『協う』2010年4月号 特集3

中山間地の住民の生活を支える―豪雪地帯・コープぎふを事例に―

熊崎 辰広 (当研究所研究委員・コープぎふ職員)

 

岐阜県の森林面積の占める割合は81.6%であり、特に飛騨地方はさらに高い割合となっている。従って、中山間地の生協の配達コースでは、一部かなりの過疎地を含むことが多い。1999年、コープぎふは三つの地域生協の合併で誕生した。高山を中心に展開していた飛騨生協、岐阜市内で店舗中心の岐阜消費生協、そして岐阜地区市民生協である。今回紹介する三つの地区は皆合併以前には組合員のいない空白地区(一部白川村を除く)であり、どちらも配送センター(支所)から遠距離にある。特に冬場は積雪により配送の困難な地区であった。

大野郡白川村
  岐阜県の西北端にあり富山県との県境に位置する。平野部から隔絶する険しい山間地であり、特に荻町集落とその周辺は古来飛騨白川郷とよばれ、現在世界遺産として登録され観光客も多い。
  森林面積は95%、耕地面積は4%に過ぎない。世帯数は755世帯で、人口1885人、高齢化率は28.2%に達する。大きく二つの地区に別れる。荻町集落を含む鳩谷地区(人口の約7割)と荘川村に近い平瀬地区。1996年ごろ、一般の運輸会社を利用した、醤油などの基礎的な商品や日用品のまとめ買いが行われていたが、そのうちに「コープとやま」からの配送が鳩谷地区で始まった。当時、高山市にある飛騨生協(センター)からは一時間半ほどかかり、途中の御母衣ダムを巡る道路は隘路も多く配送を断念していた。豪雪地帯である白川村は1981年には降雪累計約22m、積雪は4m50cmにも達している。
  2006年白川村に平瀬地区の方から「JAのお店が撤退し、近くに買い物をする所がなくて困っている」という声が届き、「生協が必要とされ、待っている人がいる、なんとか役立つことができないか」。そんな支所の職員チームの思いから、プロジェクトチームを作り、最初は「試食商品説明会」などを開催しながら、組合員を増やし3班約20名からのスタートであった。利用組合員からは「とにかく、食材にしろ何にしろ、選べる幅が飛躍的に広がりました。不便だとか、田舎だからだとか、そうしたことは何も感じなくなった。」などの声が寄せられている。
  2008年7月に東海北陸自動車道の全線開通により、高山からも近くになり、「コープとやま」との協議で、白川村全体が配送地区になった。コープとやまからの転籍により拡大する組合員に対応するため3つのJSS1)が立ち上がり、3人で76世帯の配送を担当している。その中には60歳以上の高齢者や独居世帯も多く、細々とした日用雑貨に加えて、意外にも野菜類の利用も多い。獣害もあり畑の維持がしんどいということらしい。また働き世代の利用者は、土日に高山まで買出しにいくのがつらいので、生協でまとめ買いをするというケースもある。
  平瀬地区では、3軒の個人商店があったが現在は1店舗のみに減少し、残った店舗もご主人は病気がちで、しかも旅館などへの仕出しなどが中心であり、商品の品揃えは少なく、価格も高めなどの不便さを抱えている。地元の組合員はこの商店との付き合いも大切にしながら生協の利用をすすめている。現在白川村全体では40班で組合員は210人。週に2つのコースで配送している。
  松原飛騨支所長のコメント「今年の大雪は、さぞ高齢の方々の身には堪えたことでしょう。雪の中でも届ける宅配が少しでも『暮らしの心強さ』につながればと思います」。
                    
