1998年6月号
くらし発見の旅
コープこうべはいま
谷間のせせらぎがいつの日にか大河になる
ブルーシートが消えたまちで
地域の人と一喜一憂しながら、 着地をさぐる
「仮設のまち」 のコープミニ
神戸のまちからブルーシートが消えた。 しかし、
いまなお12000世帯が仮設住宅にくらしている。
最大の仮設住宅があるポートアイランドは神戸港に突きだした広大な埋め立て地である。
どのまちにもある人間くさい建物やにおいはここにはない。
舗装されていない土地にベニヤとトタン板でつくられたプレハブ住宅がずらっと機械的に並んでいる。
ここに2000世帯が3年もくらしている。
96年9月にコープミニが開店し、 8時~20時の営業をしていた。
低家賃公共住宅の整備が不十分なまま、 97年春には当初の
「2年間」 という仮設住宅の期限切れの時期を迎えていた。
仕事も住宅も見通しがつかない単身の高齢者が多く、
1室きりのプレハブで夏の暑さ、 冬の寒さをモロに受けて、
2年が経っていた。 先のことを考えるといてもたってもいられず、
気持がすさんでいた人が多かった。 言葉も荒っぽくなり、
イライラし、 ちょっとしたゆき違いから、 よくトラブルがおこった。
復興から取り残されていくなか、 社会に対する押さえきれない怒りを、
店長や職員にぶつける人もでてきた。 じっくり話を聞いていると、
"生協は何をしてくれるのか"という声が直接的な要求の下に聞こえてくるような気がしたという。
生活に困っているのだから、 賀川豊彦の精神で商品を分配、
あるいは半額くらいにしてくれてもいいではないかという人もいた。
何人かが集まっているところで話し合っていると、
言葉のゆき違いから、 ビールの缶、 丸干し、 ポテトチップが飛んでくることもあり、
酒しぶきのなかで話をすることもあった。 生協の精神をじっくり話せば必ずわかって、
将来にわたって生協の理解者になってもらえるという気持から店長は対応したが、
深夜に及ぶことも再三あった。
店長や職員の気持を支えたのは、 こんなことがあっても次に顔をあわせると
「ご苦労さん」 「ありがとう」 と言ってもらえる明るさ、
素朴さであった。 住民が互いに励ましあったり、
忠告しあったりする地域コミュニティが仮設住宅といえどもできていた。
嵐のような夏が過ぎ、 ふとしたことから魚釣りが流行しはじめ、
公営恒久住宅の抽選が始まって、 徐々に平静になり、
97年クリスマスには住宅の抽選結果の発表があり、
店内も明るい雰囲気につつまれた。
地域に根を下ろして発展し続けるという店舗ではなく、
周辺地域から人々が去っていき、 いずれはいい形で閉めることが求められている店舗運営のむずかしさがある。
いま恒久住宅に移動する人がどんどんある一方、
申し込みすらできない人も多い。 残る人は我慢の限度も切れてくるだろう。
住んでいる人の一喜一憂がすぐ反映する、 地域と一体となった店はこれからが胸突き八丁、
協同の精神をおろそかにせず、 誠実に運営しながら、
着地を模索している。
昨年末の 「神戸ルミナリエ」 の光の祭典には、
3年経った復興の証として473万人の人出があり、
市民の喜びをマスコミは報じていた。 しかし、
その賑わいを抜けてポートアイランドにくると、
あまりの落差に複雑な気持になったという。 「仮設住宅がなくならないかぎり、
震災は終わらない」。
フードシステムの転換をしよう
あなたはいま売られている食べ物に満足していますか、
どこかで妥協しているのではありませんか。 こんな問いかけからフードシステム構想は始まった。
大量生産・大量流通で提供されている食物、 生産者が勝手につくったのだと思いながら、
なんとか折り合いをつけて利用しているのが消費者である。
一方、 生産者も消費者のわがままに振り回されているという思いをもっている。
これこそ食べたかったものだ、 こんなものがつくりたかったんだ、
こういう互いの願いを共有できるような、 生産、
製造、 消費のフードシステムを構築しようという取り組みが始まった。
これには震災体験が大きく関わっている。 被災地の店舗で供給活動をした職員の行動は生協の原点であった。
その地域のくらしにとけ込み、 その地域の"風"を肌に感じることから発想して専門性を発揮したのである。
従来の店舗運営の理論やマニュアルの専門性ではなく、
