1998年6月号
コロキウム(論文)
健康都市、 環境都市、 持続可能都市への道
WHOヨーロッパ事務局、 Healthy Cities Projectの歩み
阪南大学教授
青木 郁夫
Ⅰ. はじめに
WHO (世界保健機構) ヨーロッパ事務局は、
西暦2000年までに (現実には21世紀に)、 「すべての人々に健康を」
というWHO全体の戦略を、 ヨーロッパ地域でどう実現していくのかという戦略構想として、
健康都市プロジェクトにとりくんでいる。
都市に注目しているのは、 西ヨーロッパ社会では人口の8割以上が都市に居住していること、
旧東ヨーロッパの社会主義諸国やソビエト連邦に属していた国々を含む状況においては3分の2以上の人々が都市に居住していること、
都市は経済活動や文化活動の集積地であり、 多様なかたちで人々の健康や環境に影響を与えているという現状を重視しているためである。
もちろん、 都市に注目しているからといって、
農村を軽視しているわけではなく、 Healthy Cityという考え方は、
Healthy Community (健康な地域社会) を意図しており、
人々が生活する地域社会をあまねく包括しうる理念、
考え方、 政策として提起されているとみるべきである。
このことは、 健康都市の考え方が、 カナダに起源をもちヨーロッパ社会をこえて世界にひろがりつつあること、
WHOにおいても、 1991年の世界保健会議において、
工業化諸国だけでなく途上国の都市保健問題への対応手段としても承認され、
1996年の世界保健デーのテーマとしても 「健康な都市」
がとりあげられたこと、 ユネスコの文書などでもこの考え方が重視されていることに示されている。
健康都市の考え方は、 人々の健康を、 個人が、
家族が、 地域社会が、 自己管理し、 増進させていく
「保健力の発達」 に関わるものだといえる。 したがって、
ただたんに彼岸のこととして観察するのではなく、
そこからさまざまなことを学び、 さらに、 その流れに棹さすことも必要だと思われる。
ともに 「Think globally and Act locally」 ということを胸に刻みながら。
さて、 日本においてもいくつかの自治体が
「健康都市」 を 「宣言」 しているが、 とりわけ日本生協連医療部会が、
「21世紀をめざす5ヵ年計画」 において医療生協の社会的役割のひとつとして
「地域まるごと健康づくり」 をかかげ、 WHOとの連携をはかりながら、
健康都市プロジェクトの理念や実践から学びつつ、
これまでの 「地域保健活動計画要綱」 を一層豊かなものにしつつあることにも、
注目しておく必要があるだろう。
Ⅱ. 健康都市プロジェクトの考え方
健康都市プロジェクトは運動としてとらえられており、
そして健康都市形成への過程が重視されている。
健康都市は過程と成果の点で定義されるが、 「ある特定の健康水準を実現した都市が健康都市なのではなく、
健康について自覚し、 健康を増進することに積極的に努力している都市が健康都市である」
(WHOヨーロッパ事務局、 『WHO健康都市プロジェクト:現状と将来計画』
インターネット情報―http://www.who.dk/。 ハンコックは
「健康都市はただたんに最高度の健康状態にある都市ではなく、
政策、 環境レベルから個人のレベルまでの多様なレベルで、
健康および福祉を改善するという意図をもった努力がなされる現在進行形の過程にとりくんでいる都市である」
John K.DaviesMichael P.Kellyed『Healthy
Cities』p.20) とされている。
1986年に健康都市の理念が具体的なプロジェクトに発展してから10年以上が経過し、
1998年から2002年までの第3期を迎えているが、
プロジェクトは運動として常に新たな課題を見いだし、
発展している。
WHOヨーロッパ事務局によって健康都市プロジェクトが構想され、
実施されるにいたる歴史的起源として、 2つのことがらが重要である。
1つはカナダ保健省が、 1974年の報告書 『カナダ住民の健康への新しい視点』
(ラロンド報告といわれる) 以来すすめてきた
「新しい公衆衛生」 の取り組みである。 ラロンド報告は、
