『協う』2009年12月号 書評2
阿部志郎 雨宮栄一 武田清子 森田 進 古屋安雄 加山久夫
『賀川豊彦を知っていますか』
吉田 隆司 生活協同組合ひろしま 人事総務部担当主任
いつだっただろうか、もう10年以上前だと思うが、上司の行き付けの小料理屋に生協ファンのマスターがいた。初めてそこに連れていかれるとマスターが決まってする質問がある。確かこんな質問だった「君が生協を一言で表すとどんな言葉になる」という問いかけだったと思う。若手の職員を試す意図があったと思うが…、私は、少し考えたと思うが迷わず「弱い立場の人のために生協は存在する」と答えた。
なぜその時にそう答えたのか?当時はそんな志を持っていたのか?自分の強い意志を持って答えたのは事実のような気がする。今、同じ質問をされたらどう答えるだろうか?明確に答えられる自信がない。
今年になって教育担当として研修の内容に賀川豊彦という人をとりあげることが多くなり、なぜかこの出来事をよく思い出す。
今回、この「あなたは賀川豊彦を知っていますか」を読み、一度優等生のようなさし障りのない文章を書いた。何度読んでも「なんじゃこりぁ」まるで解説書みたいじゃないか!開き直ってありのまま書くことにする。
今の率直な感想は、かなり混乱している。6人の著者の方々から様々な視点で賀川を知り、改めて賀川豊彦の人物像が明確になった反面、思想家としての宇宙観や詩人としての賀川は非常に難解で、一つひとつの章の賀川が別の人格にも思えるほどの多様さを感じ、短期間でこの著を理解することは、難しいと感じる。
けれど人の見方は様々だが賀川豊彦は、まぎれもなく一人である。その賀川の本質を自分なりに理解しようと各章をいったりきたりして、何かをみつけようと試みた。やっぱり何度考えても自分にとっては雲の上の存在にしか思えない。考えれば考えるほど悩ましいが、次第に各著者の賀川をしっかり表現しようとする思いが自然と伝わり、その思いを感じ、受け止めようとする自分がいる。漠然としてではあるが私自身の人生をこれからどう生きるのか?私の信じる生協がこれからどこに向かえばよいのか?その答えがこの本の中、賀川の足跡にあるような気がしてくる。
こんなことを考えながらバスを待っていたら後輩からメールが来た。「以前学んだ賀川豊彦についてもっと学びたいのですが、教えてください」というメールだった。今回の読後感を依頼されたことや、私の今後の人生で賀川という人を学ぶべき必然と流れを感じる。
難解な中、今の私にとって唯一理解できることは、愛を極めた人であったということである。愛がすべての原動力である。私が自分の子どもを愛する利己的な愛ではなく、隣人愛という言葉ではあまりにも簡単だが、他者を徹底して信ずる超越した愛であったと思う。 それがどんな大きさ、強さであったのか正直想像もつかない。あの過酷なスラムの中で何度挫折してもたちあがる勇気と情熱。やがてそれがスラムの人の心を変えていく。死を宣告されても愛が死に対する恐怖を克服させ、強い魂となる。ものすごい死生観と覚悟を感じる。
自分に置き換え、今愛を注いでいるだろうか?時に利己主義に走り、自分を守るために保身的な行動もとってしまう弱い自分もいる。死に対する恐怖も人一倍強い。親としての顔、教育担当という役割を演じている自分を省みると恥ずかしくもなる。
賀川の魂を受け継ぐ生協の実践者となれているだろうか?生協の「愛と協同」の愛は、まさしく賀川の魂のこもった愛である。
今私たちは組合員の声を愛を持って聴けているだろうか?周りにおもいやりを持って接しているだろうか?すべての活動に愛を持って実践しているだろうか?賀川は私たちにそんなことを問いかけているように感じる。
私は教育担当であり、理念の実践者である。賀川の思想を学び実践しなければ意味がない。愛を込めた魂の教育を実践し、賀川の意志を生協の仲間とともに受け継いでいきたいと思う。
この本をご一読の上、大いに悩んでいただきたいと思う。(よしだ たかし)