1999年2月号
論文(コロキウム)49
市民生活の胎動によりそって
市民オンブズマン兵庫代表世話人
森池 豊武
-Nさん、 ささやかな住民運動に関わっている私の体験について何か書いて見ないかとお薦め下さったので、
拙い話をさせて、 もらうことにします。
◆一本の電話から始まったことが、 その人の人生において大きな意味合いを持つまでに発展するという事は、
けっして珍しくありません。 1990年7月6日に神戸高塚高校で起こった
「校門圧死事件」 は日本全国を震撼させました。
「校門指導」 の理由で 「教師」 によって15歳の命が断たれたことに衝撃を受けなかった人はいなかったでしょう。
私もその一人に過ぎませんでした。
ところが、 事件から2ヶ月程経ったある日、
知人から 「教育委員会の動きが変なので抗議に行くから、
一緒に来て欲しい」 という趣旨の電話がありました。
行って見ると兵庫県の教育委員会は、 事件の原因究明もなおざりにして、
校門が 「忌まわしい」 とばかりに、 撤去しようとしておりました。
教育委員会のあまりにひどい対応と、 この事件を
「一県の一高校の一教諭による一生徒の事故」
と矮小化し、 風化させようとする動きに対する抗議として、
「校門圧死事件」 の原因究明を求める住民監査請求
(問題は、 校門ではなく管理主義教育にある。
また新しい校門を何千万円も掛けて改修することは税金の無駄遣いでありこの事件から何も学ばないことに他ならないとの趣旨の請求)
を300名弱の人達と行うことになりました。
監査請求が却下されたことを受けて、 5名の弁護士さんの協力を得、
「神戸高塚高校校門改修公金支出賠償請求事件」
という長い名前の訴訟を28名の仲間と起こし、
現在、 最高裁で係争中です。 事件が起こってから8年以上になりますが、
毎年7月6日には高塚高校の門前で追悼を行い、
「兵庫の教育を考える集会」 を続けています。
妻はこんな私に 「貴方は、 高塚高校に何の関係があるの」
と聞くので 「特に何の関係も無い」 と答えると、
「要するに、 貴方はアメリカと同じで、 いろんな所へ行って戦争してるのね」
と言っておりました。 (アメリカとはちょっと違うと思うけれど…)
校門圧死事件以降も兵庫の教育は無反省のままで、
多くの教育事件が起こっています。 神戸須磨の少年A事件に対して、
兵庫県教育委員会がとった対応は 「命の大切さ」
を通達し、 「心の教育」 を行えということでしかありません。
「トライやるウィーク」 と称して、 こども達を学校外の商店・会社・工場・保育所・福祉施設等で社会経験させるというプランを考えつき実行しています。
子供達を学校の外に出すという点では救いがありますが、
変わらねばならないのは教師であり、 学校であり、
私たち自身です。
私が大学で 「体罰社会と法」 という特殊講義を担当したり、
中学生の息子が通うはずだった学校でPTAに関わったりしているのもその一環です。
(息子は学校の現実に対して登校を拒否しており、
両親とも、 その選択はある意味で正解であったと考えております。)
学校という閉鎖空間が少しでも開放され、 私たちの社会の
「学校化」 された空間が幾分なりとも緩和するまで、
教育問題に関わっていかなければならないと思っています。
◆1995年1月17日の阪神・淡路大震災からまる1年経った1996年2月のある日、
妻と二人で近所のイタリア料理店で食事をしながら、
ふと目にした新聞に 「震災被災者が大蔵省前で抗議」
との見出しがありました。 「被災から一年、 国が何とかしてくれると信じてまっていたが、
個人保障はできないの一点張りで、 家も職も失い困窮のあまり、
自殺する人が多発している。 やりきれない思いで抗議行動に出た。」
との記事に4人が座り込んでいる写真がありました。
それを見ている内に、 思わず涙が出てしまいました。
6000名を越す死者、 40万棟に及ぶ家屋の損害、
