『協う』2009年12月号 特集4

Ⅱ 生協における 「教育」 の重要性

協同組合運動と教育
   ―協同組合教育は何を追い求めるのか―


中川雄一郎 (明治大学政治経済学部教授)

1.
「産業革命」(TheIndustrialRevolution)という用語を初めて使った若きアーノルド・トインビー(1852-1883)は、オクスフォード地区協同組合代議員の一人として、彼が没する1年前の1882年にオクスフォードで開催された第14回イギリス協同組合大会に参加し、こう発言した。「協同組合人の仕事は市民の教育である。なぜなら、協同組合運動の起源を考えれば、協同組合運動の理想的な目的ともっともよく調和する仕事こそ教育であることにわれわれは気づくからである」、と。トインビーは、ロッチデールの先駆者たちが追求した理想である「協同コミュニティの建設」を「自治と公正と民主主義」に基礎を置く新しい社会の建設に置き換え、そしてこの目的は「協同組合における教育」によってはじめて達成される、と主張したのである。

2.
『協同組合運動の一世紀』の著者G.D.H.コールはその著書のなかで次のように「教育」を論じている。「教育は初期の協同組合人たちの目標のなかで高い地位を占めていた。オウエン派社会主義者たちは、協同組合国家を実現するために教育は欠くことのできない手段であると固く信じていた。オウエン派の協同組合人によるいかなる団体も、その本質的な活動リストから教育を抜かすことなど夢想だにしなかったであろう。…オウエン派の協同組合人たちが信じていた教育は一つの目的―単なる事実学習や知識の習得ではなく、社会生活の健全な状態のために必要な一定の理念や心的態度の習熟―をもった教育であった」。コールが述べているように、先駆者たち以前のオウエン派協同組合人にとって「教育」は協同コミュニティの建設とそこでの共同生活に欠くことのできない要素であった。彼らは、コミュニティにおいて社会福祉の基礎となる協同を持続可能なものにする保証こそ「教育」に外ならない、と考えたのである。

3.
先駆者組合の「1844年規約」(「目的と計画」)はしばしばその創立の歴史的意義を論究する際に取り上げられるのであるが、とりわけ第1条第5項は現代の協同組合人の間でもつとに語られる意義を依然として持っている。「実現が可能になり次第、本組合は生産、分配、教育ならびに統治の能力を備える」という言葉は先駆者組合による「協同コミュニティの建設」の宣言である。だが、この言葉はまた、協同コミュニティは「生産、分配、教育ならびに統治の能力を備える」ことなしには決して機能しないことを人びとに知らせる言葉でもあった。換言すれば、協同コミュニティが「生産・分配・統治の能力を備える」とは、協同コミュニティのメンバーがそれらの能力を備えることを意味したのであるから、先駆者たちはそうするための基軸を「教育」に託したのである。したがって、先駆者たちにとって「労働階級の教育」は必須の項目であったのである。
  ところが1820年代~30年代におけるイギリス全体の識字率は男子67%・女子51%で、労働階級に限ると識字率は男女とももっと低かった、と言われている。例えば、1830年代のランカシャー東南部地域の労働者で自分の名前を正しく書けたのはわずか30%ほどにすぎなかった、とのことである。このような「知的水準」では先駆者組合の「目的と計画」の遂行は到底覚束ないだろうし、何よりも先駆者組合が経営の基本原理とした「公正」は組合員の知的状態に左右されることを先駆者たちは理解していた。それ故、先駆者組合にとって「組合員の知的改善」は急務の事柄であったのである。

4.
先駆者組合は、「1844年規約」の前文において「組合員の金銭的利益」と「組合員の社会的および家庭的状態の改善」のための制度の構築を謳うことによって組合員への「利潤(剰余)の分配」を正当化し得たし、そうすることで「協同コミュニティの建設」を「究極的な目的」とし、「地域コミュニティの再生・再活性化」を「当面の目的」とすることができた。言い換えれば、先駆者組合は―イギリス経済の発展と―協同組合運動の発展にともなって「組合員の金銭的利益」が「組合員の社会的および家庭的改善」をもたらし、やがて「地域コミュニティの再生・再活性化」をもたらしてくれるであろうことを予見したのである。しかし、その予見が現実的なものになるためには「組合員の知的改善」が不可欠であった。なぜなら、いまや、協同コミュニティではなく、先駆者組合自体が「生産・分配・教育・統治の能力」を維持し、持続させていかなければならなくなったからである。後の協同組合人はこのことを「協同コミュニティからコミュニティ協同組合への転換」と呼んだ。

