『協う』2009年8月号 私の研究紹介

 

第15回 田中 秀樹さん
広島大学 大学院 生物圏科学研究科 教授 当研究所研究委員

「生活協同組合労働論」 と日本型市民生協における「協同」 と 「協働」 のあり様を考える


聞き手:長壁 猛 ( 「協う」 編集委員会 事務局 )

【Q】研究テーマと、それを選んだきっかけをお聞かせください。
  私は1973年に北海道大学水産学部に入学し、その後、教育学部に転学部しました。入学の年がちょうどオイルショックの年で、消費者運動が大きな盛り上がりをみせ、私も生協組織部員として消費者運動に関わることで生協のことをもっと学びたいと思うようになりました。当時、北大教育学部には美土路達雄先生と山田定市先生という協同組合論の専門家がおられました。
  卒業論文では、戦前からの北海道の生活防衛運動と生協運動の発展過程の関連を調べました。北海道生協連が20周年記念に生協運動史をまとめることになったとき、この卒論をベースに、北海道生協連の編集責任で、『北海道生協運動史』としてまとめさせていただきました。卒論を書きながら生協に就職しようかなと迷っていたのですが、「今の生協はスーパーと同じようになってきているのではないか」という思いが強く、また、卒論を書く過程で、もう少し生協を客観的に研究してみたいという思いが強まり、大学院進学を美土路先生にお願いしました。

【Q】大学院ではどのような研究をされましたか?
  大学院のゼミでは、美土路先生から、カントール『協同組合論』の手ほどきから受けました。協同組合という対象は大変複雑で、美土路先生は、「協同組合はコーオペラティブ・ジャンブル(ごった煮)だ」という言い方をされていました。
  私が生協というものが少しわかってきたと感じたのは、博士課程入試に失敗し、その間に、組合員リーダーの生協活動を通した発達に関する論文を書いた頃です。 
生協の内部構造は二元構造
  それ以降、札幌市民生協を事例にして、生協全体の内部構造について研究し、博士論文『生活主体の形成と生活協同組合労働』にまとめました。
  特に、当時のコープさっぽろでは、生協の内部構造は二元的でした。つまり事業と組織がきれいに切り離されていて、事業はスーパー的展開をとり、組合員組織や運動は事業に関わらず別のものとして、つまり運動として行われる、という2元構造です。生協の実態は、事業的展開が先に走って、組合員組織は別の組み立てになっていますが、これで生協運動らしいのだろうかと考えました。生協らしい構造とは、事業展開が組合員のくらしを基礎に連続的につながっていることで、組合員組織と事業展開の緊密な展開にあると考えると、結局は「組合員の様々なくらしの労働と協同組合職員労働を統一的に考えられる枠組み」が必要となり、当時、山田先生がそれを協同組合労働論という考え方として提起されておられました。

【Q】協同組合労働論についておきかせ下さい。
  協同組合労働論というのは、組合員のくらしの労働をベースに、協同組合職員の労働をその延長・補完として連続して捉える考え方です。その理論的基礎は、組合員労働の社会化として協同組合をとらえる美土路協同組合論です。美土路先生は、農協が対象ですが、協同組合を商業資本との比較の中でとらえようとする考え方に対し、早い時期に、家事労働の協業・分業的展開というような組合的協業説を対置されています。組合員のくらしの労働に注目し、言い換えれば組合員を主人公とし、事業展開を専門労働の分業的形成とそれによるくらしの労働の補完(サポートワーク)ととらえる考え方です。

【Q】二元構造論を批判する意味は?
  二元構造論批判とは、理論的には、生協=商業資本説(生協は商業資本の一種とする考え方)の批判です。商業資本的な考え方に立つと、生協事業は商業資本と同じような展開をすることになります。それを「組合員がどう制御・コントロールするかが問題」となり、この考えが協同組合=「拘束資本」「制御資本」説となります。いずれにしても生協は商業資本の一種だということが前提ですから、事業と組織・運動を一元的に統一できない二元構造論になるわけです。そうではなく、協同組合は、組合員の労働を起点に一元的にとらえられると主張したのが美土路協同組合論です。そこでは協同組合は資本(的生産関係)とはとらえられていません。
  私の協同組合に対する見方は美土路・山田理論の考え方がベースです。つまり、「組合員労働の社会化として協同組合専門家の労働がある。組合員のくらしの労働が根源」という考え方です。

