『協う』2010年2月号 視角
障害のある人と人権
井上 英夫
「障害のある人の独立保障法」を
年明け早々、障害者自立支援法違憲訴訟原告団と国(厚労省)の間で、障害者自立支援法の廃止と総合福祉立法の制定が合意されました。既に国連では、2006年12月、「障害のある人の権利条約」が採択されています。したがって、新法は、日本国憲法及び条約の人権保障に沿うもの、すなわち「障害のある人の独立保障法」とすべきでしょう。
1 障害者から障害のある人、固有のニーズをもつ人へ
「障害者と呼ぶのはやめましょう。」これが私が住む金沢市の市民と行政の合言葉です。障害のある人と呼びましょう、というわけです。
世界中で、人権保障にふさわしい「障害」概念、そして呼称を追求する努力が続けられてきました。1981年の国際障害者(DisabledPersons)年から、2006年の「障害のある人(PersonswithDisabilities)の権利条約」へと。しかし、さらに、「障害」が問題であるとして、「障碍」、「しょうがい」、「チャレンジド」などとも言われます。
私自身は、「障害」をひとり一人の人がもつ「固有のニーズ」(Specific Needs)として捉えるべきだと考えています。「障害」はひとり一人の個性に過ぎないと言うことであり、「障害者」は、特別でもなく、特殊(Special)でもない「固有」のニーズをもつ人ということになります。
呼称を変えれば済むというものではないのですから、使う人の人権感覚が問われています。生協の皆さんも是非考えてみてください。
2 自立から独立へ
近年は、自立が強調されています。そしてそれは支援とセットにして使われます。障害者自立支援法はその代表的なものです。しかし、国際条約等の国際文書で用いられているのはIndependence、独立なのです。それを日本では自立と訳しています。
もちろん、自立とは本来経済的、社会的、さらには精神的自律も含んだ自立であり、障害のある人の運動もその意味での自立生活運動として展開されてきたことは、十分承知しています。生協運動もその意味では、自立生活運動でしょう。
ところが、日本の政策の自立は、自助・自己責任とセットにされ、社会保障や福祉サービスを受けない、つまりお上のやっかいにならないという意味で使われることが多いわけです。介護保険の自立判定、生活保護の自立(助長)がその例です。
しかし、国際文書の独立生活とは、諸権利を活用して社会的サービスを十分に受け、家族や施設職員、役人に支配されないで自己決定しながら生活していくことです。日本の自立生活運動そして生協運動は、まさに独立を求めた運動なのではないでしょうか。
3 支援から保障へ
人権とはそもそも、国民、個人が政府に対して要求し、政府によって保障されるものです。したがって、日本国憲法はもちろん「障害のある人の権利条約」も、国民に権利があり、国(自治体も含みます)に保障の義務があるとはっきり規定しています。国民には、人権保障の義務はありません。他の人の人権を尊重し、差別してはいけないというレベルに止まります。
ところが、最近は、この保障責任を放棄し、国民に転嫁する(自立自助、自己責任そして家族、地域の相互扶助などの協調)という傾向が立法、行政に顕著なわけです。その代表が、介護保険法であり、障害者自立支援法です。
つまり、介護や福祉等のサ-ビスは、利用者が、契約して事業者から買いなさい。その契約上の権利を消費者として賢く行使しなさい。その際、国や自治体が支援しますよ。ただし、行政に責任は無く、消費者の自己責任ですよというわけです。
結局福祉が、公的サービスから商品にされたということです。買える人、契約できる人は選択も自己決定も権利として獲得できるけれど、「購買力」のない人、契約を結べない人は、サ-ビスは受けられないということです。改めて、生存権、生活権、健康権にかかわる社会保障・社会福祉は、国や自治体が支援ではなく保障する責任がある(公的責任)という人権原則を確認すべきだと思います。
安全な商品を安く提供し、組合員の生活に安心をもたらすのが、生協の理念だと理解していますが、皆さんは、「福祉の商品化」にどうこたえるのでしょうか。