『協う』2010年2月号 私の研究紹介
私の研究紹介 第18回
鈴木 勉さん
佛教大学社会福祉学部 教授
当研究所研究委員
研究者になったきっかけは?
大学時代、福祉系学生のゼミナールの全国組織の書記長をしている頃に、堀木訴訟をとりあげ、支援活動にとりくみました。原告の堀木文子さんは、離婚した母子世帯の母で、かつ全盲でもあり、非常に不自由な生き方を強いられていました。また、彼女の家庭を支援すべき制度にも問題があり、離別母子世帯の子どもに給付される児童扶養手当が、障害福祉年金を受給している母親が養育している子どもには支給されない、という併給禁止規定があり、これが憲法13条、14条、25条に違反するというのが訴訟の争点でした。
堀木文子さんに代表されるような人々の暮らしの現実をしっかりとらえることで、生活保障制度の再設計を行う必要があると考えました。「life(生命、生活、生涯)」自体の意味を検討し、制度を人に合わせるではなく、人に制度を合わせる、柔軟な社会福祉制度とサービスの理念や体系を考えることを課題にしようと思ったのです。
もうひとつは、社会的不利を負った人びとの運動に対する関心です。堀木さんは「制限された生」に対して、訴訟という形態で闘いを挑んだのですが、日常生活や社会生活の上で様々な困難を抱える人々が運動に参加し、自らの置かれた状態を変革しようとしてきた闘いの記録を書いてみたいと思うようになりました。ただし、堀木さん自身は非闘争的な人で、本人が当初思っていたことは、児童扶養手当法の併給禁止条項は道理に合っていないので、申し立てればすぐ是正されるのではないか、訴訟を介して世の中を変えてやろうという気持ちはなかったと思います。しかし不服申立が認められず、やむなく提訴に至り、それが10年間続いたのです。そんな堀木さんでしたが、自分はともあれわが子には不条理は許せないと思って裁判を起こし、その一念で続けたのだと思います。研究するなら、そういう人たちにとって運動のもつ意味について調べようと思うようになりました。
患者運動に着目して
戦後日本の社会保障・社会福祉の運動のなかで、当事者運動で一番早く始まったのは結核やハンセン病の患者運動です。大学院に進学して、わが国の患者運動を研究してみようと思いました。その当時は、患者運動の研究をする人はあまりいませんでした。先行文献を調査してもそれほど多くなく、社会学や医療福祉論の専門家の若干が取り組んでいる程度でした。それで、自分の足で稼ぐ他はないと思い、患者団体のリーダーにインタビューをお願いし、調査を行いました。
抑圧された状態に置かれている人たちの側から日本社会や日本の社会福祉制度を見ると何がいえるのか、現状をどう変革してきたのかという観点から、戦後史を見ようと思いました。ただ、当時の大学院の研究科長が私の修士論文について、「興味深く読んだが、こういうテーマでは就職は難しいと思う」と言われました。というのも、社会福祉学の伝統的な研究課題は、ソーシャルワーク理論や福祉政策論、外国研究・比較制度研究などでした。その後、社会福祉運動や堀木訴訟に関する論文を書きましたが、研究科長の助言に逆らうようなものばかりでした。幸いにも、ちょうど堀木訴訟が終結した翌年に、たまたま広島女子大(現、県立広島大学)に採用されました。
障害者の捉え方
まず「障害者」という表現をめぐる問題ですが、国連の文書では1980年代初頭までは"disabledpersons"でしたが、その後は"personswithdisabilities"に変わってきました。"disabledpersons"は「障害者」と訳せますが、"personswithdisabilities"は「障害のある人」という言い方になります。
要するに、人間という存在は障害だけに規定されているわけではない。障害はその人の日常生活や社会生活に不自由や不利益を与えることが多いけれども、社会制度など広い意味での環境が整備されれば、障害も軽減されるということです。また、その人のキャラクターでみれば、障害に伴う不自由や不利があっても、それと闘うことで知性を発達させる人もいる。だから、「障害がある人」というのであって、障害だけに規定されない、逆に、規定しかえす人もいる。
障害は個性という見方について
「障害は個性だ」という主張には違和感があります。あるとき、私より年上で、乳児期の栄養失調が原因で全盲になった久保さんという友人に、「あなたは両目が見えないことを個性だと言われたら、どう思いますか」と聞くと、「怒るに決まっているよ。目が見えないのがボクの個性ではないでしょう。個性とは、その人らしさを表すものでしょ? 全盲が久保の個性だと言われたら、怒るよ」と言われました。「個性」と言うことで、障害という語感を和らげようとしているのでしょうが、これは正確ではありません。
ただ、機能上の障害のために、日常生活上の不自由や、社会的な不利、社会参加が制約されている状態に対して、それらと闘うことでその人らしさを発揮する人たちもいます。したがって、障害が個性につながる可能性はあるけれども、個性を形成する契機には多様な要素があるので、一概に障害は個性を形成するとも言えないと思います。
法律の障害者規定はどうでしょうか?
