『協う』2009年10月号 視角
記者の目から見た現代の貧困
山本陽平
2年前の冬、京都の野宿者を取材した。野宿者が寝起きする駅や橋の下を訪ねたり、炊き出しに加わっては、過酷な日常を生きる人々を追った。約3ヵ月、取材して写真グラフを掲載した。その後も取材を続けている。
市内の児童養護施設でも、同じ頃に取材を始めた。野宿者問題と児童養護施設。たまたま取材をした2つのテーマだが、「貧困」という共通点があった。昨秋以降、不況で雇い止めや派遣切りの嵐が吹き荒れて、現場に行く度にその実感は深まった。
「にっちもさっちもいかへん」。今冬、京都市南区の河川敷で行われた炊き出しで出会った30代の男性Aさんはこぼした。炊き出しには百人規模で野宿者らが集まり、寒風の中で身をすくめて食事を頬張っていた。
聞けばAさんは児童養護施設出身だった。滋賀県の工場に派遣されて働いていたが、不況で解雇。寮も追い出され、職と同時に住まいも失い、野宿して過ごしていた。服は汚れ、表情は疲れ切っていた。
別の機会に会った20代の男性Bさんも施設出身。金銭トラブルから所持金がなくなった。仕事が見つからず、身寄りもないため、ネットカフェに泊まる生活を経験した。そこでインターネットで見つけた支援団体の保護を受け、アパートに入りホームレス状態の日々から抜け出せた。
同じようなケースが取材先の児童養護施設でも起きていた。施設を出て2年の当時20歳の女性は雇い止めされて寮も出なければならず、職員に助けを求めていた。住み込みの職場探しを手伝ってもらったおかげで飲食店での働き口が見つかり、窮地は脱したが、社会に出てすぐに不安定な生活を余儀なくされた。
児童養護施設には虐待などで親と離れたり、親がいない子どもたちが暮らす。原則18歳までが入所期限で全国の約560施設に約3万人がいる。身体的虐待やネグレクトなどの児童虐待を受けたケースも多く、虐待と貧困の関連性も指摘されている。心に傷を負いながらも、順調に育って施設を巣立つ子もいれば、その過程で引きこもりや不登校、非行に走る子もいる。
施設を出た多くの子どもたちは自立して、それぞれの人生をしっかりと歩んでいる。だが、身寄りがなく保証人もいないなどの状況で社会に出て、生活基盤を確立するのは容易でなく、いったんつまずいてしまうとAさんたちみたいな状況に陥ってしまいかねない。
背景には雇用形態の変化がある。全労働者のうち非正規雇用の割合は3割以上となった。非正規は自分の都合で仕事量を調整できるが、景気の浮沈で雇用が脅かされやすい。賃金でも正社員より安く、「同一労働同一賃金」のヨーロッパとはかけ離れている。不安定な働き方が拡大することで、立場の弱い人が真っ先に切り捨てられるような状況が醸成された。
一人親家庭の貧困も深刻だ。経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の一人親家庭の子どもの貧困率は先進国中ワースト2位だ。一般世帯の平均年収が約560万円に対し、母子家庭は213万円にとどまる。非正規雇用の割合が高く、家計的にも雇用面でも不安定さが際立つ。子育ての費用は子ども一人あたりで大学卒業までに、すべて公立の場合でも約3千万円かかるといわれ、費用の工面は一筋縄ではいかない。
こうした状況は子どもの教育機会を奪い、貧困が連鎖する仕組みを生み出している。奨学金をもらっても、社会人になった途端に何百万円のローン返済がスタートでは、自立もおぼつかない。国の将来を担う子どもに、ツケを払わせるのは国益にも反する。
正社員の置かれた環境も厳しい。相次ぐ過労死や自殺。残業は当たり前だ。化粧品メーカー勤務の32歳の友人は平日にはほぼ毎日、午前0時まで働いている。過労死の危険ラインとされる残業月80時間を上回っている。事態は異常だが、こんな働き方は身の回りで珍しくない。
働く人が軽視され、働くことの価値が貶められている。結果、貧困が待ちうけていた。だが、声を上げる人も現れた。派遣村に象徴される労働者のムーブメントは広がりつつある。政治では政権が代わった。歴史的勝利を収めた民主党は子育てや教育、雇用対策を掲げるが、政権交代を追い風に貧困問題は「チェンジ」できるのか?行方を注視したい。
やまもと ようへい (京都新聞社写真映像部)