10兆円をはるかに越える被害額にもかかわらず、
個人の生活再建にはビタ一文も出そうとしない強固な大蔵省の壁の前で、
たった4人で抗議しているこの人達を孤立させてはならないとの思いで一杯になったのです。
「東京へ行ってきてもいいか」 と妻に言うと 「貴方が行きたいのなら行けばいい」
と答えてくれました。 家に帰り寝袋と着替えを持って新幹線に飛び乗り、
彼らが座り込んでいる日比谷公園 (大蔵省の前は邪魔なので、
日比谷公園で座り込めとのお達しがあったのです。)
に向かいました。 ついた時は真っ暗で、 ホームレスの人に聞くと
「池の前に新入りが来たらしい」 とのこと、 やっと捜し当て、
面識もないまま 「一緒に座らせて欲しい」 と頼み込み、
それから約2週間、 氷点下の日比谷公園で野宿しました。
昼間は、 「住専に捨てる6800億円があれば、 被災者の生活を救うことができる」
と大蔵省や議員会館へ陳情を繰り返す生活を続けました。
自然発生的に仲間が集まり、 食事の差し入れ、
毛布やテント・暖房器具も揃い永住できる態勢になりましたが、
国会議員の方々の尽力もあり、 被災者と国とのパイプが通じることになったので、
座り込みを止め神戸に帰ることにしました。 それから約1年の間、
被災者の生活再建を目指すさまざまな活動 (5万枚に及ぶ罹災証明書に要望を書いて政府に請願・400名近い被災者による東京陳情行動・被災地での抗議の大集会・神戸~東京間のリレーマラソン・国政選挙の立候補者に対する被災者救済のアンケート等)
を行いましたが、 政府の壁は厚く切り崩すことはできませんでした。
しかし、 このような活動が捨て石となり、 小田実さんたちによる被災者の生活支援のための市民=議員立法制定運動が起こりました。
粘り強い運動と、 生協をはじめとする全国的な署名活動のおかげで、
この国に欠落していた被災者の生活再建を支援する法律
(被災者生活再建支援法) が内容的には極めて不十分ながらも制定されることになりました。
「戦後50年の日本は 『経済大国』 を形成したかも知れないが、
ついに 『人間の国』 をつくり出してこなかった」
と小田さんに喝破された日本という国が、 被災者や市民の運動で一歩
『人間の国』 へと近づいたのではないでしょうか。
◆市民オンブズマンという名前がまだそれほど知られていなかった1995年4月のある日、
知り合いの弁護士さんから 「全国市民オンブズマン連絡会議から4月25日に全国一斉に食糧費の調査を行うので兵庫県でも取り組んで欲しいとの連絡があったが、
震災直後で手が回らないので助けてほしい」 との電話がありました。
市民オンブズマン兵庫の運動は、 この電話からスタートしました。
実際、 震災の影響は極めて甚大で、 誰も 「食糧費」
を調べる余裕はありませんでした。 仕方なく、
兵庫県は私が担当し、 神戸市は、 神戸市在住の知人に頼み、
たった二人で始めました。
しかし、 兵庫県と神戸市の1994年度の秘書課・財政課・東京事務所の3部局の食糧費の公文書公開をすることにより、
とんでもない事実が明らかになりました。 第一は市民の常識とかけ離れた高額な飲食が日常茶飯事に行われている実態です。
(会議とは名ばかりで、 高級料亭・クラブ・ラウンジで飲み放題・食べ放題で、
一人当たり単価3万~4万も当たり前で、 一晩に80万円、
100万円を越す飲食も珍しくありません。) 第二に5万円・3万円・1万5千円とワインだけで11万円、
料理を入れると20万円が議会対策費として、 議員接待が行われたことです。
これは、 行政が議会における議論よりも根回しで全てを進め、
議会のチェック機能を麻痺させ、 官僚主導の宴会行政がはびこっていることを意味しています。
第三に食糧費は需用費という項目の中に隠れており、
その総額が明らかにされることがなかったのですが、
この調査で秘書課・財政課・東京事務所のわずか3部局で6150万円になることが判明しました。
