『協う』2009年10月号 特集1

特集 現代の貧困と協同組合

「構造改革」による雇用制度の改変に経済危機が覆いかぶさる中、「貧困」が広がりつつある。本特集では、現代の貧困が協同組合周辺でどのように顕在化しているのかに着目し、貧困克服の課題と望ましい社会のあり様、そして協同組合の役割について考える。

 

 

座談会 現代の貧困と諸相と協同・協同組合を考える

これまで貧困問題を生協自らに直接関連する問題として取り上げることは少なかったのではないだろうか。そこで、①現代の貧困が生協の事業や生協組合員のくらしの現場の中でどのように現われているのか、②その特徴はどのような点にあるのか、③それに対して生協に何が期待されるのかについて語り合った。
  

座談会出席者(敬称略)
  仙田 富久(京都府職員労働組合健康福祉支部支部長、児童福祉司)
  東村はるみ(京都生協福祉事業部醍醐山科事業所所長、ケアマネジャー)
  森川 英俊(名古屋勤労市民生活協同組合「くらしの相談室」相談員)
  濱岡 政好(佛教大学教授、くらしと協同の研究所 研究委員)

 

はじめに―「現代の貧困」の背景―
【濱岡】 生協が急速に伸びてきた70年代後半から80年代にかけて、「日本は一億総中流の社会だ」「貧困は過去の問題だ」と言わんばかりの風潮がありました。私は80年代末に『人間性の危機と再生』(法律文化社)の中で貧困問題を取り上げ、「現代の貧困と生活不安」というタイトルで札幌の母親餓死事件を分析しましたが、当時この事件は、「極めて例外的な事例」という受けとめ方がされました。
  しかし、90年代初め頃まで勤労者のくらしは、社会保障や社会サービスの整備によってというよりも、個人個人が必死に働くという自助努力や、家族がその責任において借金をするという形で、くらしは維持されてきました。これを可能にしていたのは長期雇用保障慣行でしたが、90年代後半以降になり、この長期雇用保障が崩れると、いっきに生活不安が強まってきました。2000年以降の「構造改革」によって多くの勤労者の生活不安は加速されました。さらに昨年のリーマンショックに端を発する世界同時不況の波が日本にも押し寄せてきました。生協の多くの組合員にとっても、かつて遠くの景色のように見えていた貧困という問題が、いま自分の身近に広がっているように感じているのではないでしょうか。

 

現代の貧困の実相
【濱岡】 このような背景を持つ現代の貧困問題において、とりわけ貧困問題の長期化・固定を防ぐという意味で、世代間で貧困を継続させないことが社会にとって非常に重要な課題になっています。そこで、まずはじめに、子どもの生活に今日の貧困がどのような現われ方をしているのか。その辺の問題に詳しい仙田さん、いかがでしょうか。

貧困の世代間継続
【仙田】 貧困については、少し前まで「働かない人たちが自己責任で選んだ貧困だ」という「自己責任論」が声高に主張されましたが、少なくとも子どもには何の責任もありません。ところが、何の責任もないはずの子どもに貧困が引き継がれる危険性が高い現状があります。子どもの貧困は貧困問題における今日最大の課題ではないかと思っています。
  この一方で全国の児童相談所が受理した虐待通告件数は平成20年度で4万2662件(速報値)です。ここには市町村などの窓口で対応したものは含まれていません。厚生労働省が統計を取り始めた19年前はわずか1011件でしたから、いまはその四十倍以上になっています。
  私は虐待対応チームにいた5年間で多くのケースを担当しました。新聞報道では刑法で裁けるような暴力を伴う虐待ばかりが目立ちますが、児童相談所が対応している児童虐待ケースの99%は、誰もが虐待親になりかねないようなケースという実感です。そして、虐待事例の根底には少なからず日本社会における生活困難、つまり社会保障施策の貧しさや低賃金・悪条件で働かされている労働者の実態が横たわっていると思います。
  例えば、虐待ケースではありませんが次のような実態があります。このケースは夫と離婚した生別母子家庭で、子どもは4人。中学生の娘さんに不登校問題が起こっています。お母さんは、少しでも高い時給単価を求めて夜間のコンビニのパートで働き、昼間は寝るという生活のため、子どもとあまり関われない状況でした。そしてそのコンビニもこの春に閉店してしまいました。失職したお母さんに生活保護の受給を勧めましたが、以前申請に行った際に「子どもを施設に預けてください」「水道が止まったら水を公園に汲みに行ったらどうですか」と言われたことがとても悔しい、もう二度と行きたくない、とおっしゃって、何度勧めても申請に行かないのです。その後お母さんは工場の仕事に就き、時給700円台、月収約10万円で働いています。現在この家の高校1年の長男は、アルバイトを始めています。お母さんもかなり諦め感を持っていますが、長男も「幼い子のいる母親なんか、ほかに雇ってくれへん。世の中、そんなもんや」とかなり諦めたようなことを言っていて、私はとてもつらかったです。

