『協う』2009年10月号 特集3

 

困窮者問題における市民セクター協働
~支援NPOと生活協同組合~

中嶋陽子(大阪市立大学特別研究員)

 


はじめに
  このたび筆者は、福岡市と北九州市を訪れ、グリーンコープと北九州ホームレス支援機構の関係者に話を伺った。今回の焦点は、社会の貧困化が進む中で、生活協同組合に由来する社会福祉法人と、ボランティア支援団体を前身とする認定NPOという、2つの団体が、本格的に協働する、ということである。ホームレス問題におけるこのような組合せは、筆者の知る限り、日本では前例がない。具体的には、「社会福祉法人グリーンコープ」は、ホームレス状態やそれに近い人が地域や職場で自立に至るまで入所する中間施設を設立し、そのソフト面の運営を「認定NPO法人 北九州ホームレス支援機構」が引き受ける。市民セクターで大きな実績を積んできた異業種の団体が、困窮者問題において緊密なタグを組んだのである。協働の動機やその成功の理由は何なのか。以下では、団体の活動を紹介しつつ、この点に触れたい。

北九州ホームレス支援機構
  北九州ホームレス支援機構(以下、機構という)の前身は、1988年12月、北九州初のホームレス支援団体として、炊き出しパトロールから始まり、以後2000年まで、ボランティア団体として活動を続けていた。その間、時間をかけて議論を重ねた結果、2000年には、支援活動のグランドプランを発表するとともにNPO法人化し、「北九州ホームレス支援機構」と名乗るようになった。
  グランドプランは、彼らの長年にわたる経験と叡智の結晶とも言うべきもので、ホームレス問題が持つ社会的背景を把握するにとどまらず、当事者への内面的理解と再ドロップアウトの防御策も含んでいる。「持続的自立」の視点を具体的に提示した、いわば、包括的な文書である。中でもホームレス者の状態を関係性の希薄化の極致としてとらえたことは、特筆に価する。路上脱却という生存条件がクリアされた後、つつましやかな物質的充足ととともに、精神的充足をどう満たすかが大きな課題であり、支援メニューを組み立てる視点には、両者を総合的にとらえる必要があるからだ。路上後の当事者を、上部構造を含めた社会関係の中で総体的にとらえなければ、持続的自立も、地域や職場での包摂につながらず、短期間に終わる可能性が高い。機構の奥田知志理事長が、「自立後のサポートを誰が担うかという点は残るが、生活保護の集団申請は、支援の半分だ」というのは、支援の後半戦を熟知しているからである。機構のこの「トータルサポート」の視座は、高い評価につながる実践上の基盤となっている。
  その後、機構は、市から「ホームレス自立支援センター北九州」(以下、センターという)の運営を受託する。これは、いわゆるホームレス自立支援法による、就労支援中心の施設である。受託を契機に、より本格的な支援が展開されるようになった。現在、機構独自で展開する施設も増えたため、市からの受託事業は、機構の事業のすべてではない。09年3月現在、機構の事業規模は約1億6千万円、職員は43人、うちパート職員7人、その他はフルタイムである。人件費は、12人分が機構からの支出であり、他は市の委託費による。また、機構の直接的な応援団である、NPO会員は76人、賛助会員は543人にのぼる。
  機構では、ボランティアの参集にも心血を注いでおり、その数は、80人余りと言う。NPO内にボランティア部を設け、その事務局を中心に、4分野の委員会や班が設置されている。活動内容は、炊き出しを始め、ニュースなどの発行、子どもを含めたボランティア養成、支援住宅での援助などである。路上脱却者による「なかまの会」があり、世話人会を中心に、独自施設卒業生のうち約7割が会員になっている。自立後の孤立を防ぎ、自身の有意性を高める上で、大きな役割を果たしている。
  機構独自の施設には、路上生活保護受給者のための緊急シェルター、就労者の見守り的な役割をもつ支援住宅、寄付された不動産物件を改修した抱樸館・下関など6つの施設がある。センターの受託分50室を含めたキャパシティーは総計107室で、すべて個室である。この入居者107人のうち、シェルターでは上記の対象者6人が原則1ヶ月、その他101人は原則6ヶ月の入居期間をもつ。その間、就労を軸に自分に適した自立を模索するのである。その他、現在計画中の独自施設である抱樸館・北九州は、当地で急増する困窮者のための入所・通所施設である(40室40人)。更に、今回グリーンコープとの協働事業になるのが、後述する抱樸館・福岡である(81室81人)。

