『協う』2010年4月号 私の研究紹介
私の研究紹介 第19回
北島健一さん
立教大学コミュニティ福祉学部 教授・当研究所研究委員
公と市民の連携・共生型の経済社会をめざして
聞き手:長壁 猛 ( 「協う」 編集委員・事務局)
研究者になるきっかけからおきかせ下さい。
私が学問にたいして真剣にむきあったのは大学2回生からです。当時、京都大学経済学部では自主ゼミ活動が非常に活発で、私も2回生から参加し、『国富論』や『資本論』などを読みました。そのときのチューターが、いま立命館大学で商業論を担当している三浦一郎さんです。当時から博識な方で、憧れの的でした。下宿に行って「こんなに本があるのか!」とびっくりしました。学問への関心の扉を開けてもらったという感じですね。
いまの研究テーマにつながるきっかけは?
大学院に入学したのは79年ですが、ちょうど80年前後は、フランスでミッテランの左派政権が誕生し、社共の共同政府綱領などに基づいて国有化を始めとする左派的な改革が進められていく時代でした。私が研究者としてスタートしたときは国有化や公企業、つまり公共セクターの経済学の研究から始めました。当時はヨーロッパの影響を受けながら、日本でもそういうことが問題になるのかなと素朴に思ったわけです。
そもそも「国有化」とは何なのかを調べたくて、修士論文では、第二次大戦直後のフランスにおける石炭産業国有化問題、つまり、エネルギー部門の国有化の問題をとりあげました。
その延長線上で国家論を勉強する必要があると感じましたが、修士課程を終わった段階で指導教官だった木原正雄先生が退官されたこともあって、博士課程は池上惇先生の下でそれを学ぶ機会に恵まれました。
ロザンバロンの考えに衝撃
松山大学に就職後のことですが、フランスの国有化論の源泉を辿る研究の過程でロザンバロンの国家論にのめりこみました。彼は「われわれは公共セクターの拡大をアプリオリに良しとしがちだが,ちょっと立ち止まって、国家の拡大に対する自由主義者の批判にも耳を傾ける必要があるのではないか」との問いかけから出発し、福祉国家の危機が問いかけているのは社会のあり方だ。社会が、自分たちのやるべきことまで全部上に任せてきたから、こんなことになったのだ」という議論をしていて、私は衝撃を受けたのです。いまでも「福祉国家をつくり直す」という考え方がありますが、彼はそうではなくて、「これは、社会が自分たちで解決することを放棄して、すべてを任せてしまった結果だから、実は福祉国家の危機は社会の危機なのだ。だから,どのような社会にしていくのかが問われているのだ」というスタンスで、私は共感したわけです。
じつは、その時、池上先生の「官僚機構に吸い上げられた事務を住民側に取り戻し、住民自治を実現していく」というような議論を思いだし、すごく似ていることに気づいて不思議な感動を覚えたことを記憶しています。
国有化論の源流を辿る研究を論文にまとめようと思っていたちょうどそのころ、いまくらしと協同の研究所理事長をされておられる的場信樹さんから「基礎理論研究会」(生協総合研究所)へのお誘いがあって参加させていただくことになりました。
基礎理論研究会ではどのような研究をされたのですか?