兵庫県全体では年間20億円~30億円が浪費されていました。
そのほとんどが、 いわゆる 「官官接待」 であり、
東京事務所での連日連夜の接待ぶりに、 呆れ果て、
職員の肝臓がフォアグラ状態になっているのではと心配しました。
おそらく全国規模で見れば年間300億円~500億円が官官接待に費やされていたと思われます。
しかし、 オンブズマンの監視の目が行き届くことによって、
兵庫県でも食糧費は激減し (それでも年間1億円)、
全国の自治体では、 官官接待全廃を表明するところも出てきました。
1996年には、 市民オンブズマン兵庫の発足集会がもたれ、
最初に行った1万人規模の住民監査請求運動 (食糧費の返還を求める監査請求)
の成功で、 会員も500名を越すようになりました。
身内をかばう監査委員に判断能力はなく、 私たちの請求を全面棄却したので、
住民訴訟を神戸地裁に起こしました。 現在では、
兵庫県1件・神戸市2件の訴訟を係争中です。 弁護士さんのバックアップも10名以上ありますので、
県・市にとっても厄介な相手になっているのではと思っています。
マスコミのキャンペーンもあり、 全国的にも
「官官接待」 はほぼ消滅し、 復活することはまず考えられません。
また、 ヤミ手当て、 空出張などの公金の不正流用にもメスが入れられました。
これらは、 食糧費よりも額が多く、 全国では数千億円規模になるものと思われますが、
各自治体で返還が相次いでいる状況です。
最も深刻で金額が大きいものとして、 公共事業の談合問題があります。
間接証拠でほぼ、 談合は間違いないと思われるケースでも、
内部告発がない限り訴えられません。 バブル崩壊以降80兆円にものぼる公共事業が行われ、
およそその2割 (16兆円) が政・官・財の腐敗システムに吸い取られてしまったと推測できます。
しかし、 いくら公共事業に税金を投入しても、
経済効果はほとんどなく、 先進国の中でも突出した公共事業偏重の経済政策の変換が現在求められています。
56万社600万人に及ぶ労働人口をどうすれば削減できるかを建設省も考え始めています。
市民オンブズマン運動は、 不正追求だけではなく情報公開を求め、
行政や政治の在り方をより透明なものとし、 主権者である住民・国民が主体的に行政・政治に参画する社会
(市民社会) の実現を目標としています。 昨年、
大阪の高石市で行われた、 第5回市民オンブズマン全国大会では、
議会がテーマとなりました。 大阪弁で柔らかく
「議員さん何してはりまんねん!!」 が標語になっていましたが、
詳細な調査で、 全国3200余りの地方自治体議会のほとんどが機能していないことが明らかにされました。
知り合いの議員さんから聞いた話で、 京都府下のある町議会である議員が
「本日は風邪 (フウジャ) のため、 お聞き苦しいかと存じます。
私は自ら (ジラ) に対して…」 と議会事務局作成原稿を36ヶ所も間違えて読んだそうです。
これはいくら何でも酷すぎると思われますが、
官僚作成原稿の棒読みは首相から町会議員まで同じです。
◆機能しない議会を活性化し、 民意を反映しない議会を変革していこうする様々な試みが、
特に地方議会からなされています。 その一つとして
「虹と緑の500人リスト」 運動があります。 地方から政治を変えよう、
政治を市民の手に取り戻そうとする共通のスタイルを持つ、
自立した無党派議員のネットワークが生まれつつあります。
政党や利益集団の拘束を受けず、 自らの責任で判断し行動する議員、
自ら政策・条例を作りうる能力を持ち、 住民と情報を共有し住民とともに行動する議員達が、
自治体の枠に縛られずに全国規模で連携しようとしています。
いま現在で、 約260名の職員・議員候補者が名乗りをあげ、
4月の地方選挙に向けて、 また選挙後に設立される地方議員政策情報センターの実現に向かって従来の選挙運動とは異なった新しい試みを模索しています。