19世紀および20世紀の健康改善をもたらした主要な要因は医療ではなく、
社会的、 経済的要因、 すなわち経済成長、 家族規模の縮小、
食料事情の好転と栄養状態の改善、 労働・生活条件の改善などであるという認識を示した。
ここから、 将来における健康の改善は、 環境の改善や健康に資する生活スタイルの促進から生ずるということが提起された。
もちろん、 医療についても軽視されているわけではなく、
プライマリー・ヘルス・ケアが重視されてくるなかで、
新しいコミュニティ・ヘルス・センターづくりが進められてきている
(「Healthy Community づくりの課題」 『Vita
Futura』 創刊号、 青木郁夫、 京都勤労者学園刊、
参照)。
こうした流れのなかで、 もっとも先駆的に
「新しい公衆衛生」 に系統的に取り組んだのは、
トロント市であった。 1978年に同市の保健委員会は、
計画委員会を設置し、 その計画委員会は 『1980年代における公衆衛生』
という報告書を作成した。 この報告書は広範な社会的問題と環境問題を健康の脅威であると指摘し、
それへの社会的・政治的活動と地域社会の形成を強調した。
さらに、 トロント市は1979年に健康に関して調査や問題提起を行うヘルス・アドボカシー局を設置した。
1984年には 「保健医療を超えて――トロント2000」
というカンファレンスが行われ、 多部門間活動の重要性が指摘された。
このカンファレンスには、 WHOヨーロッパ事務局からの参加者もあり、
カナダの経験がヨーロッパに波及していく重要な契機ともなった。
ただ、 注意しておきたいことは、 「健康な生活スタイルの形成」
ということが、 結局は個人の責任事項とされ、
不健康は 「健康な生活スタイル」 を形成できない個人に原因があるかのごとき見方、
「犠牲者に責任を転嫁する」 がごとき 「疾病自己責任論」
が一部に生まれたことである。 それに対して、
ヨーロッパ事務局のキックブッシュやハンコックらは、
健康に関わる社会経済的要因や環境要因を重視し、
生活スタイルよりも環境により基礎をおく社会的健康モデルを提起している
(前掲、 『Healthy Cities』Davies編、 p.3)。
もう1つの歴史的起源は、 WHOにおける
「2000年までにすべての人々に健康を」 (Health
for All by the Year 2000――1977年世界保健会議で決定)
という、 ヘルス・プロモーション (健康増進)
の世界保健戦略と健康へのコミュニティ参加の役割を公式に承認した78年のアルマ・アタ会議以降の取り組みである。
アルマ・アタ会議は、 前年の会議をうけて、 世界の全ての人々に対して基本的人権としての健康を擁護し、
増進することを目標として開催された。 その宣言は、
①健康が基本的人権であること、②健康における不平等の解消の重要性、
③健康にとっての経済及び社会開発の重要性、
④保健ケアへの人々の参加の権利と責務、⑤健康に関する政府の責任、
⑥コミュニティ・レベルでのプライマリー・ヘルス・ケアの重要性、
およびプライマリー・ヘルス・ケアの要件、 ⑦政府による包括的保健システムの形成と多部門間調整の促進、
⑧全ての国々の協同、 ⑨必要な資源の確保、 平和・軍縮の重要性、
などを強調した。
こうしたWHOの活動のなかで、 ヨーロッパ事務局は1984年の会議において、
ヘルス・プロモーションの考え方と原則を受容し、
政策化への広範な討議を組織した。 この会議においてヨーロッパ地域の
「すべての人々に健康を」 戦略の38の目標とその6つの原則を確認した。
6つの原則とは、 ①健康における不平等の解消、
公平の実現、 ②健康増進、 疾病予防の重視、 ③社会のさまざまな部門の協同、
④コミュニティ参加、 ⑤生活・労働の場で接近できるプライマリー・ヘルス・ケアに焦点をおいた保健ケア、
⑥国際的協同の6つであり、 これらを地域社会での活動で実践することが強調された
( 『Twenty steps for developing a Healthy
Cities Project』1995 p.8)。
さらに、 86年1月のコペンハーゲンでのヨーロッパ事務局会議では、
健康都市プロジェクト構想の柱=戦略的プライオリティとして、