「基礎理論研究会」とそれに続く「協同組合研究会」の研究活動は、その後の私の研究テーマになった「連帯経済」や「社会的企業」の研究につながるものになりました。
研究会で社会的経済の研究をすすめていくうちにフランスでは、市民による経済活動についてはもうひとつの流れがあるということを知って、その勉強もしました。連帯経済の議論がそれです。それは市民が自分たちで問題を解決していくために経済活動に取り組んでいくという、アソシエーションの新しい傾向に注目した議論です。
しかし、社会的経済ということでやってきたからなのか、この研究会のなかでは「連帯経済」の概念はあまり受け入れられませんでした。フランスの連帯経済を唱える人たちが社会的経済をずいぶん批判してきたという事情があったんだろうかなと思います。
そもそもヨーロッパの社会的経済論は、伝統的な組織を経験的なベースにした議論です。フランスの消費協同組合がつぶれ、その他のヨーロッパの協同組合も自由化や国際競争に巻き込まれていくなかで、これまで一定の地歩を築いてきた協同組合や共済組合のアイデンティティが崩れ始め、「通俗化」する傾向が非常に強まりました。そのために、協同組合運動を担ってきた人々のなかの非常に良心的な層が「これでいいのか。これではだめではないか」という危機感を抱き、それが「社会的経済」という議論に結びついていった。つまり、「自分たちのアイデンティティをしっかり持とう」というのが社会的経済の議論をしていた人たちの発想なんです。基礎理論研究会のスタンスも基本的に同じものであったと思います。私は、この研究会を通して、初めて協同組合やNPOの理論や運動を基礎から勉強しました。そして、そのおもしろさに魅せられて,結局,予定していたよりも早く,公共セクターの研究からサードセクターの研究へと方向転換することになりました。
社会的経済から連帯経済へ
基礎理論研究会は社会的経済がテーマでしたが、社会的経済を調べるうちに必然的に連帯経済も視野に入ってきて、私はむしろ連帯経済のほうがおもしろいと思うようになっていきました。確か何年か前に広島で開かれた協同組合学会で、田中秀樹さんがヨーロッパの農協における協同組合原則の修正の動向を報告されていたかと思います。そこでも紹介されていたように記憶していますが、ヨーロッパの当時の社会的経済の議論は、たとえば「出資するだけの組合員」とか「一人一票ではなく、取引高に応じた議決権の配分」といった原則の修正をどう見るかなど、協同組合原則に関わる話が議論の中心になっているように感じました。当時、そのような論文を結構読みましたので。また、初期の頃のヨーロッパの社会的経済の議論には、どれだけの数の雇用を生み出しているかという観点も明確でした。
でも、では協同組合は協同組合原則を厳守さえすればそれで良いのか,雇用者を数多く生み出せばそれで良いのかというと、現実はそんな簡単な話でないのではないか。議論の展開に行き詰まりを感じて、もっと視野を拡げて社会のあり方の変化にも目を向けて議論していく必要があるのではと思いました。
それで、当時は「新しい社会的経済」という言い方をしていたこともあるように、新しい社会的課題に応えて経済活動に取り組む新しい非営利の事業体を対象にする連帯経済にどんどん興味を持っていったわけです。連帯経済が提起する問題の広がりというか、視野の広さに惹かれたんです。連帯経済を唱える人たちはその一方で社会的経済の組織に対して「地域ではいろいろな課題が出てきているのに、そういう課題に応えられていない」と批判していたんで、そんな点が研究会では受け入れられなかったのかなと当時は感じました。
「社会的経済」と「連帯経済」をもう少し踏み込んでお話し下さい。
私の考える「連帯経済」「社会的企業」というのは、現在使っている意味での「福祉」と「経済」を合わせたものです。いまの世の中の仕組みは、経済と福祉を分けて、「経済は効率の世界。そこであげた資金を、みんなでプールして、その世界から漏れたりリタイアした人たちをプールした資金でまかなうのが福祉」となっています。その意味で、構造的に経済と福祉をきっちり切り分けた世界になっていて、こういう構造の垣根を一部取っ払おうとしているのが連帯経済だと思います。
