1998年12月号
視角
いま行政との 「パートナーシップ」 が必要か
平尾良治(滋賀文化短期大学)
本誌10月号で厚生省の 「生協のあり方検討会」
がまとめた報告書 『今後の生協のありかたについて』
が特集されていた。 そこで、 生協の福祉活動について川口氏と上掛氏に共通する
「行政とのパートナーシップをつくりながら制度を変えていく」
という視点について考えてみたい。
川口氏によると、 今回の検討会の成果は 「福祉システムのなかに
『自助』 や 『公助』 だけでなく 『共助』
という分野の積極的な位置が確認できた」 ことにあるようだ。
個人や家族による 「自助 (自助努力)」 と公的制度である
「公助」 の間で、 「多様化する要望」 に応えるための仕組みとして
「共助 (相互扶助)」 が期待されているという。
そして、 「共助」 によって 「(介護) 保険の範囲にとどまらない付加的サービスや介護保険から排除された人たち」
をカバーすることが可能となり、 そのことに
「共助」 の 「本質的にすぐれた点」 があると評価している。
しかし、 前もって 「自助 (自助努力)」 や 「共助
(相互扶助)」 を組み込んだ国の福祉システムはおかしい。
福祉システムを冷徹に見渡し、 どうしても足りない部分を
「共助」 (たとえば生協の活動) が補っていく。
しかも、 否定ではなく現状を一歩すすめるための
「批判する目」 をもった運動として取り組んでこそ
「共助」 の意味があるのではないだろうか (注1)。
そうでなければ 「共助」 の部分だけ 「公助」 が後退することになり、
厚生省が 「社会福祉基礎構造改革」 という名でいますすめている社会福祉における国家責任の回避や、
民間企業の参入による経費削減の方向を加速させることになる。
こうした政策動向をふまえての 「共助」 の評価であろうか。
また、 今回のレポートでは所与のものとなっているが、
介護保険は制度それ自体が大きな問題を抱えている。
25年間も保険料を払い続けても、 福祉サービスが得られるとはかぎらない。
驚くことに社会保険といいながらサービス利用時の自己負担がある。
しかも保険主体に市町村をすえて国家責任を問えない仕組みにしている。
社会保険とは名ばかりで、 とても社会保険とはいえないお粗末な制度である。
このような問題性を問わないで、 介護保険のサービス供給主体に生協が位置づけられたことを評価したり、
生協のボランティア活動を 「介護保険の『上のせ』として認定できるよう働きかける」、
などの議論でよいのだろうか。
生協運動はこれまで、 その時々の生活課題を組合員の要求にもとづいて事業化し、
運動化してきた。 「平和とよりよいくらし」 「物価を下げよ」
「安全・安心の食品を」 「よりよいものをより安く」
「豊かな生活文化を」 など、 さまざな生活要求を自分たちで取り組みながら、
社会問題として提起してきた。 組合員の生活要求を生協の事業と運動を通して国民共通の要求として顕在化させてきたのである。
そしてそれへの対応を国や自治体、 業界に求めてきたのである。
ここにこそ生協運動の役割がある。
反面、 こうした生協運動はその時々の象徴ではあっても継続した事業・運動として生協運動を充分に深めるにはいたっていない。
その背景に組合員の専門的能力や力量をさらに育成したり、
蓄積したり、 活動の場を保障してこなかったことがあげられる。
福祉活動の分野においてもふさわしい人材は、
これから時間をかけて育成しなければならない段階ではなかろうか。
今日の福祉政策の動向をおさえず、 生協にふさわしい福祉の担い手も充分に養成できていない段階で、
「行政とのパートナーシップ」 を課題にするのは時期尚早だといわざるを得ない。
「パートナーシップ」 は行政と対等な力関係にあるときに初めて課題となる。
いま生協がしなくてはならないことは 「公助」
「共助」 「自助」 に組み込まれて、 福祉サービスを提供することではない。
あるいは介護保険の土俵にのって生協の福祉サービスを
「上のせ」 に位置づけることなどではない。
生協運動の原点に立ち返って、 組合員の生活要求を学習活動によって顕在化させつつ事業と運動を統一してすすめることである。
具体的には介護保険の批判的な学習を通して社会保障・社会福祉改悪の姿を組合員みんなで確認することであり、
厚生省が求める家族の自助努力やボランティアなどの相互扶助ではくらしが守れないことを明らかにすることである。
くらしの助け合いの会などの福祉活動 (相互扶助)
を通じて得られた実態をもとに福祉制度の不備不足を明らかにし、
必要な福祉サービスを要求し、 「公助」 による問題解決をはかることである。
そのうえで生協の福祉活動は、 公的な機関では介入できない分野で独自の役割を果たすべきである。
運動のない 「共助」 は厚生省にとって都合のいい福祉サービス供給体であり、
社会保障・社会福祉の歩みを逆行させるものである。
(注1) この点は永六輔氏も 『あがぺ・ボランティア論』
(光文社、 1997)、 『もっともっとしっかり日本人』
(NHK出版、 1998) のなかでくり返しのべている。
ひらお りょうじ
滋賀文化短期大学