1999年2月号
BOOK
震災体験のなかでの人材開発論こそ生協の原点
日本福祉大学教授
くらしと協同の研究所 理事長 野村 秀和
「私の人材開発論-人が育ち、 人が生きる―」
増田大成著 プレジデント社
1998年9月 1600円+税
この書物は、 コープこうべの副組合長、 増田大成さんが、
立命館大学での講義を基にまとめられたものである。
その特徴は、 阪神・淡路大震災をコープこうべのリーダーとして自ら体験され、
その異常な環境の中で、 人の生き方や経営の本質に触れ、
人々と共に自己改革を遂げてきた人間の率直な人生論であり、
生協論でもある。
入協以来の体験の中から得られた人材論は、
企業経営の中で求められる人材の 「質」 の推移を踏まえながら、
大震災という体験の中で地域コミュニティの
「共助」 を支える人材論へと到達するのである。
そこには、 企業の中で求められる人間、 地域社会のニーズとして求められる人間そして自分を大切にし、
自己実現を追求する人間という三つの人材の調和を兼ねた大震災時の中で奮闘したコープこうべ職員のイメージが重なってくるのである。
人生のもっとも大事な時期そしてもっとも活動的な時期の大半は、
企業という職場で過ごすことになる。 企業経営の中で求められる人材教育は、
人の成長にとって決定的な影響を与える。 したがって、
企業のトップやミドルそしてロワーマネジメントのリーダー達は、
部下である職員の人間形成に決定的な影響を及ぼす。
このように人間の発達にとって経営者の役割の重要性を押さえた上で、
経営の重点が歴史的に変化することによって人材開発における価値観も変化していることを述べ、
時代の流れとの関連を意識することの大切さを指摘するのである。
経済の成長期の競争の中で、 成長と利益を求める価値観は、
企業人間を生み出したが、 リストラそして環境破壊さらには福祉国家の破綻の中で、
人々は企業と個人との関係を考えるように変わってきた。
しかも、 大震災の中でコープこうべの職員は、
地域社会との共生を、 上からの指示も途絶えていた状態の下で、
自然体で自発的に実践していたのである。 営利企業にみられたように、
自社の災害損失を強調し、 再建に駆り立てるやり方に対し、
地域コミュニティの復興のために生協が担うべきことは何か、
これをトップから末端までの職員が誇りをもって追求し、
行動した。 日頃からの教育によって植え付けられた生協の理念が、
こうした異常な状況の下で、 地域社会の一員としての生協の存在価値を自覚させたのである。
著書は 「あの非常時でよく状況判断や方針決定ができたものだ」
と述懐されている。 即座に判断しなければならないときに、
決め手になるのはトップの勘ではないだろうか、
という思いは、 きわめて示唆的に思えるのである。
長い活動経験の蓄積は、 咄磋の決定を勘で決めるようにみえるのだが、
それは感覚的な勘ではなく、 長年の経験と知識の集積によって形成された意志決定なのである。
地域に根を下ろし、 地域住民のニーズにかかわる仕事を理念とすることは、
生協で働く職員の人材開発教育のバックボーンである。
さらに、 近代的な技術と情報の力を事業として兼ね備え、
組合員の支持を基盤に創造的復興に取り組んだ経験は、
経営戦略の方向性を指示するトップの意志決定の重要性を示している。
これがなければ、 全職員、 全組合員に誇りと自信を与えることはできなかったであろう。
しかし、 トップの責任は結果責任で評価される。
不況は、 業績低下の言い訳にはならないという厳しいトップ責任論は、
その後の増田さん自身に跳ね返ってきたのである。
大震災の体験でコープこうべの職員が自らの体質を改革し、
生協職員としての誇りを持ったことをもっとも大切にしたいという思いを、
増田さんは今も持ち続けておられるであろう。
私もそこにこそ生協再生の現代的な原点を見いだすものの一人であるが、
業績数値は冷酷である。
競合激化の流通業界の中で、 手探りで21世紀への道を探し続けているのが、
今日の日本の生協運動の現状であろう。 原点に戻れという声は聞き飽きるほど聞くが、
その原点とは何か?抽象的な理論よりも、 具体的な震災体験の中での人材育成論の提起する内容こそが、
生協の原点を指し示していると思うのである。
混迷する生協の未来課題は、 個々の単協ごとに具体化されなければならないし、
流通ビッグから学ぶものも多いが、 生協運動と事業におけるコープこうべの体験は、
現代的普遍性を具体的ケースとして我々に多くの教訓を示してくれている。
是非、 本書を一読されることをお薦めしたい。