1998年6月号
エッセイ
生協を平和のとりでに
CO・OPとやま
理事長 北村 祥子
私は一九四一年、 太平洋戦争がはじまった年、
国民学校一年生でした。 敗戦の年の八月二日、
富山大空襲があり、 二千七百余人の犠牲者を目のあたりにし、
君 (天皇) のため、 お国のためにということに、
二度と欺かれまいと心に誓いました。
なのにいま、 橋本内閣が国会に提出した憲法違反のおそるべき戦争マニュアル。
新ガイドラインによる 「アメリカ有事参戦法」
案。 いまの憲法のもとで、 なぜ堂々と提案されてくるのか、
信じ難い思いと怒りがわいてきます。 あまりにもアメリカべったりの日本は、
これからどうなっていくのでしょうか。
農業経営はWTOで、 ボロボロ。 商工業者の団体では、
「通産省はアメリカにいわれて、 大店法はWTOに違反するとウソまでついて、
廃止するなんて許せない」 と、 怒りの声をあげています。
消費税も 「高齢化社会のために」 と欺き、 多くの候補者の総選挙での公約違反で、
五%アップが強行され、 さらに第二の消費税といわれている介護保険料が追いうちをかけています。
医療・年金も連続改悪。
日本の国民は、 もうなにをされても飛び跳ねることのできなくなった
「茹蛙」 になってしまったのでしょうか。 選挙があっても投票には行かない。
無関心層が増えたからというマスコミの言い分もあたっているかもしれません。
そうであればこそ、 日本全国の草の根の一つひとつが強くならなければと思います。
私は、 生協運動も草の根運動だと思っています。
平和でより豊かな生活をめざす生協。 「組合員が主人公」
の生協。 そのためには、 職員と組合員がしっかりと結びつくこと。
そのかなめは、 民主的職場と職員の自立にあると思っています。
第一次オイルショック (昭和四十八年) の前後、
CO・OPとやまが子どもたちに本物の牛乳を飲ませたい願いから、
少数の人たちで始まった 「消費者の会」 といわれた草創期の話を、
新入職員にしますと、 「人間、 やってやれないことはない、
希望がわいてきた」 と、 目が輝きます。 先輩から
「自分の意見が、 同僚はもちろん上司にもしっかり言える職場づくりをしよう」
と話しかけられ、 働きがいのある職場をめざしての意欲がでてきたと、
語っています。
毎年の市民平和行進には必ず、 通し行進に職員が参加しています。
行進に参加した職員のその後の積極的な変化には驚かされます。
今年富山市で第四十四回日本母親大会が開催されます。
八月一日、 二日は、 いまから五十三年前の富山大空襲の日にあたります。
CO・OPとやまは創立当時から参加し、 生協運動の力にしてきました。
「アメリカ有事参戦法」 を阻止するためにも、
本大会をなんとしても成功させたいと思っています。