社会的経済の組織の核となっている伝統的な協同組合は、常に「経済」に軸足を置いて、基本的に市場経済のなかで活動しています。他方、連帯経済の活動している領域はそもそもマーケットでやれるような分野ではないと思います。「福祉」は、切り分けた世界においては、プールした非市場的な資源(税金や社会保険など公的資金)にまかせているわけですが、連帯経済は「市場的な要素も組み合わせながら、そういう分野を維持しよ
う」というもので、たとえば就労の困難な人を助けたり、介護サービスなどの活動がメインになる分野だと思いますから社会的経済とは事業類型が違う。そこは本来、マーケットではできないことです。
だから、連帯経済と社会的経済は、対立するというよりも、類型が少し違うというのがぼくのスタンスですね。原理的には協同組合には公的資金なんて入りようがないけれども、連帯経済がやっている事業は公的資金が入っても全然おかしくない,むしろ入らざるを得ないと思います。同じ「経済」という言葉は使うけれども、資金の出所も事業のフィールドも違うと思います。
連帯経済の源泉
「連帯経済」という言葉の源泉ということでいえばフランスの研究者によると1848年の革命(二月革命)の頃、30年代40年代の労働者によるアソシエーション運動の高揚のときに出てきたそうです。そのときに「連帯経済」という言葉を使った思想家がいたようです。「人間の平等性に基づいて、違った人たちが自発的に集まって、つくりだしていく経済」というような意味合いで「連帯経済」という言葉が使われたようです。
「平等」というと、「みんな同じ」というニュアンスがありますが、その当時「連帯」という言葉にこめられたのは「平等性を通して、お互いの違い,個性が花開いていく」という考えでした。「差異は認めながら、平等を追求する」ということですね。たしかに、たとえば「共に働く」を理念に掲げて健常者と障害者など、違った人たちが同じひとつの事業体をつくってやっている運動がありますが,それなんかは、この意味での「連帯」という言葉が当てはまる活動なんだろうと思います。
いずれにせよ、「差異のなかの平等」を実現するものとして「連帯」という言葉が1840年代に出てきたらしくて、現代社会のなかで生まれている活動を「連帯経済」と呼ぶときに、そこから汲み取って使ったようです。「社会的経済」は、19世紀末頃に使った言葉を復活させたものなので、言葉の起源という意味でも「連帯経済」とは違うようです。
協同組合は社会的企業になれるのか?
社会的企業を組織という視角から見て、協同組合の事業性と非営利組織の公益性を兼ね備えたような特徴をもっているものとみる場合があります。サードセクターという特徴を強調する議論といってよいでしょう。そのような側面を否定するつもりはありませんが、私は、社会的企業は、まずはその社会的目的となっているアクティビティ、つまり「どんな目的をもって事業をしているのか」ということをベースにおいてみる方がいいと思っています。大きくは、就労の困難な人を対象に労働を通して社会統合を果たしていくもの、介護や保育などのコミュニティサービスを提供していくもの、地域で暮らし続けていくことを支える基盤づくりをめざすものの3つのタイプの社会的企業に分けられると考えています。このような活動に協同組合が取り組むというのはもちろんありうるし、むしろあってしかるべきかと思います。
この3月から、仲間たちとワーカーズコレクティブの調査を始めました。数はそれほど多くはないのですが、ワーカーズコレクティブのなかに、障害者や引きこもり気味の若者を受け入れて働く場を提供しているものが出てきているんです。「労働統合型の社会的企業」の体系的な調査のとっかかりとして始めました。今後、労協、共同連などの障害者団体にも拡げていって、労働統合型の社会的企業の特徴、その発展の上での課題を明らかにし、さらにはそういうアクティビティに取り組む社会的企業を支える制度について提言できればいいなと考えています。
新しい経済社会における「連帯経済」の位置は?
