『協う』2010年4月号 生協のひと・生協のモノ


おひとり様に受け入れられる夕食宅配事業~コープやまぐちを事例に~

近藤 泉(「協う」編集委員・市民生活協同組合ならコープ組合員)

 

「ふつうのくらし」 はそうそう変わらないと、 地道に生きていれば平凡で平和な人生を全うできると、 根拠もないのに信じていた。 しかし気づかないうちに社会のしくみや人々の価値観が変わってしまうことをこのところ私は身にしみて感じている。
  まず、 日本社会の 「標準世帯」 (夫婦2人と子ども2人) が2007年には標準世帯を単身世帯が上回るなど世帯規模の縮小、 少子高齢化が急速にすすんでいる。
  その急激な社会変化の背景や経過を論ずる前に、 一人ひとりがきょう一日を生きていくために解決しなければならないことが目の前にたくさんできてしまった。 それらのくらしの課題に正面からとりくんで、 「赤ちゃんサポート事業」 に続き 「夕食宅配サービス事業」 を3年前の2007年6月から始めたコープやまぐちに県民からの共感と支持が広がっている。 この事業の担当部署の宅配・共済事業部長の山崎和博さんと夕食宅配事業担当チーフの土屋登さんを訪問した。

コープやまぐちの夕食宅配事業
  早速、山崎和博さんに「なぜ全国に先駆けて全県エリアで夕食宅配を始めたのですか」と尋ねてみると、「山口県の特徴として少子高齢化が急速に進んでいるので、生協が県民の役にたちたいという考えがあった」と。発想の基には、育児を抱える組合員への支援としての「赤ちゃんサポート事業」があったという。また、個配の配達料を無料にすることや、「試供品」を低価格で提供することも考えたが、理事長の一押しもあって「無料のサポート商品」として配布した。これが組合員に随分喜ばれた。以来「よろこばれることはなんでもしよう」がコープやまぐちの合言葉になった。そのような土壌とがあって、夕食宅配事業の構想は一年も経たずに製造業者との出会い、それをきっかけにして一気に具体化がすすんだ。
  2007年2月地域別総代会の提案から5月総代会提起を経て、6月には事業をスタートすることができた。さらに、「一部の地域で実験してみて様子をみるという選択肢もあったが、理事長の“やるなら最初から全県で "という一言が大きな後押しだった」と山崎さんはいう。また「ご注文は月~金の1週間単位、しかも夕食だけで土日祝と年末年始は休むという殿様仕事で、利用者あるかなぁ」と不安だったが、特定の曜日だけとか、「弁当」と「おかず」の2種類以外は用意しなかった。事業として続けていくためには、コストを抑えて日常的に利用しやすい価格にしなければならないからだ。
  利用者の住まいに毎日夕食を届ける役は、同じ地域で採用されたスタッフがしており、業務委託という形をとっている。12時に弁当を支所へ取りに行って、18時までに届け終える。配達に使う車は自家用車だが、夕食宅配のステッカーを貼っている。このスタッフには3つのタイプがあって、まずたくさん運んで収入を増やしたい人、次にパート感覚の人、それからボランティア感覚の人と、仕事のペースを自分のくらしに合わせてつくっている。ノルマも目標も課さない。もともとは元気な高齢者に困っている人たちを支えてもらおうと募集したら、若い人や子育て中の人も応募してきたというのだ。スタッフの中には子連れで配達する人もいる。
  山崎さんは「生協の都合で仕事をしていてはうまくいかないと思います。『その人にとってどうなのか』を考えていかないと。そして事業としてできるように割り切るところは割り切ってね」といっているという。さらに「従来の共同購入や個配のシステムに他の商品(夕食弁当)をくっつけていくのは広がらない。利用経験のないおじいちゃんにOCRの説明をして新しく注文してもらうのは大変だ」と、語ってくれた。利用者の人たちやスタッフの事情にきちんと向き合って、その人たちにとって最良の方法を選ぶ姿勢が貫かれている。注文を電話で受け付ける。原則手渡しだが、不在の場合でもあらかじめ聞いておいた指定場所に置いておくなどがその一例だ。この夕食宅配には5日間のお試し期間がある。約70%の人がそこで利用登録を決めているという。

弁当で食卓に笑顔を
  コープやまぐちの夕食宅配事業は2010年6月で4年をむかえようとしている。2007年6月には一日926食だったものが2009年11月には3000食を超えるまでになっている。経常利益は事業開始の8ケ月後(2008年2月)には黒字になり、それ以降単月黒字を続けている。計画を上回る実績から見えてくる利用者と生協とのつながりを、土屋さんは次のように話してくれた。「利用者の声を確実にワタミタクショクにつなぐと、次々週くらいには改善されて返ってくる。利用者は『言ったら改善してくれるからまた言おうと思うのよ』、と言ってくれる」。このつながりの循環が土屋さんのやりがいにつながっているようだ。組合員と向き合ってつながっていればこそ、多様なくらしの願いを受け止めて、くらしに必要なサービスをデザインできるということだろう。
  土屋さんは、当初この事業は最も不便と思われた山間地域から広がるとおもっていたが、「田舎のお年よりはお元気なんでしょうね」というように、実際は、山口市など都市部から利用が広がった。さらに高齢者福祉の枠を超えてじつに多様な人々に夕食宅配は利用されているのだ。
  例えば、単身赴任しているご主人のために他県に住むご家族から注文がある。共働き家庭や同居世帯でのお年寄りの早めの夕食にと、さらに下宿している学生に親から依頼されて届けているケースもある。
  土屋さんは「僕も仕事上毎日食べていますがうす味のためか飽きません。献立を担当しているワタミタクショクの管理栄養士は『私の宝物』といってたくさんのレシピを、分厚いファイルにしてもっている。500kcal、塩分は3g以下をキープしてある」という。
  私など500kcalの夕食弁当を一週間体験してみて、その後もペースを守るようにすればメタボ予防になるなぁ~と想像してしまった。食は医の根源というし、夕食宅配を望む人々は高齢者ばかりではなかった。

コープやまぐちのビジョン
  夕食宅配事業によって地域の「おひとりさま」とのつながりが広がるにつれて、今までは見えていなかった公営住宅でひとり住まいの男性が多いこともわかってきた。人が多いまちなかで孤立してくらす人が増えているが、手助けを求めないまま不便さをこらえて生きていくのは人生の後半にはあってほしくない姿だ。配達に訪れた先で、体調を崩して倒れているのを見つけてご家族に連絡することもある。また、近所つきあいを気にしてか、「ごはんを作れなくなったことを知られたくないから、車のステッカーをはずして来て欲しい」という要望もある。
  わがまちで自立して人生を全うするには、まだまだ多様なサポートが必要になるだろう。買い物の代行や店舗からの配達などの新しいサービスも求められているとわかってきた。
  2009年度には「赤ちゃんサポート事業」専用の配達コースを作り、子育て経験のある職員を担当に配置して、組合員から「相談をきいてくれた」「アドバイスが役立った」などとよろこばれている。
  お話を聞きながら、いろいろな情景が想起された。一人ひとりの利用者が精一杯生きようとして生協との絆を結んでいると思う。個人対生協のつながりが数多く広がり、経験を重ねていけば、地域社会でなくてはならないネットワークになっていくだろうと想像することができる。山崎さんと土屋さんは、誰もが無理なく生協の事業に参加できるように、よく聞いて共感し、具体的化していくための努力や協力を惜しまないと語ってくれた。