福祉と貧困
【濱岡】 福祉分野での貧困もまた深刻な問題です。生協の福祉事業に携わっている東村さん、いかがでしょうか。
【東村】 高齢者や障害者、なんらかの疾患を持った方々と日々接しています。この中には貯蓄がない方もいますし、疾病等によって失職し、生活が困窮するという厳しい状況も見られ、生活保護や障害者年金受給で生活が成り立っている方もいます。毎月の保護費のやりくりにも苦労されているようです。
  ただ、地域社会の中で生きていくことを考えた場合経済面だけでなく人間関係、社会活動、健康、社会資源などいくつかの環境が重要だと思います。経済的な不安の上に、地域との関係が絶たれ疾病、孤独、引きこもり、介護力の低下、介護放棄、虐待等をご本人や介護者だけで抱え込むと貧困や困窮の程度がより深化していくように思います。
  例えばAさんは83歳の女性で、50代の長男と同居しています。夫は病死し、Aさんは若い時から仕事と子育てを1人でこなし、長男の離婚後は孫の養育も担いました。その後加齢とともに認知症を発症しました。長男が区役所に相談したことから私どもに依頼があり、支援が始まりました。訪問すると、自宅は汚物と汚染されたカーペットや布団・衣類の山でした。「母親の惨状を近所に見られたくない」という理由で、窓ガラスには黒いビニールが貼られていました。ご長男は、「母は姉夫婦と同居していたが、失禁が増えたことが原因で姉が母に暴力を振るうのを見て自宅に連れ帰った。でも、自分は介護力がなくて、汚物を片づけることもできない。仕事の後、介護が待っていると思うとつらい」ということで、認知症という疾患に対する理解も不足していて、諦めの状態で生活していました。自暴自棄な面があり、光熱費の支払いが滞って、電気や水道が止められることも何度もあります。
  私どもは長男と相談して、訪問介護・通所介護・配食の利用・医師との連携・施設入所の申請といったサービスを組みました。ヘルパーが排泄介助や食事介助で活動に入る等、介護サービスを利用することで、ご本人の生活リズムが安定していきました。Aさんは声をあげて笑うようになり、トイレに誘導すれば、トイレでの排泄も出来るようになりました。介護職の関わり方を見て、長男の認知症への理解も少し進んだように思います。


