『協う』2009年12月号 特集5


民間企業における社会貢献活動
―イトーヨーカ堂の 「子ども図書館」 ―


加賀美 太記 (京都大学大学院 経済学研究科博士後期課程・ 「協う」編集委員)


  「業務改革」 という言葉が端的に示すように、 変化を積極的に図っていくイトーヨーカ堂において、 実に30年以上継続されてきた活動が、 今年9月惜しまれつつも幕を下ろした。 その活動は 「子ども図書館」。 これはイトーヨーカ堂店内に設けられた児童向け図書館である。 「子ども図書館」 は累計貸出冊数1000万冊という実績を残し、 多くの子どもに読書に親しむきっかけを与えてきた。 本稿では、 この貴重な活動の記録を紹介したい。

子ども図書館の誕生の経緯
  子ども図書館はイトーヨーカ堂の店内に設けられた児童向け図書館である。実際の運営は株式会社童話屋が担当し、司書などの人員も童話屋からという形を取っていた。この民間企業が共同で運営する図書館という一風変わった活動の始まりは、1977年に遡る。
  当時、イトーヨーカ堂では、企業も地域社会の一員であり、その発展に対して一市民として貢献することを目指すコーポレート・シチズンシップの精神から、新規出店に併せた有意義な企画を模索していた。そんな折、リテール・エンジニアリング部の社員が、昼食に向かった先の渋谷にあった童話屋書店に興味を持ち、たまたま立ち寄ったのが事の発端であった。
  自らが厳選した児童書を扱うという独特なスタイルを持っていた童話屋代表の田中和雄氏と意気投合した社員が、何か地域に貢献できるようなアイデアはないかと尋ねた所、田中氏が提案した企画が子ども図書館だった。日本の図書館、とくに子どもにとっての図書館のあり方に対する田中氏の強い問題意識から提案されたこの企画は、そもそもの理念や、大店法との関係で非商業スペースを設置する必要があったイトーヨーカ堂の課題意識とも合致し、採用されることになった。そこから紆余曲折はあったものの、翌78年に開店した沼津店において第一号の子ども図書館が併設・開館した。
  開館以来、マスコミから注目を集めるほどに大変な盛況ぶりをみせた子ども図書館は、全国各地のイトーヨーカ堂のショッピングセンター延べ15店舗に設けられることになった。今年9月の閉館まで、15館の開館期間は平均21年(最長は第一号である沼津店の32年)に渡り、その累計利用者数は2000万人にのぼる。

子ども図書館の特徴と社会的評価
  子ども図書館は、当時の図書館に対して問題意識を持っていた田中氏の提案を活かして、他の図書館にはないいくつかの特徴を持っている。
  一つ目は、声を出しても構わないという点である。子ども図書館では、通常の図書館と異なり、子どもが自由に声を出して本が読める。もちろん、親や司書が読み聞かせをするのも、子ども同士がおしゃべりをするのも自由である。
  二つ目は、取り扱う本のラインナップである。子ども図書館に並ぶ本、約一万冊は全て童話屋が選んだものであり、この30年間ほとんど変化していない。つまり、その時々のベストセラーは取り扱わず、子どもに読み継がせたい本だけを取り扱っている。
  三つ目は、配架方法である。高い書棚に背表紙を見せて並べる方法は取らず、書棚は子どもの身長に合わせた低い独自のものを導入している。また、子どもが興味を持ちやすいように全ての絵本の表紙を表にした形で配架している(写真参照)。
  最後が、貸出方法である。子ども図書館では、年齢や地域は一切問わず(むろん身分証明書も不要である)、貸し出しを行なっている。身分証明書を持っていない年齢の子どもにも自由に本を貸し出せるようにという配慮からである。
  これらは、通常の図書館では考えられないような特徴である。しかし、そのどれもが、子どもの教育について考えた上で、何よりも本に親しみを持ってもらえるように配慮された結果である。2000万人という利用者数は、この方針の意味と成果を雄弁に語っているだろう。
  さらに、注目すべきはこれらの点をイトーヨーカ堂が受け入れ、運営する童話屋に任せた点にある。一見すれば、お喋りが自由ということは他の利用者にとってうるさい、ベストセラーを取り扱わないということはラインナップが変わらなくてつまらない、独自の書棚はコストが高く、表紙を見せる配架形式はスペースを取る、身分証明を必要としない貸出方式では本が返ってこないかもしれないなど、とかくマイナス面ばかりが目立つ。それでも、イトーヨーカ堂はその活動理念に高い理解を示し、これらの点は開館以来変わることはなかった。また、社員も活動に強く共感し、ある店長などは自分の店舗には絶対に図書館を入れると宣言して、実際に自分の店舗の図書館スペースを当初予定から大幅に拡大した。田中氏もイトーヨーカ堂の理解がなければ、これほどの成功はなかっただろうと語っている。
  2005年には、社団法人企業メセナ協議会から、芸術文化の振興に高く貢献した企業・企業財団を顕彰する「メセナアワード2005メセナ大賞部門」でイトーヨーカ堂は子ども図書館を評価され、「児童文化賞」を受賞した。

閉館と活動の継続に向けて
  このように、子ども図書館は社会的にも注目される活動であったが、90年代末頃から利用者数は減少傾向にあった。貸し出し冊数もピークの89年に比べ、半分以下にまで落ち込み、09年9月に全館が閉館に至った。
  しかし、単純に閉館して活動を終えたわけではない。現在でも、イトーヨーカ堂が書籍や什器を保存しており、活動の継続に向けて童話屋や利用者、さらに行政も含めた議論が進められている。とくに、利用していた子どもの母親を中心に、自治体の児童館や育児支援施設に移管するなどして、先述の特徴を損なうことのない形での継続を求めた署名活動が進められている。子ども図書館の第一号であった沼津では、3000枚近いアンケートが実施され、行政も引受に対して前向きに検討をはじめたという(2009年11月13日毎日新聞地方版・静岡)。今では、親子二代に渡って子ども図書館のファンだという利用者もいるなど、子ども図書館は地域に根付いた活動になっている。企業だけでなく、利用者であった住民自身も継続に向けて努力するまでの広がりを見せている。

生協にとっての意味
  ここまで、子ども図書館について紹介してきたが、最後にこの活動から考えられる生協の役割を考えてみよう。
  今日の生協運動の前身であるロッチデール先駆者協同組合では、図書館運動が展開されていた。本店には新聞閲覧室が設けられ、当時慣例だった検閲も行なわないなど、組合員の知的向上を目指した独自の活動が進められていたのである。振り返って今日の日本では、公共図書館数は3000を超え、一見充実しているように見える。だが、その数は欧米に比較して圧倒的に少なく、また専門の司書は置かずに、パートタイマーが受付をするだけといった、中身に関する問題も存在する。
  残念ながら、子ども図書館は閉館となったが、その活動の継続を目指して、イトーヨーカ堂、童話屋、利用者、そして行政も模索を続けている。これほど多くの人々や企業が子どもの学びについて真剣に考え、積極的に関わっている。今こそ、生協の精神に立ち戻って、「学び」の領域での貢献を改めて考えていく必要があるのではないだろうか。

 本稿の作成に当たって、セブン&アイホールディングス社会・文化開発部の尾崎一夫氏、株式会社童話屋代表取締役田中和雄氏および取締役川田洋子氏にインタビューなどの取材でご協力頂きました。改めて御礼を申し上げます。