
そのため、 対象との話らいが可能な創造性の源泉が、
本来どこにあるのかを、 顧みなくなったようである。
我々をとりまく多くの事柄が、 人為によるものなので、
どんな分野においてもコマーシャリズムの遊泳術に逆らわない行動をとれることが、
人間社会でのすばらしさや成功の鍵であるかのようだ。
その結果、 産業界でのクオリティコントロールばかりでなく、
今や、 人間世界でも人為的な 「コマーシャリズム標準」
に合わせたクオリティコントロールが広く見られる。
人間が人為的な物に包囲されたり適応に迫られたりすればするほど、
原初的なエネルギーへの賛美、 素朴な自然への共感といった、
たくましい骨太な精神性の営為が求められるのではないだろうか。
この本はいろいろな読み方が可能だろうが、 あえて今、
現代建築ではなく、 集落というこだわりが新鮮だった。
集落の教え100
原 広司著 彰国社
1998年 2500円