5.
創立から10年後の―この間に先駆者組合は事業的に目覚しい発展を見せている―1854年に先駆者組合は、「1844年規約」を一部改正して「1854年規約」を作成し、「教育」について明確な指針を示した。第42条の「組合員の知的改善」がそれである。「協同コミュニティの建設」という先駆者たちの高邁な理想は消え失せてしまったが、その代わりに先駆者組合の「生産・分配・教育・統治の能力」はますます組合員の知的改善を必要とするようになっていった。すなわち、「教育」の持続可能性を確かなものにしていくこと、これが先駆者組合の発展に不可欠であるという事実を先駆者組合の誰もが理解していたのである。コールはこの第42条を「協同組合の財務の特徴をなしている教育基金の端緒」を開いた、と高く評価した。第42条はこう記されている。「本協同組合の組合員およびその家族の知的改善のために、既に開設されている図書館を維持し、また望ましいとみなされる他の教育手段を講じることによって、独自の別個の基金が形成される。このための基金は、剰余(利潤)からの年率2.5%の控除分と規約違反の科料の蓄積分で形成される」。

6.
「教育基金を剰余から充当する」ことを明文化したことは協同組合運動にとって画期的なことであった。「組合員の知的改善」、すなわち、「組合員教育」は「協同組合教育」として実質化されるべき協同組合の固有の制度であることを内外に明らかにしたからである。これは、同じ「1854年規約」の第30条で「1人1票の議決権」を明文化した「協同組合の民主的管理」と同じように重要なイデオロギーである。現在では普遍的権利としてほとんどの男女が有している政治的権利=選挙権(「1人1票の議決権」)をこの時代にはほとんどの労働階級の男女は持ち得なかったにもかかわらず、先駆者組合は組合員参加の基礎である議決権をすべての組合員の「普遍的権利」として掲げたのである。その意味で、協同組合運動がヨーロッパにおける民主主義の発展に果たした役割は決して小さくないのである。
  「組合員の知的改善」=「組合員教育」は、民主主義の発展に対する協同組合運動の貢献と同様に、協同組合運動と労働階級を強く結びつける絆となった。一般大衆の初等教育制度が未確立のままであった1850年代から70年代初期にかけて、中産階級と労働階級との間には科学的知識、教養それに情報において画然としたギャップが存在した。それ故、先駆者組合をはじめとする協同組合が組合員教育を通じてそれらのギャップを埋めようとした努力は非常に大きなものであったろうと思われる。この努力があったからこそ、組合員は協同組合への帰属意識を強め、協同組合のアイデンティティを豊かにしていくことができたのである。1846年に先駆者組合の組合員となって先駆者組合での教育に尽力し、後に卸売協同組合連合会(CWS)の初代会長となるA.グリーンウッドは、協同組合における教育の成果をして「共通の目的をめざす協同が知的同等性への接近を可能にした」のだと強調することがきたのである。

7.
協同組合運動を支援し、1857年にイギリス協同組合運動の名著『民衆による自助』(協同組合経営研究所訳『ロッチデールの先駆者たち』)を著したJ.G.ホリヨークは、先駆者組合の教育体系の基本を「人間的な倫理観に拠って立つ人びとの自助、自立そして自己充実」の確立である、と論じた。すなわち、協同組合は、自助に対して、他者の福祉・福利を尊重するという条件を課している。自助は、もし人びとの好意を通じてそのような条件を満たさないのであれば、略奪となる。自立とは、真実の意識と公正の意識によって動かされる、教養ある「自己」のことである。協同組合は本質的に自己充実的であり、友愛的であるのだから、自立的で自己充実的な利点を創り出すことこそ協同組合教育の本質的な主題なのである。
  見られるように、ホリヨークは「協同組合における教育」のコンセプトを「組合員教育」から「協同組合教育」に広げている。先駆者組合の協同組合教育の基本をこのように捉え直したホリヨークはさらに、協同組合教育は、第1に、協同組合運動を通じて「(協同による)自助、自立、自己充実」をいかにして実現していくか、第2に、組合員が正しい知識に基づいて「生気あふれる生活意識」をいかにして創リ出すか、それらの道筋を明らかにすることであると主張し、こう続けた。正しい知識は「適者生存」ではなく、「適者創造」の源泉であって、協同組合教育はその「適者創造」に貢献するのであり、もしこうした協同組合教育がなされないとすれば、「協同組合は専ら事業に熱中するだけとなり、単なる取引組織以上の道徳的勢力にはなり得ない」、と。