右肩上がりの経済成長を価値としない経済社会のあり方への転換の一翼を担う経済の形であることは確かではないでしょうか。内橋克人さんの「共生の経済」もそうだと思いますが、経済成長について考え直していくということは、つまり、それとパラレルで福祉のあり方も変わっていかなければいけないということです。最近、濱口桂一郎さんがどこかの研究会で「労働と福祉のベストミックス」というタイトルで講演をされるという記事を見かけましたが,連帯経済や社会的企業は、労働と福祉のミックスのあり方を変えていく一翼になり得ると思います。
これまでは、労働は経済の世界、福祉は社会保障の世界と切り分けて経済の世界からあげたお金を社会保障の世界に回すという形でミックスを図っていたわけです。しかし、もっとミクロなレベルでそれを融合させる、つまりひとつの企業内で「支え合い」をつくりだしていくとか、あるいはそのような仕組みと従来の社会保障的な仕組みとを結合するとか、組み合わせ方はいろいろありますが、連帯経済のめざすところはそのひとつではないかと思います。だから、連帯経済や社会的企業は、次の経済社会の重要なワンピースにはなると思います。ただし、限られたアクティビィティですから、全部を担うのは無理なわけですが。
いま実際に企業内福祉が切り捨てられているのも、ひとつのミックスの仕方を変えているということだと思います。企業が従来提供してきた職業訓練あるいは住宅を公的なものとして引き受ける、あるいは民間の力も活用してやっていくとすれば、そういう組み換え方がミックスのあり方を考えていくひとつのきっかけとなる可能性はあるのではないでしょうか。従来は企業や家族でカバーしていたことに対してどのような社会化の仕組みを作っていくのかが、社会の重要な課題になりつつあると思います。
買い物サービスにしても、ちょっと行けない事情があるなら昔なら近所の人に気軽に頼んでいたけれども、いまはそういう関係が消えているわけです。だとしたら、それをカバーする別の仕組みを考えなければいけないわけで、それを国に任せないのであれば、自分たちでつくっていく必要があるのかなという気がします。こういうことを国がやるのは、画一的にならざるを得ないので無理です。これだけいろいろな人がいるのだから、分権化して下ろさないとだめです。NPOなどが活躍する場はもっとあってもいいですね。私がたどりついたのは、そんなところです。
コミュニティビジネスも、社会的企業のひとつのアクティビィティだと思います。先ほどあげた社会的企業の3つのタイプの3つ目の地域の暮らし続けていくのを支えていく基盤をつくるものだと思います地域でくらし続けていく基盤になるのは、社会サービスに限らず、地域で商業を興していくこともそのひとつかなと思います。京都丹後大宮町の常吉百貨店もコミュニティビジネスだと思います。住みたい地域でくらし続けていくためには、欠けているものがたくさんあるので、それをやっていくというのはひとつの重要な類型だと思います。
今後の研究活動について考えていることは?
いま東アジアで、社会的企業の研究者のネットワークづくりが進んでいます。今春のNPO学会には台湾や香港から社会的企業を研究されている先生方が参加されます。この先生方や日本では立命の桜井さんや東洋大学の今村さんらが参加されて、東アジアでも、ヨーロッパのEMESという社会的企業の研究者グループに匹敵するような組織をつくって、交流していこうという話が進行しています。この6月に台湾で会議があって、台湾、韓国、香港、日本が集まります。
そういう動きとは別に、私や藤井敦史さんは、この2年ほど、韓国の社会的企業の研究者と交流しています。韓国ではすでに社会的企業育成法が制定されていて、社会的企業が制度化されていますので、たいへん勉強になります。たぶんこの2つの動きが合流していって東アジアの研究者のネットワークになっていくんだろうと思います。中国も韓国も格差が激しいし、それだけ各国とも同じような社会的課題を抱えているということだろうと思います。
プロフイール
きたじま けんいち
立教大学 コミュニティ福祉学部教授当研究所研究委員
主要なテーマ:現代の経済・社会における非営利目的組織の存在意義とその将来展望
主要な学会:国際公共経済学会、協同組合学会、日本NPO学会
主要な論文・共著書:「連帯経済論の展開方向」西川潤・生活経済政策研究所編『連帯経済』2007明石書店、「福祉国家と非営利組織」宮本編『福祉国家再編の政治』2003ミネルヴァ、「フランスにおける市民セクター」西堀編『社会科学リテラシーの確立に向けて』2003日本評論社、「社会的経済と非営利セクター」川口・富沢編『福祉社会と非営利・協同セクター』1999日本経済評論社他。