私自身も、 市民の一人として、 このような議員と市民の運動をバックアップしたいと願っています。
この運動の主軸は女性と若者が担っていることを付け加えておきます。
◆全国的に、 住民投票で民意を明らかにする運動が高揚しております。
神戸市で35万人 (有権者の3分の1) 徳島で10万人
(有権者の2分の1) という、 いままでに無い多くの住民が
「大事なことは、 みんなで決めよう」 と公共事業の在り方や日本の政治・行政の官僚主導の在り方に異議を申立てはじめました。
私の関わっている神戸 (市営) 空港計画に対する住民投票運動について申しますと、
阪神・淡路大震災の直後、 生活基盤を破壊され、
呆然自失の状態にある市民を尻目に、 笹山市長は唐突に
「神戸空港推進」 の声をあげました。 「神戸空港は市民の希望の星」
だと自画自賛し、 「空港のない街は衰退する」
と迷言し、 「なにが何でも空港計画を推進する」
と、 着工に向けて暴走しはじめました。 市民の70~80%は空港計画について
(不要・凍結) の意志表示をしていましたが、
民意を反映するはずの議会で7割の議員が空港計画推進を唱え、
民意を無視したところから、 この運動が大きなうねりとなりました。
市民オンブズマン兵庫でも、 神戸空港について詳細に検討しましたが、
この計画は一言でいえば 「無駄・無理・無謀な公共事業」
の典型であるといわざるをえません。 主要な疑問点として以下の諸点があげられます。
①空港計画に必要性・必然性がない。 (伊丹や関空がありアクセスも悪くない、
両空港の国内線の座席利用率は58%と45%であり増大する需要に対応するためという根拠はない)
②資金計画の杜撰である。 (空港島埋め立て・滑走路・連絡橋だけで3100億円かかるとされているが、
ターミナルビル等関連施設はいくらかかるか今日にいたるも明らかにされていない。
一説には1兆円ともいわれるが、 総事業費も明らかにされず資金調達計画も不明な事業は、
事業として成り立っていない) ③事業計画が非実現的である。
(余りにも無理な需要予測・根拠のない経済波及効果説)
④安全性面での疑問がある。 (空港建設地直下にある活断層・空域調整の困難さ等)
また、 神戸市は1998年度でも3兆円を超える市債残高を抱えており、
市民1人当たり212万円となり4人家族で800万円を上回る借金になり、
現在でも財政は破綻している。 震災後の各種事業に関わる償還が本格化すると神戸市財政の破綻は不可避である。
この上、 1兆円以上かかるといわれる空港計画を実施し、
失敗すればそのツケは全て市民に降りかかり、
誰も責任を取らないことを市民が理解しているが故に、
あれだけの市民が立ち上がったのです。 市議会で否決したとしてもその流れを変えることはできません。
新たな署名運動がまた神戸で始まっております。
4月の統一選挙の後、 市長リコールを始め様々な動きが出てくるものと思われます。
私の関わったわずかな運動からも、 経済が衰退し、
政治が崩壊している今の日本の中で、 本当の意味での市民社会の兆しが、
確実な動きとして現れて来ていることが実感できます。
一人一人が、 傍観者ではなく、 何らかの形で政治や行政にコミットしていく日はそう遠くないと思われます。
-Nさん、 このような話は、 団塊の世代の夢想なのかどうか、
世代の違う貴方とじっくり話してみたいと思っています。
もりいけ とよたけ
1947年生まれ。 関西学院大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
現在、 大坂経済法科大学法学部及び名城大学法学部非常勤講師。
市民オンブズマン兵庫代表世話人。 ぐるーぷ
「生命 (いのち) の管理はもうやめて!」 事務局長他。
専門:法社会学
声楽家の妻、 中3の息子、 犬、 猫と共に西宮の甲陽園に住む。