『協う』2010年4月号 書評2

矢作 弘 著
『「都市縮小」 時代』

三重 遷一
(京都大学大学院 経済学研究科 後期博士課程)

 

国立社会保障・人口問題研究所が2006年12月に発表した「2055年までの将来の人口推計」によれば、約50年後は現在よりも少子化・高齢化が進み、日本の総人口は1億2,777万人から8,993万人弱になり、高齢化率は約40%となるとの見通しが出ている。
  さらに、都道府県別の推計では、2025年以降は、全ての都道府県で人口が減少するとの見通しが示されている。こうした人口構造の変化は、中高年の単身世帯の増加といった世帯の状況や、それを取り巻く地域社会のあり方に変化をもたらしつつある。
  著者は、21世紀のこうした状況を「縮小都市の時代」であると主張する。そして、「都市縮小の時代」においては、これまでの歴史的経験とはその規模、長さ、そして広がりにおいて根本的に異なっており、従来の人口増加を前提とした都市成長モデルはもはや通用せず、むしろ都市の衰退を加速させることになると指摘する。
  その上で、本書では、縮小都市化を衰退と捉えず、時代の要請に適合するような都市の縮小に対して「都市規模の創造的縮小」と呼び、積極的な評価を行っている。
  2章では、アメリカのフロストベルトの衰退都市として名前が挙がるヤングスタウン、デトロイト、セントルイス、バッファロー、クリーヴランドを取り上げ、産業構造の転換によって衰退したこれらの都市の状況と、そこから再生を図るために新たな方向性を模索する動きを紹介している。そこには、歴史的、自然的な資源を活かし、コミュニティに依拠した都市活性化に取り組む動きが見える。
  3章では、旧東ドイツのドレスデン、ライプチヒ、ライネフェルデ、フランクフルト、デッサウを取り上げている。旧東ドイツの都市では、ベルリンの壁崩壊後、若年層がより恵まれた職場を求めてごく短期間に、旧西ドイツ都市へ流出した。ドイツでは、1990年代の深刻な人口減少とそれに起因する過剰住宅問題に直面し、過剰住宅を解体する都市縮小政策を行った。その結果、「身の丈にあった」コンパクトな都市への再生を果たすことができた事例が紹介されている。
  4章では、日本の福井、釜石、飯塚、長崎、泉北が取り上げられ、高度経済成長時代のスプロール(低密度開発の土地浪費型、車依存の土地利用)した都市から脱却し、「コンパクトな都市づくり」への転換を図ろうとする都市の取り組みを紹介している。これらの事例が語っていることは、そこに暮らす人々が「都市の縮小」という現実を受け入れ、それでも心豊かに暮らすために、行政が、企業が、あるいは大学や医療機関などの地域の非営利団体が、そしてコミュニティが、如何に重層的に連携することが大切か、ということである。
  著者は、「縮小都市」に求められる「かたち」を、都市の可視的・物理的な姿にとどまらず、働き方、日常の暮らし方、その全体像にあると指摘する。
  未だ、日本における「コンパクトシティ」の議論においては、中心市街地での人口増加を目的として、土地利用の効率化・高層化がセットに語られ、高層マンションを建てることが多い。
  しかし、本書で紹介されているデトロイトの都市農業運動やライネフェルデでの集合住宅の減築のように、過剰となった土地資源を社会間のみならず積極的に自然へ返納することも、これからは重要な課題となるだろう。また、車に依存しない社会は必要であるが、既に郊外に広がった住宅地での増加する高齢の単身世帯などの交通弱者の買い物や通院も含めた都市づくりが志向されなければならないだろう。
  「縮小都市」は楽観論だけで語ることはできない。しかし、著者が主張するように、縮小都市は支えあいの構造に持続可能性を探ることになる。「創造的縮小」のためには、単に行政に任せきりではなく、住民や企業などの様々な主体の係わりが必要不可欠である。 本書は、「勝ち組・負け組」の二分法にとらわれない持続可能な都市づくり像を探るための1冊であると言える。

(みえ せんいち)