私は大津地裁で争われ、2010年1月に判決が出る裁判にずっとかかわってきました。日本では、障害のある人は20歳になると国民年金の障害基礎年金の申請ができます。知的障害をもつ人たちが、20歳になって申請したのに、「障害程度が軽いから支給しない」と行政が決定したので、この取り消しを求めて大津地裁に提訴した事件です。
原告の多数は、滋賀の知的障害者通勤寮の卒園生です。ここには比較的軽い知的障害の人たちが入所し、就職できるように援助し、アパート暮らしができるような力をつける施設でした。就職できても最低賃金ぎりぎりぐらいのレベルなので、年金を受給できるようにして卒園させるのが普通でした。ところが、ある年から急に年金支給が認められなくなり、困った通勤寮の寮長さんや保護者から相談を受けたのが、この事件との関わりです。というのは、広島にいるときに同じような事件に関わって、それを書いた論文が関係者の目に止まり、呼ばれたというわけです。
日本の障害年金の考え
障害基礎年金は、給付の対象とする障害認定基準がきわめて狭く、機能障害と一部の生活機能だけで判定する方式をとっています。知的障害でいえばIQの数値と一部の生活行動の可否で判定し、社会的レベルでの障害を無視しているのです。要するに、低賃金や就職できない、他者とのコミュニケーションなどの困難があっても、年金を支給しない仕組みになっているのです。これは他の福祉関連法も同じで、障害をもつ人を非常に限定して捉えるので、法の対象となる障害者の出現率はとても低いのです。国連は約1割としていますが、日本ではその半分程度です。
ところで、先にあげた事件に対して大津地裁は、1月19日に原告全員に年金支給を命じる判決を出しました。判決では障害認定基準は「不合理とはいえない」と述べ、この点での原告側の主張は認められませんでした。しかし、判決は現行認定基準からみても基礎年金2級に相当し、不支給決定を行ったのは誤りだとして、原告勝訴に導いたのです。
社会運動と理論を対で追究したものとしては?
広島では行政機関や社会福祉協議会などの審議会委員や、多様な調査研究を引き受けてきました。その過程で知り合った福祉・医療領域で働く人たちをつなぐことの大切さに気付きました。しかし、「労働組合や研究組織は多数あるけれども、私の印象では、みんなタコツボに入ったままだ。なによりも地域を基盤に、生活課題をもった当事者と専門職をつなぐ市民運動が必要だ」と思って、調査研究チームを設置し、自治体への提言本として『高齢時代の地域福祉プラン』(1995年、北大路書房)と『市民がつくる障害者プラン』(1998年、同)を集団で書いたことが印象に残っています。
共同作業所や協同組合とのかかわりは?