生協組合員を取り巻く貧困
【濱岡】 次に、生協の生活相談に携わられている立場から、森川さんからお願いします。
【森川】 子どもの貧困や介護の事例は比較的長期間関わることが多いと思いますが、私が受けて いる生活相談は非常に短い期間で、個別の問題のみに関わっています。私自身、この座談会に声をかけていただくまでは、「生協のなかで貧困なんて見つかるのだろうか」と思いました。というのも、生協組合員のほとんどは「貧困層」ではなく、もともと生協の事業やサービスを利用できる層で構成されているからです。
  しかし、貧困を意識して相談事例を整理してみると、倒産・解雇に関する相談や、事故・病気などによって家族に経済的な問題が生じた場合の相談が増えています。また、離婚に関する相談では、経済的な理由で家庭が崩壊するケースが増えていますが、夫に多重債務があって離婚した場合は、財産分与や子どもの養育費は期待できません。子どもたちの将来も非常に厳しいだろうなと思いながら、相談にあたっています。母子家庭になると、最終的に脱退につながることが多いようです。
  また、生協組合員自身や同居家族だけでなく、親族や周辺の人たちも含めて見ると、非常に多くの貧困の存在に気がつかされます。例えば、生活保護に関する相談では、組合員の親族の貧困問題の相談が多くなっています。「長男が失業し、母親である組合員に対して行政から『実子の扶養義務がある』と通告があったけれども、組合員ご本人もパートの掛け持ちでやっと食べている状況なのでとても扶養できない」というようなケースです。また、最近は相続に関する相談で、高齢者が負債を抱えて亡くなった場合に、代襲相続で生協組合員の家庭に突然借金がかぶさってきて、破綻の危機に陥る、といった「相続放棄」に関する相談も増えています。さらに、生協の商品やサービスの利用に関わる相談の一部には、「利用代金の引落し時期の延期」や「利用の一時停止」、「出資金の減資要請」の相談もあります。食料品の利用代金さえ払えない状況や、一時的にどうしてもお金が必要な状況があるのだろうと思います。

 

現代の貧困の特徴
【濱岡】 3つの報告に共通していたのは、十数年の間に地域のセーフティネットがかなり壊されて機能しなくなり、その結果として、いろいろな分野で貧困の現象が量的にも広がり、私たちの身近にも現われてきているということのように思います。次に現代の貧困の特徴について議論を進めたいと思います。

衣食住不足型から希望喪失型へ
【仙田】 現代の貧困は、誰もが貧しかった終戦直後と違って、コンビニ弁当ならば毎日食べている子どももいます。現代の貧困をめぐって出てくるキーワードは、「パチンコ」「コンビニ」「焼き肉屋」「スーパー」「ファミレス」「出会い系メール」等ですが、この対極には「読書」「2社以上の新聞」「映画(芝居、オペラ、コンサート)」「バカンス」などというようなキーワードが考えられるように思います。
  私たちが仕事をしていくうえでは、憲法第25条の具体化、つまり健康で文化的な生活をいつも追求していきたいと思っています。人間らしく生きるためには、衣食住が足りればいいのではなく、医療を受ける権利や移動する権利も大事だと思いますし、それにも増して「ゆとり」が大切だと思います。反貧困ネットワークの湯浅誠さんはこれを「貯め」という言葉で表現されていますし、子どもたち、親たちが明日に向かって希望が持てる生活を送れたらと思います。いま、子どもたちをめぐる家庭や地域や学校での生活からは「ゆとり」や「希望」が本当に消えています。貧困層は特に希望が持ちにくい状況です。
【濱岡】 たしかにコンビニ弁当は今日の貧困を象徴していると思いますし、またアメリカの貧困は肥満と非常につながっています。つまり、貧困(経済的な不安定さや低さ)は食生活を通して健康とつながっているし、それ以外の文化的・社会的生活のあり方をも非常に制約するわけです。たとえば「生活保護をもらってるのにパチンコをしている。けしからぬ」という話がよく出てきますが、経済的な貧しさが社会生活の孤立や文化的生活の貧しさなどに全部つながって現われています。
柳田國男は『明治大正史世相篇』という本のなかで、日本の社会のなかで大正期ぐらいに登場してきた「親子心中」という現象について、家庭の孤立と関連させて論じています。また自殺も「孤立貧」と結びつけています。このように柳田國男は近代日本に広がる貧困を「孤立貧」として表現したわけですが、これを現代に引き寄せると「孤独死」という形で出ていますが、むしろ「孤立貧」と言ったほうが、現代の貧困をリアルに表しているのではないかと思います。森川さんのところにも若年層の相談は寄せられているでしょうか。
ワーキングプアかパラサイトか?
【森川】 くらしの相談室に相談する人は、働く団塊世代が多いので、若年層に関わる相談においても、組合員の息子・娘に関する相談が多いですね。例えば30歳前後の娘さんが経済的に実家に依拠しているので、お母さんは「自立しなさい」と言って追い出した。ところが、働ける場所は少ないので、娘さんはフリーターのような生活を始めた。低収入だし、実家にも頼れないので、ネットカフェで寝泊まりするようになった。
  「ネットカフェ難民」や「ワーキングプア」と言われる人たちは、こういう状況のなかで生み出されているのかなと思いました。当然、こうした人たちは、結婚しない(できない)層にもなっていて、悪循環になっている。
【濱岡】 若い世代については、「自立しない。パラサイトだ」という言葉が飛び交った時期もありますが、その背後には、若い人の深刻な労働や収入の問題もあるし、住宅問題も大きいだろうと思います。いまは、住宅や保育制度も含めて、若い人たちが自立して、結婚したり子どもを生み育てることをちゃんと支えきれるような社会の仕組みになっていません。そのために、住宅を整える収入もなく、結婚という形を取ることができず、非常に厳しい状況に追い込まれています。
  一方、中高年以降の生活のあり方についても、現在極めて大きな不安感があります。高齢者のみ世帯や高齢者の1人暮らしが一般化するなかで、現代の貧困はどういう形で現われるのか。また、それを緩和したりサポートする場合、どんなことが課題になるのでしょうか。

