『協う』2009年8月号 特集6

 

協同とは実践である-第17回総会シンポ・分科会に参加して

山形 健介 (日本経済新聞社・編集委員) 

 

協同とは実践である-。今回のシンポジウムに参加、各分科会、研究交流会に少しずつ顔を出し、現場の当事者でしか語れない報告を聞きながら、改めて痛感したことである。
  「農」と「食(生活)」の連携をはかる時、そのメリットを「農」の側に還元する苦労。介護機能を高めようとする時に不可欠な地域理解の難しさ-等々。それぞれについて、詳細を聞きたい場面が多々あった。
  これら現場での困難や苦労、工夫は、今回の基本テーマにもある「規模」「地域」「分権」「参加」といった要素を考える上で、多くの示唆に富んでいた。
  世界が連動し、目まぐるしく変化する中で、協同(組織)の重要性は高まるばかりである。同時に協同の課題や位置づけも複雑になっている。協同や協同組合を論じる場面は増えるだろうが、論が抽象的、空論に走る恐れもある。現場と実践に学ぶ姿勢、これらを踏まえての議論が大切であることを示していると思う。
  もう一つの新鮮さは、この会合に西日本を中心に、生協にとどまらず、広い意味の“協同的組織活動人”が250人も参加していたことである。
  半世紀から百年という歴史を経て、日本の各協同組織は大きな転換期にある。ここで抱えるテーマが、「地域」や「参加」といったことだが、どれもいまの複雑な時代の中では難題であり、これらを既存の協同組織だけで論じ、対処するのは難しくなっている。
  例えば、生協一つとっても、食料・食品、福祉・介護に取り組む時、従来の活動の枠を超える様々な事象が生じ、生協だけでは解決が難しいケースが増えている。協同組合同士、さらにはNPOなども含めた協同的組織間で、多様な連携が急がれる理由である。
  しかし、新たな「『協同』間連携」は、理念としてはわかっても、具体的にはなかなか進まない。
生協と農協など既存の大きな組織の連携、小さいNPO同士の連携、それぞれに簡単にはいかない理由がある。
  実効ある連携のための特効薬はなく、あえて言えば、今回の集いのように、広い意味の“協同的組織活動人”が顔を合わせ、直接声を聞き、会話を交わすことが何よりの方法であろう。
  協同的組織が抱える課題は、個々の組織によって異なり、個々の歴史や地域特性への相互理解がなくては、連携の実をあげることはできない。組織の現状や課題の微妙さは、顔を合わせ、率直に話をしなくてはなかなかわかるものではない。その意味で、協同的組織にかかわる人々が、これだけ集まる会は、貴重な場だということができる。
  参加者の多くは、現場の実践者である。ことの大小を問わず、この人々の抱える問題と苦労は、現代の協同の“最先端”のテーマでもある。
  せっかくの機会だけに、前もって、参加者・グループそれぞれの抱える課題、問題意識の紹介があれば、質疑応答、その後の懇親、交流はさらに充実したかもしれない。
  今回の集まりを見ると、協同的組織とそこに携わる人々が、協同の将来を真剣に考え、信頼のできる集いの場があれば、積極的に参加していることがよくわかる。
  こうした思いや意欲は、農協、漁協、森林組合や信金・信組・労金といった組織に携わる人々にも間違いなくある。とりわけ、離島や半島、山間部の漁協、森林組合は、一般生活者との距離が遠く、孤立している人たちがいる。また、いまの時代、「お金の協同化」「協同的マネーとは」なども世界的な大問題である。ここで、外からの知恵、連携を求める人々もいる。
  さらに言えば、あらゆる協同的組織に携わる次世代の若い人々の様々な思いもある。
  「協同」とは、何よりも人の思いが原動力である。幅広い「協同」のエネルギーの結集には、さらなる工夫により、大小様々なスタイルの集いが必要なのであろう。今回の主宰者には、労は多いに違いないが、こうした貴重な集いの充実をはかっていただくことを期待したい。