「グリーンコープ生協ふくおか」と「社会福祉法人グリーンコープ」
  「グリーンコープ生協ふくおか」(以下、生協ふくおかという)は、福岡県内の多数の生協からなる全県連帯として、永い時間をかけ2005年に誕生した。09年3月末現在、組合員数17万1797人、出資金72億3438万円である。08年度の、福祉事業部を除いた総事業高は、290億9200万円である。福祉分野では、生協事業が3億1千万円(デイサービス・グループホーム・福祉用具)に対し、社会福祉法人グリーンコープは6億7千万円(訪問介護、ケアプラン)である。事業所は、共同購入部門18、店舗部門21、訪問介護事業所(社会福祉法人)21、デイサービス12、グループホーム2、住宅型有料老人ホーム1、小規模多機能ホーム1、子育てフリースペース6、を擁する。
  一方、社会福祉法人グリーンコープ(以下、福祉GCという)は、生協ふくおかと福祉ワーカーズコレクティブが介護保険事業を始めた経過により、まず03年に福岡県で認可された。その後、広島・山口・九州各地のグリーンコープ生協の介護事業が、福祉GCに集結してゆく。08年度の総事業高は、14億5千万円である。福祉GCは、各地のグリーンコープ生協が福祉を切り口に俯瞰できる組織だともいえ、子育て応援事業、障がい者福祉事業等を行い、生協ふくおかは、多重債務問題を中心とした生活再生相談事業を展開してきた。抱樸館・福岡は、この一連の事業の中で、無料低額宿泊所の設立運営として、挑戦するものである。
  しかし、このような福祉法人の前史があるとしても、生活協同組合が、困窮者支援、特にホームレス者を含めた支援事業に深く関与することには、通常、大きな距離がある。特に、ホームレス者は、自己責任論が跋扈していた当時はもとより、今なお、「怠けている」「気楽なものだ」というような、構造的要因や実態を無視した差別や偏見に晒されている。路上死や襲撃される事件も珍しくないが、それが深く追求されることはまれである。公的セクターからの財政出動や政策・施策の実施も、市民権を得た十全な支援にはなっていない。このような状況の中で、生協ふくおかが困窮者問題に深く関与するのはなぜか。その理由に迫るには、そもそも、グリーンコープ生協の原動力や推進力は何だったのか、を見る必要がある。
  当初の原動力は、「いのち」を産み育てる「母親たち」が、子どもに「ほんものの食べ物を食べさせたい」、と思う「切実さ」であった。この切実さは、農業や環境への強いこだわりをもつことによって、食をめぐる広範な「食べもの運動」へと発展するわけであるが、その流れをたぐり寄せると、外部環境→食べ物→子どもと母親・女性→命へと収斂される。ジェンダーの問題を脇に置くならば、グリーンコープ生協の志向性の根源にある核は、「命」であることがわかる。88年には、4つの共生の理念が明快に提示された。「自然と人・人と人・女と男・南と北」の共生である。これは、グリーンコープ総体としてのミッションに、具体的な奥行きと広がりを与えたと思われ、環境や平和への強固な取り組みにつながってゆく。90年代半ば以降は、高齢者福祉に取り組む中で、当時としては先行的な「地域福祉のシステムづくり」を具体化していった。定型的な福祉の事業から一歩踏み出して、利用者本位の自己決定権や市民型の参加を追求し、子育て支援も行う中で、「家族の問題」や「個人的な課題」が「社会的な課題」であるという認識にいたった、という。21世紀に入ると、地域福祉の中でホームレス問題との出会いがあった。機構の事業や支援活動から刺激を受けたことも手伝って、もっとも深刻な社会的課題の一つが、いわばグリーンコープ自身の活動の中で発見された、といえる。続く生活再生事業は、09年2月現在、4箇所の移動相談室と、県から委託された3箇所の常設相談室を持つに至り、08年には、厚生労働大臣より表彰されている。