8.
ホリヨークはまた、「オウエン派社会主義の理想」をほとんど語ることを止めてしまったイギリス協同組合運動に向けて「新しい社会生活の原理」を協同組合が論究することの重要性を指摘し、協同組合が「社会的市民の学校」となるような「協同組合教育の新しいプログラム」の展開を次のように訴えた。協同組合教育は、「協同組合精神(マインド)」の形成と育成に資すると同時に、協同組合が求める「産業の新しい環境」を創り出すことに貢献しなければならない。それ故、協同組合運動における教育は、「すべては消費者のために」という一種の「教義」を教える教育ではなく、組合員が労働し、資本と経営に参加し、労働に応じて剰余を分配するという「三位一体」の産業システムに基づく労働者協同組合を包含した「新しい協同組合教育」の確立でなければならない、と主張した。
  ホリヨークがここで強調したかったことは、新しい産業システムを創出していくためには、既存の労働・経営システムと異なるシステムである「組合員労働者による出資(資本)・経営管理・利潤の処分権」を保証する、組合員労働者の「雇用の創出」と協同組合経営への「参加」という「新しい労働意識」が醸成されなければならず、それを担うものこそ協同組合教育である、ということである。このような協同組合教育は、「店舗における消費者の利益」を損なうどころか、より高度な能力と資質を、したがってまた普遍的な社会的性格を協同組合に付加することになり、消費者協同組合と労働者協同組合双方の運動を一つの協同組合システムに統合して、「新しい産業システム」とそれに基づく「新しい社会生活の原理」とを創り出すのである、とホリヨークは唱道したのである。このように、ホリヨークは、協同組合教育は「新しい協同組合運動」と「新しい社会生活」を可能にするような実践的プログラムでなければならない、と協同組合人に訴えたのである。

9.
「新しい産業システム」と「新しい社会生活の原理」をめざす協同組合教育を唱道して協同組合教育のコンセプトを広げたホリヨークの貢献は大きい、と言うべきだろう。ホリヨークはまた『民衆による自助』および『現代の協同組合運動』のなかで「ロッチデール14原則」を示し、それによってロッチデール原則は多くの協同組合人の知るところとなった。そしてその後、1937年に開催された第15回ICA(国際協同組合同盟)パリ大会で「教育促進の原則」(第7原則)を含む「協同組合7原則」が採択され、協同組合教育は国際協同組合運動の重要な環を担うことになる。こうして、「教育促進の原則」は21世紀の現在まで協同組合運動の一つの重要な指針となっているのである。

10.
しかしながら、ホリヨークやICAの努力にもかかわらず、「教育促進の原則」は総じて軽視される傾向にあった。1980年に開催された第27回ICAモスクワ大会において採択された『レイドロー報告』は、教育が軽視されていることに警鐘を打ち鳴らした。「教育の軽視は」から始まるレイドローの文章は辛辣である。「教育の軽視は、大部分の国々の協同組合運動に現在かなり広がりつつある問題と言える。いくつかの第三世界諸国を除いた大多数の協同組合は、この点で、教育怠慢の罪がある、と言ってよい」。
  レイドローは、「教育怠慢の罪」とは「教育を大抵その場限りのこと」にしてしまい、したがって、「新しい世代の組合員は協同組合が何であるか、なぜ誕生したのか、理解できなくしてしまう」ことだと述べ、ゲーテの言葉を引用して現代における協同組合教育のあり方を批判している。「人は自分が理解しないものを、自分のものとは思わないのである(Onedoesnotpossesswhatonedoesnotcomprehend)」、と。ゲーテのこの言葉は「協同組合人の仕事は市民の教育である」とのトインビーの言葉に連なる、と私には思えるのである。