高齢者・孤独・貧困
【森川】 年金問題に関する相談は非常に深刻です。たとえば国民年金の加入者が56歳位の若年で亡くなった場合、厚生年金であれば遺族年金などそれなりの形を取ることができますが、国民年金の場合は非常に厳しい。とりわけ、わずかな期間でも給付を受けた人の場合は、子どもなど支える人がいない限り、年金では生活が成り立たないですね。これは社会保障などに関わる問題ですが、そういう制度に対する要求運動などを協同組合として仕掛けることも必要なのかなと思います。
【濱岡】 年金問題は、今回の政権交代のなかで、半分は期待もし、難しさも感じています。
  調査で農村地域を回ると、国民年金を満額(5~6万円)受給している場合は少なく、早くから受給し、3~4万円の年金が唯一の現金収入というくらし方がほとんどです。農村の場合、自分で野菜やお米をつくって、それに加えて年金でくらしているのですが、夫婦2人の場合は厳しいなりになんとかやっていけても、1人暮らしになると、たちまち行き詰まってしまいます。
  低い年金受給額と併せて、年金からの天引きされる保険料や利用料の徴収の仕方が高齢者のくらしにかなり打撃を与えて、社会保障制度などがより困窮の状況に追い詰めているように感じます。こうした制度の問題は、協同組合だけでなく、労働組合も含めて、大きな要求にして改善しないとまずいですね。高齢者にとっての現代の貧困問題について、東村さんはどのような特徴を見ていらっしゃいますか。