広島女子大に赴任した直後、ある障害者共同作業所の所長から電話があったのが最初です。話の趣旨は「運営委員会をつくるから協力してほしい」ということで、その日のうちに作業所を見学して運営委員(社会福祉法人格を取得後は理事長)を引き受けました。この作業所を見て既視感というか、その10年くらい前に日本で最初に開設された「ゆたか共同作業所」を見学したことをありありと思い出したことを覚えています。
協同組合との出会いは
以前から山のサークル仲間だった岡村さん(当時生協ひろしま常務理事、現広島県生協連専務理事)から、「福祉のアクションプランをつくりたいので協力してほしい」と依頼されたのが1990年です。理事さんたちとプランを作成し、その後は学識理事も3期やりました。また、介護保険に先だって、生協組合員によるケアワーカーの自主的組織づくりにも参加したこともよく覚えています。
生協ひろしまの経験もあって、共同作業所と協同組合の運営原理に共通点を感じるようになりました。また、生協に関わったことが縁になり、ヨーロッパの協同組合の動向に関心をもち、調べ始めました。その頃イタリアでは社会的協同組合法が成立していたので、設立の経過や現状を調べ、イギリスの動きやスウェーデンに登場した保育協同組合やケア協同組合などにも関心をもちました。
以前の障害者福祉政策と現在の政策の違いは?
従来は、福祉サービスの供給は市場の商品としてではなくて、その人にどういう福祉サービスを提供したらいいのかということは行政機関が判定していました。「この人は、ヘルパーが毎日行く必要がある」とか「特養への入所が適切」とか、ニーズを判定して、必要なサービスを供給する責任は、自治体と国がもっていました。もちろん費用保障も公的責任でしたが、とても低い福祉水準にあったことは事実です。だから、非常に抑圧的というか、一般には利用したくないと思わせるようなレベルの福祉でした。つまり、給付と負担方式に着目すると、従来は基本的には現物給付と応能負担という方式でした。
介護保険以降の政策
介護保険以降は、福祉サービスを市場で交換できる「商品」にするという戦略に立って、利用契約制度を導入し、利用者と事業者(営利法人も参入)との直接契約にしました。その前提として要介護認定があって、画一的な基準にもとづいて行政がランク付けして、使えるサービス上限を規制します。要介護認定が出て、事業者とヘルパー派遣や施設入所の契約をすると、「要した費用の原則9割は介護保険財政から出すが、サービス利用によって私益を得たのだから、残り1割は自己負担しなさい」ということになります。応益負担ですね。介護サービスを一般商品と同じように扱い、サービスを「私的利益」を与えるとみなし、対価を要求されるのです。以前は「公的な責任においてのサービス提供」と「公費での保障」だったのですが、介護保険以降は事業運営に営利原則を導入するとともに、「市場で介護商品を購入して、応益負担で購入する」という形に切り替わったのです。これをまとめていうと、福祉の「商品化・市場化・営利化」であり、むき出しの新自由主義的な改革が、介護保険以降、障害者福祉や保育領域でも推進されてきました。
トラブルは当事者間で
利用契約制度は利用者の自己決定・自己選択を可能にするといわれ、真に受けた研究者もいましたが、実際にはどんなことになったのでしょうか。地域には選ぶほどの事業者がないという現実に加え、契約には公的機関は関与しないから、利用者と事業者間のトラブルが生じても、最終的には訴訟で決着をつけるしかない。また、事業者は認知症者など手のかかる人との契約を断るのは自由です。契約自由の原則ですから違法にはなりません。従来は、自治体はどんなに手のかかる人でも、公立施設に入れるか、社会福祉法人に措置委託しなければならなかったのが、それが免責されました。
営利企業に新たな動き
私は3ヵ年計画で、東京都足立区の在宅介護事業者を調査しています。足立区の在宅事業者の主役は中小零細の営利法人です。彼らは区内の事業者組織をつくっていて、他区から来る大手営利事業者を事実上排除する仕掛けを設け、「われわれは営利追求事業者ではありません。足立区民のための介護事業者です」と言うのです。介護事業所の経営者は、建築会社や自動車会社を経営している(いた)人たちですが、「自分も社長としての報酬は欲しいけど、それより職員に他業種並みの賃金を出したい。また、何よりも足立区民でお困りの人をちゃんとケアしたい」と話しています。