11.
しかし、「教育怠慢の罪」はこれだけに止まらない。協同組合活動に関わる他の問題にも及ぶ。レイドロー報告は協同組合への「組合員の積極的関与」(thecommitmentofmembers)の必要性を説き、「積極的関与は協同組合の活力源であり、積極的関与のない、もしくは弱いところでは、組織は弱体化する」と述べて、協同組合教育の役割を示唆している。レイドロー報告の言う「組合員の積極的関与」は「組合員の権利と責任」を意味しており、これが弱まっているのであれば協同組合運動の成功は覚束ないことになる。「今日の協同組合にはただ顧客がいるだけで組合員がいないのだ」、というベテランの協同組合人の呟きをわれわれは見すごすわけにはいかないだろう。「組合員の権利と責任」は「市民としての組合員のシチズンシップ」と関係してくるからである。
シチズンシップは市民の「自治・平等な権利・自発的責任・参加」をコアとする「参加の価値体系」である。すなわち、「市民の自治」(あるいは「自治能力」)は権利を基礎とする「市民の参加」(あるいは「積極的関与」)を通して実現されるのであり、また市民は平等な個人として平等な権利を行使することにより自発的な責任を履行するのである。参加の価値体系にあっては権利と責任は相補的関係にあるのであって、権利と責任を対立させる自由主義的二分法・二元論の対極をなすのである。このような観点からすれば、協同組合教育はシチズンシップを協同組合運動のなかに取り込み、「市民を教育する」役割を果たさなければならないのである。そう言えば、モンドラゴン協同組合の思想的指導者アリスメンディアリエタも、「新しい社会秩序の形成」という協同組合の目的を遂行するよう主張して、協同組合教育の意義づけを新たなものにしたのである。「協同は新しい社会秩序を形成する経済的、社会的過程に人びとを確実に統合する。協同組合人は、この目的を、労働の世界において正義と公正を切望し、渇望するすべての人たちに広げていかなければならない」。

12.
2010年は「レイドロー報告30周年」である。この報告はそれ自体が「協同組合教育の教科書」のように私には思える。しかしながら、報告の第Ⅴ章「将来の選択」の「第四優先分野:協同組合地域社会の建設」(BuildingCo-operativeCommunities)は―「教育の軽視」と同様に―これまでほとんど軽視されてきたのではないだろうか。だが私の目からすると、これはアリスメンディアリエタの言う「新しい社会秩序の形成」の一つの重要な方法ではないだろうか、と思えるのである。「あらゆる種類の協同組合は、近隣の人びとに自分たちが持っている資源を発見させ、求められているサービスをスタートさせるという効果を発揮させるだろう。共通の利害やニーズを持つ人びとの自助という協同組合の理念は、都市部の人びとを結びつけ、都市部を地域社会(community)に転換させるための社会的接着剤になることができる」、とのレイドローの切望は決して夢物語ではないのである。オーストラリア・ブリスベンから北方100kmに位置する―人口2,000人ほどの―マレーニ協同組合コミュニティがその実例である。紙幅の都合でここでは詳しく紹介できないので、津田直則「オーストラリアのマレーニ協同組合コミュニティと地域再生:レイドロー報告との関連で」(協同組合経営研究所『にじ』2009年秋号、No.627)を是非一読願いたい。それでもこの論文が「マレーニにおける質の高い協同組合コミュニティの特徴」として、①参加・民主主義に基づく協同組合地域社会、②高い文化・教育レベル、③経済、社会、環境の3領域のバランス重視、④誰も排除せず人に優しく、公平な協力社会、⑤低炭素型・資源循環型生活など自然との共生が生活スタイルとなっているパーマカルチャー思想、を強調していることに触れておく。この実例から協同組合人は「協同組合教育」の多くの概念要素を引き出せるのでは、と私は大いに期待しているのである。