『協う』2009年8月号 特集5
介護ニーズに応え、 地域のつながりづくりに貢献する協同組合の福祉事業を考える
小木曽 洋司 (中京大学現代社会学部 准教授)
生協の福祉事業とは?
私は、生協の福祉事業の基本的な性格とその具体的なサービスのあり方、特に市場を介して提供されるサービスとどこが異なるのか、そのような問題意識をもって当分科会に参加した。分科会では「姫路医療生協の介護・医療サービスにおけるお約束」「ヘルスコープおおさかの介護事業と生協間連携」「(広島)県内生協間連帯と地域ネットワーク」の3本が報告された。またコーディネーターの鈴木先生によるこの分科会の議論の歴史と課題についてわかりやすい説明があった。これらの報告から得たものを門外漢の私の感想として紹介することにしたい。
ニーズの連続性
各事例は生協間連携や他組織とのネットワーク形成を模索しているし、また実際福祉事業の展開とともにそれを進めている。そうした方向をとる根拠に、ニーズというものがもつ連続性という性格があるのではないか、と考える。ニードは実体としては複数形のニーズと言うべきだろう。この連鎖がある故に、保健、医療、介護、食、新しいところでは労(職)との連携が模索され、また可能になる。姫路医療生協は別法人をたてないで医療生協がすべての事業を運営する形をとっているが、それも医療と介護の連携の取りやすさをその理由として挙げている。それにまたそのような介護事業の展開は組合員の要求から始まったという点でもニーズが単数で存在するものではなく、動的であることがわかる。
このニーズの連続性という見方からその連続性をたどって再編成したモデルが、つまり協同組合間協同の展開のモデルとして「庄内まちづくり協同組合・虹」を考えうる。またこの連鎖をたどることは、少子高齢社会における生活像の形成と不可分の関係にある。単身世帯の急増を特徴とする家族類型の変化、晩婚化、非婚など結婚に対する考え方の変容からみても、生協の隆盛の基盤であった中間層の核家族を基盤にした生活像は崩れてきている。したがってニーズの連鎖をたどってセーフティネットを構築することはニーズの創造という生き方の模索を含むものであり、従来の家族像からこぼれおちてきた層を支えるための受動的、静態的な課題ではない。つまり、生協による福祉事業の展開は新しい生活像の模索を内在しているのではなかろうか。
介護労働における生協らしさはどこに?
実はこの問題の立て方が正しいのか、間違っているのか、わからないのであるが、分科会の議論もこの点を考える材料には乏しかったように思う。これは現場から課題を考えたいということである。
『おかげさまで・・・コープヘルパー奮闘記・パートⅡ』(めいきん生協在宅福祉センター編、2005年)という本のなかで、ヘルパーさんたちがよく使う言葉に「利用者さんとの出会い」があった。「利用者」と「出会い」という言葉の接合に戸惑いを覚えたのである。市場原理から言えば、「利用者」-「供給者」という対が想定されるのは当然であろう。そこに「出会い」という偶然的、かつ直接的な人間関係を表す言葉が続くのである。これは生協の福祉事業が、直接的な人間関係を基礎に、できることをできる範囲で助け合う仕組み(暮らし助けあいの会)を前史としてもっているからであろう。しかしその事業化は「利用者」のほうに重点が移る過程でもある。それは生協らしさを失うことだろうか。本来的に介護労働をは生協の特権ではないからニード(単数)には市場的対応つまり会社組織でも可能である。そうであるとすれば、生協の福祉事業の社会的意義は、「出会い」という現場のコミュニケーションがニーズの構造を浮かび上がらせる点にある。介護保険の補完的役割を超える理由がそこにあるのではないか。
以上が分科会の感想である。最近、上野千鶴子がケアされる側の情報が圧倒的に少ないことを指摘している文章を見たが、ケアする側の情報もまだ十分とは言えないのではないか。それゆえ、そうした情報を共に考えられる企画を望みたい。