いのちと民衆交易
  しかしなお、ホームレス支援との距離を埋めた決定打は何だったのか、定かではない。平和・環境・高齢者・子育て等は、生協の活動や福祉事業としては定番であり、その濃淡や色合いは異なるものの、それぞれの生協で確かな実績が積まれてきたからである。グリーンコープの場合、しいて言えば、地域福祉に取り組む中で困窮者との出会いがあったこと、福岡から近い北九州に、機構という高い評価を得て活動するNPOがあったこと―この2点は、支援への積極的な環境だといえよう。しかし、それでも通常は、寄付や物資の支援、職員ボランティアの推奨など、生活協同組合の「本業」になじむ範囲での援助が、一般的である。支援団体でさえ、炊き出しをメインに活動を抑制する場合は少なくない。福祉事務所や病院への同行など一歩踏み込んだ支援は、民間団体の限界を超えて、それだけですまないからである。
  福祉GCの行岡良治理事長は、ホームレス支援との距離を埋めた根拠を、フィリピンの民衆交易バナナまでさかのぼって考える。バナナ交易は、日本発フェアトレードの先駆とも言うべき存在であり、グリーンコープでは、今も「民衆交易」と呼んでいる。ネグロス島では、1986年の砂糖価格の暴落によって飢餓状態が広がったため、替わって自生種のネグロスバナナを日本に輸出するという取り組みが行われ、3年後の89年に、本格的な民衆交易として開始されるようになった。その後、バナナの過植によって病虫害が蔓延し栽培継続の危機に見舞われたものの、グリーンコープ連合理事(当時)の指摘に触発されて共生型・循環型のバナナ栽培への転換が始まった。今では、当初からの生産者組織を中心に、民衆交易は、ミンダナオ、ルソン等々の島にも広がり、グリーンコープでは、組合員を始め若者・子どもも現地との交流を活発に行っている。そして、バナナのなかで、輸送中に発生した商品に至らない可食分は、ドリンクバナナ酢として製品化される一方、ホームレス支援にも使われてきた。
  当時のエピソードによると、組合員である母親が、命の危ぶまれる飢餓状態の子どもを胸に抱くことによって、ネグロスの状況は、より身近でリアルな問題となった、という。命を淵源とする食べもの運動の本旨からして、グリーンコープ生協の理念の根幹が試されたわけである。命をめぐる飢餓や貧困が、頭の中の抽象的な理解に終わることなく、現地での共感を伴った体験によって推進力を与えられ、民衆交易の実現に結びついた。命を巡るこだわりがイニシエーターだとすれば、命と食べ物に関する「南」の現場での認識がプロモーターとなって、バナナ交易を実現させたといえよう。抱樸館・福岡の設立は、この同一延長線上にあり、ホームレス者の存在は、命に関わる国内の窮乏問題として、位置づくのである。行岡理事長によると、生協が物品の販売業だけに座しないよう、その意識と組合員主権をつねに念頭においてきたという。