郡上市白鳥町石徹白地区
  白川村からは荘川村を隔てて南に位置し、福井県との県境にある。戸数110戸、人口297人で、3年前に比べ戸数で7戸、32名の人が減少している。減少の原因は転居ではなく、高齢者の死による自然減である。昭和30年台は210戸、1200人強であった。同地区には3つのスキー場があり、それに関連した民宿も多い。しかし高齢化率は44%を超えており、過疎・高齢化が進んでいる。冬場の積雪は平均3mを超え、白鳥町の市街地からは山一つ峠を越える必要があり、配送支所のある関市からは東海北陸道を使っても1時間半を要する。
  この地区は平安時代から白山信仰による修験者の出入りで栄え、「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されていた特別な地域でもある。10年ほど前までは、移動供給のトラックがきていたが、経営者が亡くなって来られなくなった。地区内には、一軒の商店とJAのお店があるが、売り場は小さく、日常の生活には、白鳥の市街地まで行く必要があった。
  2003年頃、愛知県から嫁がれたSさんが中心となって強い要請があり、配達を検討することになった。最初20名ほどの組合員からスタート、現在5班で約40名の利用がある。ここでは比較的狭い地区でもあり、JSSの班はない。5班のうち1班は、利用組合員が集まれる班だが、他の班は基本的に留守班となっている。この中では比較的高齢者の利用も多い。しかし、高齢化率の高い地区なので、商品配達の潜在的需要はあると思われるが、高齢者の方は商品案内をみて注文したり、前もって予約して利用することがどうしても苦手であることなどのハードルがあってなかなか広がっていない。
  この地区では、さきほどのSさんともう一人地元のIさんの2人がリーダー的な存在となっていて、組合員のネットワークができているが、なんとか高齢者のための引き売りのようなことが生協でできれば、という意見も出されている。

郡上市高鷲町ひるがの地区、上野地区
  高鷲町全体の戸数は1057で、人口は3470人、この地区では1980年ごろから両方とも微増しており、2000年からは殆ど変化がみられない。人口が増えたのはスキー場経営などのサービス業に従事する機会が増加したためと考えられている。ひるがの地区は戸数215、人口633人、上野地区は戸数46で人口174人である。これらの地区は戦後、満州高鷲開拓団の帰還者による入植によって開かれた地域であり、ひるがの地区は酪農、上野地区は大根の産地である。特に大根は「ひるがの大根」として市場でも高い値がついている。この地区はその他の地区に比べやや長い坂道を越える必要があった。冬場は石徹白以上に豪雪地帯である。ここもいくつかのスキー場があり、ひるがの地区の酪農家の多くはその後民宿を営むケースが増えている。
生協の合併以前には、上記地区以外には生協の班があり、週一回の配送コースがあった。ひるがの地区に知人や親戚のいる組合員からの強い要請もあって、2000年頃から試験的な配送を進めてきた。同時に商品試食会などを開きながら組合員加入を勧め、スタートした。この地区は広い大根畑の中に点在する小集落が多く、現在JSSの班が2つあり、2人で33人の戸数を配送している。ひるがの地区の組合員は31人、上野地区も31人、7班という数字になっている。
  近藤中濃支所長のコメント「平成16年に郡上郡の町村が合併し郡上市が誕生した。この地区では、高齢化が進みまた豪雪地帯でもある。個配や、高齢者の御用聞きなどの要望に応えられる新しい仕組みを検討しなければいけない時期がくるのではないかと思う」。
  上記3つの地区に共通するのは、冬場の降雪により、特に高齢者の買い物などの生活の困難さを抱えていることである。現在、生協のJSSが唯一これらの過疎地での地区での利用を可能にするシステムとして展開されている。都市部での個配コースのような効率のよい配送は困難でもあり、地元の組合員が、組合員の自宅へ配送するという強みを生かす取り組みも必要と思われる。
  ただ、必ずしもJSSが安定しているわけではなく、特に何かの事情で配達ができなくなるサポーターがいると代わりのサポーターを探す必要が出てくるのであり、コスト上の問題点も抱えている。
  全国の生協で個配が注目され始めた時、その倍増するコスト等を解決するために、多くの生協で「メイト」方式が採用された。組合員の有志の有償ボランティア(コープぎふでは業務委託)による配送である。しかし、この「メイト」方式(東海地域では「JSS」)には様々な問題点が指摘され、現在はほとんど姿を消している。コープぎふでは、特に配送困難な地域ではJSSが、今も組合員にとって不可欠な存在であり、「メイト」方式の試みは、決して無駄ではなかったのである。
  
1)ジョイントサポートシステム、組合員サポーターによる個別配送システム。サポーターとは業務委嘱をかわしている。