地域のセーフティネットの役割
【東村】 私は「コミュニティ」の重要性をすごく感じています。たとえば阪神淡路大震災に遭って、京都に避難してきて、そのまま住み続けている高齢者の方は「寂しい。年老いてから京都に来て、親しく付き合う人もいない」とおっしゃっていますし、認知症で独居の方も「ひとりぼっち。寂しい」とよく言われます。また、お年寄りのなかには「福祉の世話にはなりたくない」という方も多いので、福祉事業をもっと身近なものにしないと、なかなか相談しづらいのかなと思いますね。
  この一方で次のような事例もあります。Bさんは、73歳の男性で、独居、身寄りがなく、生活保護を受給しています。何十年も統合失調症で入院していましたが、病院との連携を保つことを前提に退院することになりました。主治医の定期的な診察、週3回のデイケアで健康管理をし、訪問介護・訪問看護が入るといったサポートをしっかり受けることでBさんは症状を訴えながらも何とか生活が安定しています。大家さん、民生委員や町内会長さんにも理解してもらっているので、私たち介護職が関わっていくうえでも安心感があります。73歳ですから、「この時期を逃せば在宅復帰の機会がなくなる」という医師や看護師やケースワーカーの判断で、私たちに相談が入りました。現在Bさんは買い物や調理は自立していて、「生活は楽しい」とおっしゃっています。調理方法を教えるなど生活面の変化を支えているのは、ヘルパーです。
  福祉事業は京都生協の理念である「頼もしき隣人たらん」の日々具体的な実践でありこの「隣人」とは、言い換えれば「チームケアによる生活支援」だと思っています。生協として地域で社会資源の一端を担うことが出来ていると感じています。
【濱岡】 高齢者を「孤立貧」の状況に追い詰めてしまわないようなセーフティネットを、地域のなかでどうつくるかというところに、いろいろな手がかりが見えてくるように思いました。
また、いままでは福祉に対して「特別な人たちが利用する社会サービス」という位置づけもされてきましたので、誰でも使えて、生活の厳しい時期をきちんと支えられる福祉事業にすることも大切ですが、一方で、そういう福祉に対する見方を変えていくことも生協の事業や活動の役割ですね。

 

生協への期待
【濱岡】  次に、生協・協同組合に期待したいことや労働組合の視点からみて連携・協同できることになどついて話し合いたいと思います。仙田さん、いかがですか。

住民自治のパートナーとして
【仙田】 社会保障制度全体の問題でいえば、1995年の社会保障制度審議会の勧告以降、公助が縮小され、共助、自助・自立(自律)が強調されていますが、協同組合は本来公的責任を果たせる組織ではないと思います。公的責任はあくまでも国や自治体が果たしていかなければなりません。もう少し保育所に入りやすかったら、保育料が安かったら、児童扶養手当が受給しやすかったら、国民健康保険料が安かったら、生活保護の取り扱いが過酷でなかったら、安価で入居できる公営住宅がたくさんあったら、近くに障害児施設があったら、虐待をしてしまう保護者を救えるのではないか。たとえ撲滅はできなくても減らすことはできるのではないかと思います。
  ただし、協同組合やNPOやボランティア組織は地域での人と人のつながり(共助)を構築する中核になり得るのではないかと思います。これらの組織が提供するサービスの強みは法的根拠が不要で創意工夫とニーズに即応した仕事ができる点にあるように思います。また、協同組合は、縦割りの組織や行政の仕事では対応できない、すきまのサービスができるのではないでしょうか。
  新たな政策的動きとしては、「要保護児童対策地域協議会(子どもを守る地域ネットワーク)というものが、児童福祉法第25条の2に規定されています。これは平成16年度の改正で新たにできた項目で、これを活用する手もあると思います。国も「地域のいろいろな組織に協力してもらいたい」と言ったわけです。これに協同組合やNPOも構成員として入り、具体的に必要な援護についてきちんと議論する場になる可能性もあります。現在、「公」はお金だけの関わりになっていることが非常に多く、すべての分野にわたってサービスを提供する主体からはどんどん撤退しています。いま、これだけ多くの資源が地域にあるなかで、地域住民が発言権を大きくして、実際のイニシアチブを取り、国にはお金を出させて、制度・施策に最終責任を持たせるという方法もあると思います。
【濱岡】 地域の住民自身が、発言し仕組みをつくり、運営する力量をつけていく。財政的にもきちんと保障させるような仕掛けをつくっていく。そうなると、「地域社会の主人公」ということが少しずつでも前進すると思います。そのパートナーとして、協同組合に、ぜひ登場してきてほしいということですね。次に東村さん、どうでしょうか。