抱樸館・福岡
  社会的な活動を支えるには、資金調達が大きな課題になる。94年に、グリーンコープ福祉連帯基金が設けられ、介護福祉や在宅福祉を担うワーカーズコレクティブの一連の事業に寄与した。一方、96~97年にかけて各グリーンコープ生協で決議され「参加型地域福祉」のために設立されたのが、福祉活動組合員基金である。ここでは、組合員が月100円を拠出し、運用委員会で運用目的に沿って助成対象などを具体化する。対象は、在宅福祉ワーカーズなど従来の得意分野に限らず、組合員の日常からは距離のあるホームレス問題にまで及んでいる。機構も助成団体である。
  抱樸館・福岡は、失業率や自殺者数の亢進が予想される中、世界的な経済危機から困窮者が増大するとの認識に基づき、「生活困窮者のための自立支援施設」として、10年5月に開設が予定されている。施設は第二種社会福祉事業に相当し、事業主体は福祉GCである。対象は、「派遣切り・失業・解雇等で仕事と住まいを失った人々」である。ホームレス状態やそれに近い人が最長6ヶ月入居し、就労自立などの生活再建を目指す。提供されるサービスは、「職業訓練・就職支援・居宅設置・保証人提供・アフターケアなど」で、職員は、施設長のほか生活相談員8名、調理スタッフ6名等、計18人である。合計敷地面積約1000坪のうち約半分が計画敷地面積であり、3階建ての建物が予定されている(延べ床面積500坪強)。居室は個室制で、1階女性専用6室、2階37室、3階38室の計81室である。1階には、厨房や事務所など必需スペースのほか、相談室4部屋、地域の市民も利用可能な広い食堂(130客)があり、来客を想定したカフェ・交流スペースも、食堂の約半分の広さが確保されている。
  支援サービスの提供は、協働する機構の力に拠る部分が大きく、機構がセンターの受託運営において培ってきたすべてが投入されるものと思われる。同時に、生活再生事業で高い実績をあげるグリーンコープ生協が、債務問題の分野で機構と連携を図るという。したがって、近い将来、支援サービスにおいても、機構、福祉GC、グリーンコープ生協の3団体が、多様な協働の形態を模索してゆくのではないか。また、抱樸館は、81人と言う大所帯である。規模と反比例してヒューマンサービスの質は低下しがちな点を考えると、その意味では機構の新たな挑戦かもしれない。ボランティア・市民層の支持が厚いことが、大きな力になると思われる。

脱路上と若干の考察
  ではホームレス者は、どのように再起しているのか。そこには各人各様の奥深い物語があるのだが、ここでは、機構が集計した統計を見たい。09年3月までの自立者累計は693人にのぼる。ホームレスからの自立率は94.0%、自立後の生活継続率は91.1%である。この数値は、類似団体の中でも抜群の高さである。自立の形態は、完全就労自立、生活保護併用型の就労自立(賃金収入を主体とするが、不足分を生活保護で部分的にカバーする)、居宅での生活保護自立、施設での自立などがある。機構が受託するセンターでは、06年10月時点で、就労自立72.6%、生保自立15.4%、他法自立2.3%、中途退所9.7%となっており、ここでも、中途退所者の少なさ、就労自立の多さが際立っている。
  その理由は、第一に、機構では、グランドプランが職員共有の価値になっていること、つまりミッションの掲示とともに解決に向けた包括的・具体的な提起がある、という優位性である。第二は、部署内で情報が共有されているため、就労後の離職者やドロップアウト層に対する再支援が迅速で、連携が巧みなことである。第三は、担当者の変更がしばしば起きたり、細分化され分業化されたケアが異なった団体間で担われたり、といった寸断されたケアの構造を生まない点である。機構が支援の入り口から出口までを担っているからである。これは、当時者が職員やボランティアと信頼関係を築きやすく、大きな安心感となる。筆者の海外調査や支援経験からも、何重もの不利や困難を抱える当事者にとって、この利点は想像される以上に大きいといえる。
  グリーンコープの特徴として印象的だったのは、諸活動が試行錯誤を重ねつつ、時間をかけた丁寧な議論を経てこそ、整序されること、第二に、特異な企業家によるのではなく、いわば組合員を主体とした市民集団によって、社会的企業に類するような事業の形がさまざまに模索されている点である。換言すれば、グリーンコープ生協当初の発意に含まれる「切実さ」は、命に立ち戻る視点や、その視点に関連する思考回路を大切にすることによって、「切実さ」を独自の活動に転化し、その結果、問題の解決を含む多様な現場をつくった。それらは、組合員主権の一つの表現になっている。また、地域福祉を行う中で機構や窮乏問題との出会いがあったという点は、協同組合の第7原則の含意を考えさせられる。命の重みを尊ぶ志向性は、グリーンコープの「コンセプト」として脈打つが、機構のミッションを端的にあらわす標語もまた、「あんたも わしも おんなじいのち」である。

 最後に、筆者の観測であるが、抱樸館の厨房ではグリーンコープ生協の食材や民衆交易の食品も活躍するのではないだろうか。広い食堂や交流スペースに、ワーカーズやボランティアのほか、地元市民の出入りが活発になれば、意図せずして社会的包摂が実現することになる。抱樸館が管理や人為を感じさせない、おおらかな地域の舞台になることを期待したい。