①貧困者や低所得者の状態に注目し、 健康における不平等をなくすこと、
②健康を支える物的環境を創造すること、 ③健康を支える社会環境の創造、
④コミュニティ構成員の健康を保護し、 改善するために活動するコミュニティの能力や機会を強化すること、
⑤健康であるために人々が必要とする熟練を開発できるよう援助すること、
⑥保健サービスのあり方を健康増進、 予防、 コミュニティ・ベースなものにと方向転換すること、
大衆の参加を保障し、 促すこと、 ⑦公共、 民間、
ボランタリー (民間非営利) の連携を図ること、
行政における民主的な責任 (accountability)
を確立すること、 などが確認され、 健康都市プロジェクトの構築とその実施の基礎が築かれた
(アシュトン編、 『Healthy Cities』p.28)。
そして、 86年11月にオタワで開かれたWHOのヘルス・プロモーションに関する国際会議とその宣言が、
健康都市プロジェクトの戦略的な枠組みをあたえるものであった。
オタワ宣言は、 「健康増進とは、 人々が自らの健康をコントロールし、
改善することができるようにする (enabling)
過程である」 とし、 行政が保持すべき原則として、
1) enabling――人々に能力と権限をあたえ、
実践のための手段をあたえ、 実践の場を整備する、
2) mediating――調停する、 仲介する、 3)
advocating――擁護する、 支援する、 代弁する、
を確認したうえで、 健康増進の展開にかかせない手段として、
1) 健康公共政策の構築、 2) 健康を保持するための支持的な環境づくり、
3) コミュニティ参加を強化する、 4) 個人の技能・能力を発展させる、
5) 保健サービスの方向を転換する、 を確認した。
Ⅲ. 健康都市プロジェクトの歩み
こうして、 いよいよ1987年からヨーロッパ地域で健康都市プロジェクトが開始されることになった。
それは 「コミュニティに対してその能力と権限を付与する
(エンパワーメント) 過程を正統化、 促進し、
支持する手段」 (A.Tsouros) とされた。 健康都市プロジェクトのこれまでの歩みを簡単にみておこう。
◆第1期 (1987~1992) : 「健康都市」 づくりの思想的実践的定着の試み――ヨーロッパ35都市と共同で実施、
ネットワーク形成
第1期の健康都市プロジェクトは1986年、 リスボンでの第1回健康都市シンポジウムやその後のヨーロッパでのモデル地区の設定などの経過をたどって開始された。
また11の項目からなる 「健康都市の条件」 を示した。
それは、 ①質の高い、 清潔で安全な物的環境――住宅を含む、
②安定的で長期的に持続可能なエコ・システム、
③強力で、 相互に支えあい、 非収奪的な地域社会、
④生活・健康・福祉に影響する政策決定への高い水準の参加とコントロール、
⑤すべての都市住民の基本的ニーズの充足、 ⑥広範な経験や資源へのアクセス、
⑦多様で、 活力ある革新的な都市経済、 ⑧都市住民の文化的、
生物的遺産の継承、 ⑨上記の特質に合致し、 それを高める地域社会形態、
⑩すべての人々がアクセスすることができる適切な公衆衛生、
疾病ケア、⑪高い健康状態――高水準の積極的健康と低水準の疾病――の実現である。
プロジェクトの目標は 「都市そのものとそこに住む住民をより健康にすること」
にある。 地域を基盤とした新しい公衆衛生活動を展開し、
個人や地域社会、 民間団体、 行政の健康に関する考え方や意思決定の仕組みを変え、
都市に住むすべての人が、 健康を自らのものとして考えられることを目的としている。
多都市間行動計画作りも開始された。
第1期は、 目標や戦略を実現するのに必要な構造や過程の確立に力点がおかれた。
しかし、 1989年には 「環境と健康についてのヨーロッパ憲章」
が決定され、 「健康で持続可能な都市 (healthy
and sustainable city)」 という、 より展開された考え方が提起された。
さらに1992年には、 健康都市プロジェクト展開のための20のステップを示し、
プロジェクトを各都市で展開できるように支援している。
