1998年6月号
視角
地球温暖化防止京都会議の裏方として
諏訪 順子
私は、 昨年京都で開催された地球温暖化防止京都会議にスタッフとしてかかわった。
以前から関心をもっていたので応募したが、 関西一円から集まった優秀そうな若い人を目にしてあきらめていた。
採用通知がきたときはうれしく、 何事もまずチャレンジ精神が大切だと、
あらためて実感した。
関係資料が事前に送付され、 半日のオリエンテーションがあった。
私は国連事務局のプレスセンター配属となり、
会議の1週間前から勤務した。 仕事はプレス登録受付だが、
プレス関係者からいろいろ聞かれることも多く、
インフォーメーション的な役割もした。 一緒に働いた人のなかには、
英語の他にもう1カ国語話せる人もいた。 上司は国連職員のスイス人とオーストラリア人で、
彼らはもちろん3カ国語くらいを自由に操っていた。
プレスセンターは国際会議場の本館建物の隣のイベントホールで、
本館同様入館時には登録カードの提示が必要であり、
入館者自身と荷物は空港の搭乗前のように厳しくチェックされた。
この警備は国連専門のガードマンと日本人ガードマンがあたっていた。
プレスセンター内には海外国内含めて200社以上のメディア関係の人々が出入りし、
一同に集まって仕事をする活気のある場所だった。
なかでも12月8日のアメリカのゴア副大統領と橋本総理大臣の会議出席の日には、
報道陣でごったがえし、 熱気にあふれていた。
アメリカのCNNやイギリスのBBCのキャスターをはじめ、
世界的に有名な新聞社の記者たちが、 黙々とデスクで働いていた。
プレスセンターはNGOのグループにも広く使用され、
世界の環境NGOの集まりであるCAN (気候行動ネットワーク)
の貴重な交流の場であった。 彼らはデモンストレーションやミーティング、
記者会見など活発におこなっていた。 イベントホールの外でソーラーシステムのキャンピングカーを使い、
太陽熱で沸かしたコーヒー・紅茶のサービスをしていたグループや、
会期中毎日英語と日本語でニュースレターを出していたグループ
(気候フォーラム) などがあった。
プレスセンターには文書カウンターがあり、
毎日の日程と代表団演説、 気候変動条約に関する広報資料なども提供されていた。
他に何カ所かに新聞やパンフレットが置かれていたが、
前日の新聞が山積みになって残っていることもあった。
プレスセンターは一刻一秒を争って、 多くの人たちが殺気だって働くところなので、
ゴミの量もすごいものだった。 分別して入れる容器に印刷物の他、
空き缶、 空きビン、 空の弁当箱がいつも溢れていた。
本会議の模様、 会議プログラム、 記者会見などはモニターで見られるようになっていたが、
私は勤務のためほとんど見ることができず、 会議の成りゆきは燈台下暗しで、
さっぱりわからなかった。 169カ国の締約国による10日間の会期は、
異例の1日延長になったが、 あっという間に過ぎた感がある。
日本は2008年から2012年までの5年間に、 温室防止効果ガスの排出量を1990年比で6%削減することが義務づけられた。
1994年のCO2排出量の国別割合は、 アメリカ22%、
中国13%、 ロシア7%、 次に日本で5%である。
95年の日本国内総排出量は3億1100万トン (炭素換算)
であり、 90年比で8%増加している。
最近東京都は 「地球環境保全にむけた東京アクション」
をまとめた。 京都会議で認められた森林などのCO2吸収分の算入や排出権取引は導入しないという、
国より厳しい目標になっている。 これが他の自治体にも波及していくきっかけになればと期待している。
京都・大阪・神戸の3政令指定都市の市長会議では、
京都議定書が採択された12月10日を 「地球温暖化対策推進の日」
とし、 3都市が共に温暖化防止の共同キャンペーンを繰り広げることを決めた。
自然環境への意識を高めるために、 行政や企業、
家庭教育や学校教育など、 社会全体がきめ細かにすすめる必要がある。
アイドリングストップのかけ声も今年になってだんだん小さくなっているように見える。
もう少し一人ひとりが気をつけたいものだ。 地球温暖化防止のためにできることは、
私たちの生活のなかにある。
COP4は、 今年の11月、 アルゼンチンで開催される。
京都会議以上に成功をおさめることを心から願っている。
すわ じゅんこ
京都生協組合員