『協う』2009年10月号 特集2
「貧困の実態から、貧困の克服に向かう」
高橋瞬作(全京都生活と健康を護会連合会 事務局長)
はじめに
今年の春、事務所に電話相談が入った。50歳代の男性である。訊けば、半年ほど前、ある施設の自分に対する処遇に失敗があり、深く傷つけられた。施設に説明と謝罪を求めているが未だに納得のいく対応がない。怒りがおさまらないので、施設の責任者に危害を加えようと思っていると言う。
私は、傷害事件をたくらむ人間が、わざわざ「第三者」に電話をかけてくることはないだろうと最初に思い込んでしまった。15分間ほどのやりとりの中で、無意識のうちに「経済的な問題」に話しを誘導し、いま一番困っている事は何かと訊ねた。すると、月末まで生活費が持たないとのことだった。
やはりそうだったかと合点して、さっそく居住地の生活と健康を守る会(生健会)に連絡を取り、福祉事務所に行く段取りをした。翌日、男性から電話があり、今後は、生健会の援助を受けながら福祉事務所と相談してゆく旨の報告があった。一件落着とばかり、記憶の表面から抜け落ちていった。
数日後、夕方のテレビで、件の男性が傷害未遂の現行犯で逮捕されたとのニュースがチラッと目に入った。
貧困の属性としての孤立 悲惨な出来事の背景
夫の暴力に耐えかねて、生まれたばかりの子を抱いて家をとびだした女性、以前の雇い主の家に転がり込んだ。そこから生活保護を申請し、近くのアパートに転居した。木造2階建て、低家賃で他の住人は皆単身者である。
夜中に子どもが泣くと、隣や二階の部屋から、うるさい、子どもを泣かすなとばかり、壁や床を叩かれる。外に出て、子どもが寝つくまであやす日々が続いていた。ある日、気が付くと、泣いている子の口と鼻を手で塞いでいた。無意識だった。今夜こそ、静かに寝て欲しいと強く思っていたが、そこまでの記憶しかなかった。
自分は、なんと恐ろしいことをしているのか、自分の所業にショックを受けた。夫の暴力を恐れて、現在の住まいを誰にも明かさずにいた日々の中での出来事だった。
貧困は、もちろん、お金が足りなくて、生活に欠かせない「モノ」を必要なだけ買えない、入手できない状態である。しかし、貧困が、その属性として社会的孤立、世間からの孤立をともない、この孤立が、現在、様々な事件を引き起こしている。
児童相談所の職員は、子どもの虐待は貧困問題だと報告している。家庭内で起きている悲惨な事件の数々は、貧困と孤立の中で、閉ざされた空間の軋轢が極度に高まった結果である。
万引き高齢者は「孤独」との見出しで、警視庁のアンケート結果(2008年)が新聞で報じられてる。友達がいない、相談できる相手がいない、生きがいがない、と答が続いている。
動機がいまひとつ判然としない犯罪の新聞記事には、「孤独」「孤立」との言葉が必ずかぶせてある。
自分の存在、価値を評価しない他者
土砂降りの雨の日だった。60歳代の男性から、どんなことでも相談にのってくれるのか、相談だけではなく、手助けもしてくれるのかと電話が入った。急を要することだが、この雨では外に出られない、具合も悪いとのことだったので、私は、雨合羽をかぶり、バイクで駆けつけた。棟続きの長屋だった。
古い雨合羽なので雨が浸み込みずぶ濡れだった。部屋に上らず、上がりがまちに腰掛けて話しを訊いた。
家賃を滞納して立ち退きを迫られている、生活保護を受けたいというものだった。その具体的な要求に至るまでの話は、隣家の、マナーをわきまえない犬の飼い方、そのためトラブルが絶えず自分は病気になった。その結果、仕事ができなくなり、生活に行き詰まったというものであった。
話しが一段落したところで、この男性は「お前ら、わし等のこんな話し、まともに聞けへんやろなあ」と小声で添えた。その場には、その男性と私の二人しかいなかったのである。
一対一の生活相談であるにもかかわらず、「お前ら」「あんた等」と呼ばれることに、私は常々違和感を抱いている。社会的孤立の中で具体的な人間付き合いが希薄になってくる。自分以外は、自分の存在や価値を評価しない「他者一般」になってくる。一層孤立を深める。
何者をも代表していない私に対して「お前ら」「あんた等」と呼ぶ、その背景に孤立が見える。一旦抱いた恨みや憎しみも、生身の人間との具体的な接触の中で、中和され修正がはかられてゆく、日頃私たちが体験するところである。しかし、貧困がその機会を奪っている。大量殺傷をしておいて「相手は、誰でもよかった」と供述する人たちと、底でつながってはいないだろうか。
貧困と孤立の克服に向けて
現在、生活保護は、貧困に対処する基本的な制度である。生活保護法は第1条で「、、、生活に困窮するすべての国民に対し、、、最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」としている。
生活保護が、最低限度の生活維持のために金銭や療養の給付だけではなく、自立の助長をもう一つの柱に据えていることがわかる。生活保護を利用する市民の側から言えば、自立のためのサービスを権利として受けることができるというものである。
人間の自立には、様々な側面がある。誰もが生まれながらに有している可能性を最大限伸ばすこと、発達の権利が保障されていること、生きるうえでの選択肢があること、「人前に出て恥をかかないでいられるか、自尊心を持っていられるか(アマルティア・セン)」などである。
生活保護の母子加算を廃止された母親が「子どもには、その道しかないからそこを進むのではなく、進みたい道を進んでほしい」と言うのは、子どもの自立への願いである。
自立の集約点は社会参加である。そして社会参加こそが孤立の対極に位置するものとして、貧困克服の施策、政策の指標となるべきである。
この場合社会参加とは、社会という固定的な場へ、後から加えてもらうということではない。流動的で、ときに発展する社会、それは人間が日々支え運営しなければ、一時たりとも存在しないものである。従って、社会参加とは社会の成員として、社会を担い支え、ときに変革に加わることである。
社会参加を通して、人間は自他ともにその存在、価値を認め合い、互いの評価も高め合ってゆく。この社会が貧困を克服して、だれもが健康で文化的な生活を、人間らしい生活を営むとは、このようなことではなかろうか。
対面型から小集会型へ
冒頭の男性を「加害」から救う道はなかったのか。思うに彼は、ずうっと人との対面ばかりを繰り返してきたのではなかったか。出会う人は常に「お前ら」でしかなかったのではないか。
彼を迎え入れる小さな集団、彼を欠かせない成員として構成される小さな集団、私たち生健会は、それを班と呼んでいる。近所・町内のおばちゃん、おじちゃんが4人、5人と集まって、ときに政治や社会の話しもするが、大半は世間話の類である。暮らしに役立つ話題もある。
彼の告白を聞いて、参加者が口々にしゃべる。「あの施設は、私も利用しているんやさかい、事件なんか、起こさんといてや」「ほんとに、あそこの責任者は態度悪い、私こそ、頭の一つもどついてやりたいくらいや」。そこへ遅れてきたおばちゃんが「みんなに食べてもらおうと思て」と、炊いたカボチャをどんぶりに抱えて駆け込んでくる。
傷害未遂事件は、幻の笑い話に終わっていたかもしれない。