◆第2期 (1993~1998) :都市レベルでのヘルス・プロモーション政策の採用の促進――総合的都市計画の立案とそれを推進する仕組みの構築
1993年からは第2期のプロジェクトが展開されている。
具体的には、 「すべての人々に健康を」 都市政策の策定と実施、
都市の健康に関するデータの集約、 公平性の確保や持続可能な開発
(地域アジェンダ21を含む) などの課題を明示する総合的な都市計画の立案、
健康都市づくり計画の策定と実施を推進する仕組みの構築、
健康についての責任 (accountability) 機構の構築などが取り組まれ、
第1期に対して、 より実践的な内容が深まってきている。
ヨーロッパでは37の都市がWHOネットワーク都市に選定され、
25カ国が国内の健康都市ネットワークを構築している
(ヨーロッパで600以上の都市、 世界では1000以上の都市がネットワークを構成)。
94年には非政府組織であるヨーロッパ健康都市国際連合が結成された。
多都市間行動計画 (MCAP) も積極的に展開されており、
持続的開発、 エイズ、 女性の健康、 タバコ、 薬物などがテーマとしてとりあげられている。
環境政策との関連も、 OECD (経済協力開発機構)
のエコロジカル・シティ・プロジェクトなどとの連携も強まり、
それは1996年の報告書 『私たちの都市、 私たちの未来:健康と持続的開発のための政策と行動計画』
に結実した。
◆第3期 (1998-2002年)
第3期はこれまでの健康都市プロジェクトの経験のうえにたって、
健康における公平と持続可能な発展という原理に基づいて、
革新的及び持続可能な方法で、 都市の健康増進、
地球規模の健康増進のためのプログラムを推進することを課題としている。
新たなプロジェクトを構築するにあたって、
①変化はイノベーション (革新的変化) を必要とすること、
②新しい機会と考え方を切り開くためには、 空間、
時間、 専門的能力とエネルギーが必要なこと、
③ネットワークが変化とイノベーションにとっての鍵であること、
④プロジェクト管理が重要であること、 ⑤政党の政治活動と
(基本的人権としての健康に関わる) プロジェクトの主体が混同されてはならない
(政争の具とされてはならない)こと、 ⑥地域のプロジェクト成功はその都市の社会的、
経済的、 環境的、 組織的特徴に左右されること、
⑦多部門間協同とコミュニティ参画の実行が重要であること、
に留意するとされている。
さらに、 97年7月のヘルス・プロモーションに関するジャカルタ宣言
「21世紀にむけたヘルス・プロモーション」 に掲げられた優先順位も当然第3期活動の前提とされている。
すなわち、 ①健康に対する社会的責任 (social
responsibility) の促進、 ②健康発達のための投資の増大、
③健康のためのパートナーシップの統合と拡大、
④コミュニティ能力の増大と個人の能力および権限の付与、
⑤健康増進のためのインフラストラクチャーの確保である。
Ⅳ. おわりに
ここで注意を要することは、 WHO健康都市ネットワーク参加都市は、
一定の参加要件を満たせばすべてが認証されるわけではなく、
地域的配置などをも考慮した事務局の基準によって選定される。
また国内ネットワークへの参加は、 要件を満たすことを必ずしも要しない。
しかしながら、 健康都市についての参加要件を満たしているか否かの認証は、
ちょうど今多くの企業が、 ISO14000 (企業活動についての環境品質保証規格)
認証を取得することによって、 企業としての格、
あるいは社会的認知度を高めようとしているのと同様に、
各都市の 「社会的な格」 を高めていくうえで、
きわめて意義あることだと考えられる。 そしてそのことは、
「住民の安全、 健康および福祉を保持」 すべき自治体の役割をまっとうに果たすことを意味するであろう。
(短い文章では言い尽くせないので、 『ヘルスプロモーションと医療生協の健康戦略』
自治体問題研究所刊、 1998年3月、 を参照していただきたい。)
あおき いくお
1954年生。 大阪市立大学経済学部卒業、 京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。
現在阪南大学経済学部教授。 経済政策、 産業政策担当。