情報交流と人材育成
【東村】 介護は、介護保険の改定にすごく左右される仕事で、介護職をめざす人はいるのですが、離職する人も多く、人材が不足しています。そうした背景を考えると、生協として日常的に福祉の風土づくりをしていかなければいけないし、福祉に関わる人たちを育成するぐらいの意識やシステムを常に持っていてほしいと思います。
  組合員は「ひろば」や「サークル」など、元気に集まっている場があります。若い人同士の子育てを中心とするネットワークは活発ですし、高齢層の組合員もいろいろな場に自分の趣味も重ねて参加しています。その一方で、「くらしの助け合いの会」のボランティア活動に若い層の参加が広がらないという問題もあります。今よりもっと生協の中に世代間の交流や、組合員活動と事業という枠を超えた交流の場があれば、情報交換もできるし、「ボランティアに参加しようか」「私も介護職をめざそうか」という人が出てきて、現実的な問題を解決する道にもつながるのではないかと期待しています。何よりも情報を、幅広く、わかりやすく届けること、組合員の暮らしにあった媒体を増やすことが必要かと思います。めいきん生協の「くらしの相談室」のようなものが京都生協にもあります。「くらしの安心」をめざす生協として、普通に暮らしを淡々と送っている方々に、セーフティネットがしっかり見えるようにすることが大事だと思います。
【濱岡】 たしかに協同組合を考える場合、協同組合が持っている生活に関わる情報(衣食住から社会保障に関わる情報まで)をきちんと地域に発信し伝えて、地域の人たちと共有するという点では、いろいろな事業や活動を展開している生協の非常に大きな役割だろうと思います。また今後、介護保険を通じて接点ができる地域の人びととの関係性も広がっていけば、地域のなかで従来とは違うセーフティネットが構築し得ると思うので、是非新しい試みに挑んでください。

活動資金の充実と生協の原点
【濱岡】 めいきん生協では、くらしの相談室の活動を通じて、地域のなかのさまざまな生活上の問題への情報提供や支援をしてこられました。それを今回初めて貧困問題という視点から捉えたというお話でしたが、生協がもっとできそうなことや、地域から期待されていると感じる役割について、夢も含めて、お話いただけますか。
【森川】 個人的な気持ちも含めて申しますと、現在、めいきん生協では、くらしの相談室だけでなく、「福祉なんでも相談」なども含めて、あらゆる相談に対応していますが、やはり困り事は解決しなければなりません。そして解決する際には、仕事や収入など、経済的な面をもっと重視することが必要かなと思っています。
  その意味では、現在介護や家事援助はNPO組織がやっているので、その種の仕事が経済的な裏づけも含めてでき、そういう地域で協同が組めるようになればいいなと思います。
  例えば、地域にはシルバー人材センターなど、元気で、気概をもっているお年寄りも大勢おられます。そういう人たちの協同を組み立てていきたいですね。協同組合として、いろいろなものをプラスして、地域の協同をつくりあげていく。ひとつだけでやれば非常に困難だけれども、いろいろなものを足せば、ひょっとして収入を伴うものも加わるかもしれない。そういうことも含めて、地域での協同のあり方を模索する必要があるのではないかと思います。
  また、これは理念の問題にも関わるかもしれませんが、本当に貧困な人たちも加われる生協が必要なのかもしれないし、そういう人たちの力も考えながら、生協の違った発展ということも、ぜひ考えるべきではないかと思います。そもそも原点を振り返れば、失業して最も困難な人たちが生協をつくってきたのですから、いまの社会のなかでもそういう発想を組み込むこと、そこに戻ることも重要ではないかと考えています。
【濱岡】 協同組合が事業や活動を行うなかで、地域が本当に安心できるための市民の活動資金を提供するという点でも、一定の役割を果たしうるのではないかと思います。京都では、すでにNPOや行政などが、地域で活動するための独自のファンドをつくるという動きをつくってきていますが、協同組合が地域に責任を持ち、「個人の安心、安全」ではなく「地域社会の安心、安全」を生協が担っていくという立場に立つと、資金面での位置づけも必要になってくるような気がします。
  現代の貧困を少しでも緩和・改善させるのは生易しい仕事ではないので、生協だけで担えるものでもありません。しかし、生協の事業や活動をきちんと位置づけ、この課題においても一定の役割を果たしていくことが、これからの生協にとって非常に重要なのではないかと思います。