『協う』2009年10月号 書評1

山森 亮 著
『ベーシック・インカム入門-無条件給付の基本所得を考える』


村上慎司(立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程、日本学術振興会特別研究員)


  最近、注目を集めている社会保障の概念にベーシック・インカムと呼ばれるものがある。この概念は個人への無条件現金給付であり、日本ではまだ馴染みのないものかもしれない。だが、今年の6月にはベーシック・インカム研究の第一人者である政治哲学者フィリップ・ヴァン・パレースの翻訳書『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』が刊行され、先日の衆議院選挙では田中康夫氏が率いる新党日本のマニフェストに盛り込まれ、幅広く話題となっている。
  本書の主題は、ベーシック・インカムの観点から労働、ジェンダー、グローバリゼーション、所有といった問題を考察対象にしている。また本書は、それぞれの章を独立して読むことができるように配慮され、章末にあるまとめの項目も読者の理解を促進するようになっている。
  以下、簡単に本書の内容を概観・論評したい。第1章では、現行の福祉国家における欠点が示される。本書が整理した福祉国家の理念は、完全雇用を前提として、基本的に社会保険、例外的に条件付の生活保護(公的扶助)等で対応することである。かような理念に基づく仕組みが、日本では機能不全であると指摘している。とりわけ生活保護における極端に低い捕捉率(受給できるはずの世帯のうち実際に受給している世帯の割合を示す数値)を問題視している。
  これに対して、ベーシック・インカムは条件付ではない、より普遍的な給付を目指している。この考え方は専ら一部の学者の考えた机上の理論ではない。第2,3章は日々の生活に根ざした社会運動の当事者達によって紡ぎだされた思想でもあることを確認・検討している。具体的には、キング牧師に代表されるアメリカの福祉権運動、「家事労働に賃金を!」というスローガンの下で展開されたイタリアのフェミニスト運動、老齢年金受給者、障害者、ひとり親など多様な属性から構成されるイギリスの要求者組合運動、「青い芝の会」という日本の脳性マヒ者達の障害者運動が取り上げられている。
  本書はこれらの運動を丹念に読み解き、市場における賃労働とは異なる労働概念と所得保障の考え方を抽出し、ベーシック・インカムに接続させて論じている。対照的に、続く第4,5章では学問領域の中での議論を見ていく。本書の見解によれば、ベーシック・インカムの考え方の原型は18世紀末で論じられた権利としての福祉に見出すことができるという。そして、本書の紹介する議論はもともと共有であるはずの土地や過去からの文化的継承物が社会的富の源泉であるとし、そこからの配当として、ベーシック・インカムを正当化している。かようなベーシック・インカムへの批判として、人々の就労意欲喪失の懸念がある。これに対して、本書は経済学の理論を参照する限り、所得が増えると給付の権利を失う現行の公的扶助よりもベーシック・インカムが就労意欲を損なうと一概に言えないとしている。また、そもそも労働の必要性が技術革新によって減少しているとみなす議論や社会的に有用な活動への参加と関連させて、論じている。
  もう一つの大きな問題としてベーシック・インカムの財源調達がある。これに関しては、幾つかの租税方法を紹介している。この2つの問題点はベーシック・インカムの根本的課題であるが新書かつ入門書の制約もあって、本書での論証に物足りない印象を与えるかもしれない。
  第6章では途上国、環境問題、不安定就労者運動の三つを切り口として最新のベーシック・インカムの動向を紹介し、日本における基礎年金の税方式、児童手当、給付型税額控除などの制度改革の先にベーシック・インカムの現実化に繋がる方向があることを指摘している。
  「働かざる者、食うべからず」といった格言が社会的に強い影響力がある中で、「衣食足りて礼節を知る」という含蓄のある言葉で対抗を目論んでいる本書は、ベーシック・インカムへの賛成反対の立場を超えて、貧困問題を考察する際に本書を是非とも参考にしていただきたい。

(むらかみ しんじ)