1999年4月号
書評1


新たな生協の主体形成
-- 単なる消費者から生活創造主体へ
横山 政敏 立命館大学経済学部教授


消費者の生協からの転換 田中秀樹著 日本経済評論社
1998年 2300円


近年、 市民生協で相次いで不祥事が発生している。 その背景には経営危機の深刻化とともに事業と運動との分離、 組合員主権の空洞化などがあり、 生協民主主義のあり方が根本的に問い直されている。 過去の日本型生協運動の総括を通して事業と運動の現状についてのトータルな分析と協同の未来の姿を展望する実践と理論が今まさに求められている。
本著は、 このような要請に真正面から応えようとする労作である。 著者は60年代以降の日本の生協の型を市民型生協と規定し、 今日、 その時代はもはや終わろうとしていると認識する。 その 「市民」 とは、 消費社会化の進展のもとで、 同質的豊かさを志向する孤立した市民=私民である。 その市民の協同としての市民型生協においては、①商品の消費のための協同のみがあり、 主体としての組合員は、 その商品の向こう側の世界、 商品の生産やその使い方への無関心、 また途上国の飢餓と表裏の関係にある 「飽食の構造」 への無関心などで特徴づけられる単なる消費者である。 さらに、 ②流通資本との同質化競争のもとで、 生協事業システムは販売システム化し、 ③また、 生協労働の専門性は商品販売のための労働として数値管理によって規律された商業労働者としてのそれであり、 組合員との豊かな人間関係の中で展開されるトータルな生活支援労働としての専門性とはなっていない。
事業システムの販売システム化、 生協労働の単なる商業労働者としての専門性、 これによって規定される市民型生協は、 今日、 協同のあり方としての限界が明らかになっている。 特に共同購入事業の組合員については、 ホワイトカラーを中心に、 労働者の中・上層の専業主婦を核にしているという構成上の特徴が組合員の価値意識のあり様と深く結びついているという点の指摘は重要である。 高齢者や福祉における協同が強く求められている現実との関係で注目される。 さらに、 従来の都市的豊かさへの志向から農村・農業的価値の復権を求められている点も大切な指摘である。
著者はこのような総括と現状認識のうえで、 新たな協同の姿を展望しようとするのだが、 現実の生協の実践の中に、 そのような未来につながるものとして、 「協同の変容」 と生協労働者の専門性を問う実践としての島根の 「聴く活動」 を見いだす。 これは商品を売る場面ではなく、 使う場面からの生協労働の専門性の位置づけを求めるものであり、 組合員との豊かな人間関係のなかで組合員の新しい生活の創造を求める試みである。 著者の協同の総括、 現段階の認識については、 評者も基本的に同意するものである。 特に組合員の価値意識の変化、 構成の変化に関する分析については示唆を受けるところが多い。