1998年12月号
書評1


社会に不可欠な 「共」 のありようを読み解く 
神田 浩史 地域自立発展研究所


『研究年報 協同組合 新たな胎動』

   川口清史編 法律文化社 1998年 3600円


私たちの社会のありようを、 「公」 権力にすべてを委ねるのか、 「私=市場」 がすべてを支配するのかといった選択は、 単純に二者択一とはならない。 かといって、 「公」 「私」 をバランスよくすればうまくいくのかというと、 そうでもない。 「公」 でも 「私」 でもない 「共」 という部分なくしては、 私たちの社会はなりたたないし、 また、 「共」 がいまある社会の矛盾を解消していくうえで重要なキーワードになる。 一読するとバラバラに思われる本編を構成する論考に共通するテーマは、 この 「共」 であり、 「共」 の担い手としてのNGOや協同組合である。
もっとも、 5つの論考における 「共」 のとらえ方はまちまちである。 最初の中村尚司 「アジアの地域社会における諸問題」 では、 新しい社会経済システムのありようとして、 「共」 が循環性を担い、 「私」 は多様性を形成し、 「公」 は関係性を構築していくものとして、 それぞれを並立関係でとらえている。 モンテ・カセム 「アジアのなかの日本」 でも、 とらえ方は似通っているものの、 自らのNGO経験を語ることで 「共」 のありようを提示するにとどまっている。 安藤和雄 「農村の社会発展と協同組合」 では、 バングラデシュの例をひいて、 "在地性"というキーワードで 「公」 と 「共」 との差異を明確にしようと試みられている。 森澤恵子 「日本企業の海外進出」 では、 「公」 「私」 が主導する経済成長により生じた問題を解消する存在としてフィリピンのNGOが例示されており、 どちらかというと 「公」 「私」 にたいして 「共」 は補完的なものとしてのとらえ方がされている。 庄司俊作 「美山町の新たな女性たち」 においては、 「農村」 女性問題解決にむけての 「共」 の課題と可能性が示されている。
そのありようがある程度明示的な 「公」 や 「私」 にたいして、 「共」 についてはまだまだあいまいである。 「共」 の担い手として登場したはずの協同組合が、 たとえば日本の農協のように 「公」 に即した構造を形成し 「公」 の一翼を担っていったり、 一部の日本の生協のように 「私」 へとシフトして市場の担い手となっていく。 はたして 「共」 の担うべき役割とは何で、 どのような形で存在していくべきなのか。 一連の多様な論文を読み比べていくなかで、 既存の社会組織のなかにも 「共」 を担ってきた部分が強くあること、 さらには 「公」 「私」 の補完勢力としての 「共」 では不充分なこと、 などが読み解けてくる。 そして、 これらを比較することによって、 「共」 の担い手としてのNGOや協同組合のありようについても考えさせられる。



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