『協う』2010年4月号 探訪くらしとコミュニティ


集落生協を支えるコミュニティ―高知県津野町床鍋集落にある 「森の巣箱」 から― 

片上 敏喜 (京都府立大学大学院 農学研究科 博士後期課程)


  高知県津野町の床鍋集落にある 「森の巣箱」 は、 「集落生協」 として集落の人々が共同で出資し、 集落内の人々の手によって自主独立で運営しながら、 自らの生活に必要なものを手に入れることを事業化している。 生協とは、 一般市民が生活レベルの向上を目的に、 各種事業を行うために結成された組合組織であることは周知の通りであり、 床鍋集落は、 法律上の生協ではないが、 生協の原点-人々が願う様々な形の生活レベルの向上-を見出せる活動を行っている。 本稿ではそうした床鍋集落における活動を紹介したい。
 
床鍋集落の概要
  高知県津野町は、2005年2月に葉山村と東津野村の2村が合併して誕生した町で、人口6,798人(2010年3月現在、津野町役場調べ)の町である。床鍋集落は、その津野町役場から、車で10分ほどのところにあり、38世帯(1人世帯は、12世帯)が住んでいる中に「森の巣箱」はある。「森の巣箱」は、昭和58年に廃校となった旧床鍋小学校を改装した施設であり、集落の住民と行政とが協働して完成した農村交流施設だ。

床鍋集落の状況と森の巣箱
  現在はトンネルによって集落外へのアクセスの利便性が上がっている床鍋集落であるが、トンネルが開通する以前は他地域とのアクセスが極めて難しい集落であり、小学校の廃校からも読み取れるように、子どもの数も激減し、集落の人々は家に帰っても寝るだけという地域となっていた。床鍋集落は、第1次産業(主に林業)を中心に生計をたてていたが、昭和50年ごろから人口が減少。そうした中、地域へと帰ってくる若者も見られたが、世代間の相違もあり、集落内においてコミュニケーションを取る機会と場がない状態が続いていた。森の巣箱運営委員会代表の大崎登氏は、「これではいかん、若者が何かできる地域づくりを行わなければならない」という思いで、集落の住民に呼びかけ、お祭りなどを始めとした様々なイベント・レクリエーション活動を行っていく。このことが、集落内でのコミュニケーションを深化させていく契機となり、森の巣箱への運営への屋台骨となっていったという。そうした集まりの中で、毎回話しに出てきたのが、廃校になった小学校のことであった。廃校になった小学校については、話題が出る度に取り壊しの話があがったという。しかし大崎氏は、集落のみんなが通った思いで深い場所がなくなるということに抵抗を感じており、なんとか廃校となった小学校を活用することができないかという道を模索していたという。そのような中、廃校の利用について地域住民が集まって話し合いを行う場を設けるに至ることとなる。その中で出た意見としては、集落内で買い物ができるお店がほしいということと、みんなが集まって語り合うことができる居酒屋のような場を作りたいということであった。そうした集落の住民の思いを受けて、県の補助金(8,500万)を使い、廃校の再生が始まった。その際、宿泊施設としての機能も取り入れる案も出て、集落のみんなが集える場と並行して集落に訪れた人々が宿泊できる場としても活用できるように、宿泊施設としての機能も付加され、農村交流施設「森の巣箱」が2003年4月に完成した。

森の巣箱の運営について
  森の巣箱のミッションは、あくまで地域の集落の人々が日々の生活を「元気に」過ごせるために必要なことを充足することができる場であることにある。そのために、森の巣箱の運営は、地域住民が出資して主体的に行う運営方法を選択した。運営については、年間400万円の資金が必要であったため、その資金についても集落で出資して運営を行うように話し合いの場を設けて決定された。また、運営を安定させるための恒常的な売上げ確保のために、集落内の各世帯と協定を結んで、例えば5人家族では4万円をお店で使うといった決め事を行い、集落の住民で協力しながら森の巣箱を運営していくマネジメントを行った。このようにして年間の売上目標を700万から800万に設定し、運営を集落内の住民で自主的に行い、今日までの7年間、直向きに集落の再生に取り組んできた。しかしながら、現在、その動きがやや停滞気味な面もあり、年々、森の巣箱に開店したお店の売上が落ちてきているという現状もある。だが、売上が落ちてきてはいるが、その代替として集落における道の清掃作業などを行政から受け負い、集落の住民みんなで行う事によって、事業を補填するといった柔軟な運営を行っているという。こうして集落の住民の主体的な働きかけによって、モチベーションを高めていこうとする背景には、床鍋集落がもつある自覚に起因される。床鍋集落が運営を行う「森の巣箱」は、様々な地域活性化の優良事例として取り上げられる機会が多く、全国にある同じ様な集落からの視察が多い。「森の巣箱」は、そうした集落の再生のシンボルとしてありたいという自覚があり、シンボルとしてあり続けるという緊張感を常に自覚することで、切実感が生まれ、様々なアイディアが創造され、創造されたアイディアを事業として具体化し、継続していくということにつながっている。これは商業ベースの運営のみの視点で捉えると考えにくい事業へのモチベーションである。森の巣箱は、床鍋集落のみんなが元気であり続けてほしいという思いと、集落の象徴としてありつづけたいという想いを自覚しながら、事業を運営しているのである。こうした前提のもとに、森の巣箱は事業を行い、集落における生活協同組合を維持している。さらに今後は、農業体験なども充実させてより多くの人々に訪れる機会を設けたいという思いから柿、アケビ、くり、さくらんぼといった観光農園への展開も考え、現在準備を始めている。
 
森の巣箱からの学び
  森の巣箱がある床鍋集落では、目に見えて人口の減りが身近に切実に見とれる状況にある。そうした状況において集落の住民が日々感じる危機感、切実さは私たち都会に住む人々とは比較にならない。こうした切実な状況を自らが肌で感じることが、様々なアイディアを出していこうという気持ちを喚起させていることは想像に難くない。さらに、森の巣箱がこれほどの運営を行える背景には、森の巣箱運営委員会代表の大崎登氏の尽力が大きい。元来、森の巣箱のような主体的な運営において一番のキーポイントとなるのは、誰が集落の人々と合意形成を取りながら、事業を円滑に進めていく事ができるかという点にある。それについて、大崎氏自身が生まれも育ちも床鍋集落で過ごしてきており、集落における横のつながりがとれる状況にあったことが大きかったと大崎氏は話す。また、第3セクターのような運営方法ではなく、行政にはハード事業のみを手伝ってもらい、運営の中身は基本的に集落の人々の主体的な働きかけによる自主独立で行う環境を意図的に設定することで、事業運営の柔軟性を確保していることも特徴的な点だ。さらに、大崎氏は、自分が集落において様々な活動を行うことに対して、家族の応援があったことが大きかったということを話してくれた。大崎氏の家族が、こうして大崎氏本人が活動を行うことそのものが嬉しいという思いがあるといい、それは集落の「元気」を作っていこうとする森の巣箱の活動そのものにつながっていることがいえるのではないだろうか。
  集落の人々全員が共同で出資し、自分たちがほしいものを事業化し、みんなで運営している森の巣箱の背景には、①集落に対するビジョンを示せる人物の存在、②ビジョンを示す人物に対して集落の住民が任そうと思える経緯・状況、③運営を行っていける自主財源の確保する柔軟性のある努力、があり、こうした背景があってこそ、集落生協として森の巣箱が存立できているといえるであろう。