1998年8月号
視角


クリントンとカストロ――ジュネーブでのWTO閣僚会議  

暉峻 衆三


この5月、 ジュネーブでの印象深い体験を記そう。
18~20日、 2年に1度の世界貿易機関 (WTO) 閣僚会議 (第2回) が彼地の国連欧州本部のあるパレ・デ・ナシオンで開かれた。 今年はWTOの前身であるガット発足50周年で、 閣僚会議の2日目はその記念式典にあてられた。
閣僚会議と併行してWTOに関連する世界のNGOのワークショップが同じ建物で開催された。 WTOは、 NGOの登録代表にパレ・デ・ナシオンへの特別通行証 (バッジ) を発行し、 事務局長ルジェロや担当者がNGOの会議にも出席して情報提供や交流を行うなどした。 私は日本のNGO 「市民フォーラム2001」 のメンバーとしてバッジを受け取り、 主として農業関連のワークショップに参加した。
まず驚いたのは、 ふだんは平穏なジュネーブに欧州各国から7000人もの若者が集まって反WTOのデモをし、 一部が暴走してマクドナルドなどアメリカ系資本のテナントを破壊したり、 外交官車をひっくり返すなどの挙にでて、 街に厳重な警備体制が敷かれたことだ。 我々NGOのメンバーも、 会場から外出の際は投石などの被害を避けるために必ずバッジを外すよう、 警察から指示された。 WTOが安泰でないことをまず実感させられた。
パレ・デ・ナシオンのNGOセンターの会場では、 隣接の大会議場でのWTOの集会の模様がモニターテレビで随時放映された。 なかでも印象深かったのは、 アメリカの大統領クリントンとキューバの国家評議会議長カストロの演説、 そして会議場での情景のコントラストだった。
格別ものものしい警備体制のもとで会場入りし、 WTO幹部たちに囲まれるようにして雛壇にあがり、 大きく手を振るクリントン、 そこに、 世界の 「超大国」 「覇権国家」 のシンボルの姿を見た。 壇下の最前列の机には、 ひときわ額の広い、 哲人の風貌のカストロが座ってクリントンをみつめていた。
クリントンは強い調子で大演説をぶった。 まず、 第二次世界大戦の苦い教訓をふまえ、 ルーズベルト大統領のイニシアティブのもとで、 世界の平和と繁栄のために自由市場と諸国民の経済相互依存を促進すべくガット、 IMF、 世界銀行が設立された歴史的意義を強調した。 そしてガットからWTOにいたる達成と課題に触れたのち、 21世紀にむけてWTOが今後盛り込むべき貿易ビジョンを7点に要約した。 そのなかで、 情報とカネが秒単位で世界をかけめぐる今日、 一段と開かれた、 市場を迅速に動かす貿易システムを、 早急に整備しなければならぬとし、 ウルグアイ・ラウンドが7年もの歳月を費やしたことを強く非難した。 ぐずぐずしているうちに新しい貿易障壁があいついでつくられてしまうとした。 この演説に、 次期交渉に臨むアメリカの強腰と同時に焦りをみた。 クリントン演説を熱心にメモするカストロの姿も印象的だった。
クリントンはとくに農業に言及してこう述べた。 「農業はアメリカ経済の心臓部だ。 グローバル貿易の障壁の破砕は、 増大する世界人口・食料ニーズに応えるために、 決定的に重要だ。 農業の生産性を抑え込んでいる関税、 補助金、 その他の歪曲を削減すべく、 来年早々にも攻撃的に交渉を開始せねばならない。 改革には一切の中断はないのだ」。 アメリカのこの強腰をみて、 日本がよほどの覚悟であたらなければ、 これまでずるずると極度の低水準に転落させてきた食料自給率を反転させることなどできないと、 あらためて痛感した。
カストロの人気の絶大さを知ったのも新発見だった。 彼は、 アメリカを頭目にひとにぎりの先進資本主義国が貿易をはじめ不公正でバランスを欠いた国際経済システムのもとで甘い汁を吸っていることを糾弾した。 そのもとで世界の大多数を占める途上国 (第三世界) の国民は、 「すべてを失ってきた。 なぜ不公正に注意をむけ、 耐え難い債務の重みについて議論しないのだ。 なぜODAを減らすのだ。 我々にどう生きていけというのだ。 どんな工業生産が我々に残され、 何を輸出できるというのだ」 と、 語気鋭く迫った。
そして最後に、 いまアメリカは 「幸福感 (ユーフォリア)」 に浸っているかにみえるが、 いつ金融危機 (フィナンシァル・メルトダウン) に陥り、 それを契機に世界大恐慌が勃発するかもしれない危ない崖っぷちに、 資本主義は立っているのだ、 と断じた。
カストロ演説には、 NGOのみならずWTOの会議場でもひときわ大きな拍手と声援が送られた。 議場から退出する際は握手や抱擁攻めでもみくちゃという状態だった。 アメリカの目と鼻の先の小国の代表カストロが、 アメリカ覇権主義に敢然と抗議し、 国際貿易システムの改革を強く訴える姿が、 多くの共感を集めたのだろう。 「東西冷戦」 終結後の世界の対極の構図を垣間みる思いがして、 印象深かった。

てるおか しゅうぞう
農業・農協問題研究所理事長
元東京教育大学教授




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