くらしに関わる複合的な専門性の組み合わせによって、
初めてくらしのニーズは実現できる。 そのための社会システムをフードシステムとよび、
全ての人が喜ぶモノづくりをしよう。
この実現には店舗も大転換しなければならない。
従来は効率的にモノが売れて利潤が残るようにローコストで運営していくのが店長の仕事であった。
人間性を意識しないことも、 効率を求めることも、
あたかも正しいことのように堂々とやってきた気がする。
店舗とは、 地域のくらしに同化して、 その視点からくらしのニーズを発信することが仕事ではないのか。
地域やくらしに無関係に地球の隅々からパワーにまかせて集めてきたモノを売るのが、
私たちのほんとうの店舗なのか。 こうした根源的な問いかけが、
いま起こっている。
コミュニティコープは江戸庶民の井戸端
浜甲団地は西宮市甲子園球場からさらに海側にあり、
4階建てが145棟もある大きな人工のまちである。
その中心にあるコミュニティコープ浜甲団地は200坪のコープ店を半分にして98年3月オープンした。
あとの半分にパンベーカリーと惣菜工場がある。
コミュニティコープとは 「私の地域の私のお店」
というコンセプトで新たに始まった取り組みであり、
フードシステムの具現化を目指している。
パソコンによる福祉情報の検索、 電話によるコープこうべのすべての事業へのアクセス、
コープこうべだけでなく団地自治会などの地域情報や西宮市の行政情報などが備えられている。
協同購入の注文も可能で、 決められた曜日の開店時間内
(7時~22時) に取りに来ればいい。 また、 木製の椅子テーブルを備え、
手を洗い、 熱いお茶を飲み、 簡単な食事、 喫茶を自由に楽しむことができる。
新聞・雑誌の販売、 血圧計の設置、 ゴミの分別箱などなど、
つまりは 「くらしの広場」 なのである。
西宮市では組織率100%だが供給高は5年前の半分くらいになっている。
組合員の願いとのギャップを埋めたいと、 この店はつくられた。
実験的に試みられているのが、 「くらぶ」 から生まれたものをベーカリーや惣菜工場でつくり、
店に並べている。 フードプランの素材を使った
「おばんざい」 は鍋や釜で少量つくられていて
「おすそわけ」 の味がした。
環境共生型農園構想の背景にはリサイクル社会の志向と同時に農業にたずさわりたいという組合員の願いもある。
98年秋に完成する1000坪のコンポストセンターでは33店舗から生ゴミを集めて堆肥化する。
この堆肥を使って三木市にある農園で野菜をつくり、
コープこうべの店舗で売る。 生産者は30人くらい集まっている。
実験栽培では大根、 ほうれん草、 じゃがいも、
玉ねぎ、 人参、 ちんげんさい、 キャベツ、 カブなどが成功したが、
スイートコーンや白菜は虫が喰って、 みるも無惨であった。
地域社会の変革・生協の直接民主主義の構築
フードシステムは店舗から生まれる商品、 組合員のくらしから発信した商品という点で、
直接民主主義の具体化である。 また、 摂津、 但馬、
淡路、 丹波、 播磨の五国からなる兵庫県には、
もともとの五穀の食が外国の食と融合して生まれたバラエティ豊かな食文化がある。
それを発見して現代に蘇らせるという点で、 地域社会の変革でもある。
コープこうべは昨年1年間前年割れの供給高を続けた。
こうしたなか、 命まで失われた震災体験から生まれてきた方向性を理論化し、
生協を根底からつくりかえる動きが始まっている。
しかし、 新しい概念が大きな組織の隅々にまで浸透し、
力を発揮するには時間がかかるのかもしれない。
コープこうべで新しく始められている取り組みは、
"存在の危機"といわれている日本の生協運動の未来像を示す根幹的な姿であり、
さらに21世紀にむけて、 神戸から日本の社会がつくりかえられる姿をも示唆している。
いまはまだ小さなせせらぎに過ぎないが、 やがて大河となって滔々と流れる日がくることを確信して。
この記事には次の方のお話をお聞きしました。
ありがとうございました。 コープミニポートアイランド店長亀山和由さん、
第6地区2ゾーンマスター兵頭壮一郎さん、 コープフードシステム開発本部副本部長平口令一さん、
地域・環境本部、 地域・環境事業部課長永見猛さん、
コミュニティコープ浜甲団地店長足立照雄さん。