私は介護保険法が成立した当初は、営利企業の参入の全面規制を考えていましたが、介護保険制度も10年も経つと、良質な事業者が相当数残っているのです。詐取等で警告を受けているような企業の参入は禁止しなければいけないと思いますが、中小零細事業者の多くは、営利法人格ではあるけれども、営利企業というよりは「社会的企業」という見方をしたほうがいいのではないか。営利は二次的で、地域社会の福祉実現をミッションに掲げる事業所と、その協同事業組織をつくろうという議論が必要だろうと思っています。
要は、介護供給主体の民主的規制のあり方です。株主の意図ではなくて、従業員が意思決定できるようにする必要がある。スペインには労働株式会社があって、従業員が過半数の株をもち、従業員の意思を無視しては事業運営ができない仕組みをつくっていますが、そのような事業体をつくっていく方向を追求する必要があります。
名古屋に注目
めいきん生協を中心に在宅福祉サービス事業者連絡協議会をつくっています。私も個人会員ですが、ここに参加している事業者の話には感動しました。中小零細企業の社長たちですが、情熱的で理性的な人たちが多く、「よく苦難に耐えて、やっていらっしゃるなあ」と。「介護報酬を上げろとは言わない。上げると、利用者負担になって跳ね返ってしまう」とおっしゃいます。その点では、利用者状態をよく掴んでいる良質な事業者が、めいきんなどと介護保険の再設計の目的をもって活動されていることは重要です。
障害のある人の雇用や福祉の状況は?
「障害者は最も早く解雇され、最も遅く雇用される」という言葉がありますが、経済危機の現在、まことにそのとおりの事態が進んでいます。障害者雇用の調査をみると、常勤職員といってもとても悪い労働条件、賃金で働かされています。さらに、障害雇用促進法で雇用されて、かろうじて職場に残っていた人たちのところで、もう一度、首切りが進んでいます。
また、これまでは何とかサポートする家族があったけれども、最近では父親が首になったり、奥さんがパートを切られたりして、家族扶養が機能しなくなってきたという気がしています。これに加えて、入所施設の建設が抑制され、縮小しているので、家族でサポートできない場合、従来なら入所と判定されていた人が今はほとんど行けない。それならグループホーム、ケアホームへといっても、設置数が少ない上に、報酬単価がものすごく悪くて、職員配置が非常にひどい水準です。
これからの生活協同組合の果たす役割は?
福祉の新自由主義改革のなかで利用者と事業者(と職員たち)が対立的関係に置かれるようになりました。福祉実現にあたってはこの点が最大の問題で、最悪の政策選択が行われた結果だと思います。いわば福祉の自殺ともいうべき事柄です。
これを是正するためには、「構造改革」の基本枠組みを根底からひっくり返さなければいけない。それに向けては、人びとの協同を回復するような制度的な仕組みもつくらなければなりませんが、そこで協同組合はかなり大きな役割を果たせるのではないかと思います。生協は、共同購入や店舗を運営するだけではない。それは業態のひとつであって、本来は「平和と暮らしを守る協同組合」のはずです。組合員には障害がある子どもがいるだろうし、介護が必要な高齢者がいるわけで、組合員の生活上の必要や要求を実現することが大事になっていると思います。国際的にみても、市民のこうしたニーズを市民とともに実現しようとするケアの協同組合が発展し、20世紀の末頃には「新しい協同組合運動」の登場といわれましたが、「暮らしと福祉を守る」政策要求を提示し、実践することが協同組合を再生する道だと思います。
プロフィール
鈴木 勉(すずき つとむ)
佛教大学社会福祉学部教授
主要なテーマ:福祉思想・福祉政策論・非営利福祉組織論
主な所属学会:日本社会福祉学会、日本協同組合学会
主な著書・論文:『ノーマライゼーションの理論と政策』(単著)、『社会福祉―暮らし・平和・人権』(編著)、『現代障害者福祉論』(共編著)、『現場がつくる新しい社会福祉』(共著)、「社会保障と非営利組織」『講座 社会保障法第6巻』