【Q】日本型市民生協をみてわかったことは?
  1986年に生活問題研究所の研究員となって、全国の生協組合員調査を担当したり、『生活協同組合研究』誌の編集などで学んだことを集大成する意味で広島大学に移ってから、98年に『消費者の生協からの転換』という本をまとめました。
  この本で明らかにしたかったのは、1970年代以降に高揚した日本型市民生協とはいったい何だったのか、それを歴史的に捉えてみようということです。この本では、「現在の生協とは何か」が中心テーマで、基本的にはそれを「消費者の生協」と考えました。
  つまり、ヨーロッパの生協は「労働者の生協」で、労働運動と共に発展した生協ですが、日本の市民生協は、それと異なる時代の、消費者運動や住民運動とともに発展した「消費者の生協」です。消費者の生協においては、より良く安い商品を求める消費者が、そういう論理だけで結集すると、事業は大きくなりますが、生協運動としての協同の内容は後退していきます。
  でも、70年代の生協運動、あるいは共同購入事業においては、協同の実質がたくさん作られていました。なぜなら、消費者の生協であると同時に、地域のなかで、地域生活の様々な協同をつくっていたからです。班もそうですが、配達の末端というだけでなく、生活班として、地域のなかでも生協のなかでも協同をつくっていた。地域生活の協同運動というような実質があったから、生協が革新的な意義をもったし、魅力があったと思います。それがだんだん後退して、事業的効率化が進むとともに、バラバラの消費者の生協に変わってきたのが現在ではないか。共同購入も、システムがだんだん合理化し、そこで働く職員も組合員の姿やくらしが見えなくなっていったと思います。
  そういう流れがだんだん強まり、このままだと生協はヨーロッパと同じスーパー化の道をたどるのではないかという危機感から、「消費者の生協の時代は終わった」と過激な言い方をしたので、かえって論争にはつながらず反省しています。

【Q】消費者を組織する協同組合の今後のあり方について、もう少し詳しく。
  私は、現段階の地域のくらしや、そこからの地域づくりのなかに協同組合を位置づけて考えたほうがいいのではないかと思っています。
  いまの生協は「市場」という土俵のなかで懸命に闘っています。しかし、いくらその土俵で闘ってもスーパーと変わらないだろうし、それが生協のすべき闘い方なのかというと、そうじゃないだろうと思います。では、生協の土俵とは何か。それは地域の組合員のくらしではないか。だとすれば、そこから生協の事業を組み立てると考えたほうがいいし、地域のくらしを立て直そうという動きはいろいろと始まっていますから、そこともっとコミットしたほうがいいと思います。
  農村でもそういう動きがけっこう強まっています。過疎化が進む農村で、直売市など、新しい協同に基づく地域づくりが進み始めています。生協でも、購買以外の、福祉・助け合いといったくらしの領域で、生協しまねの「おたがいさま」や福井の子育ての取り組みなどが進んでいると思いますが、そういう実践の先駆けをつくったのは、ちばコープだったのではないかと思います。
  今度の本(『地域づくりと協同組合運動』)の序章でも書きましたが、ちばコープは、ビジョンづくりのアンケートから、「組合員のくらしをベースに生協を考える」という「発想の転換」をまず行い、そこから「生活創造」というスローガンを掲げました。「組合員の声を聴く」という実践やスタンスをつくりあげ、そこから様々な取り組みを広げていますから、やはり、あれがひとつの先駆けだったような気がします。

【Q】「組合員の声を聴く」とは・・
  今では、全国的にも「組合員の声を聴く」実践が広がってきているように思います。
  地域の組合員のくらしは、くらしごとに個別的ですが、しかし個々のくらしは総合的です。買い物は、子育てや介護など、いろいろなくらしの労働とつながっていて、個々のくらしはその内部では連続的で総合的だと思います。ところが、生協は「買い物」という側面だけでくらしを切り取ってしまうので、その背後のいろいろなものが見えてこなくなるわけです。だから、個別的だけど、総合的な組合員のくらしをベースにして、そこを起点に、いろいろな協同が発生し、そのなかに生協が位置づいていくと、生協の役割がいろいろな形で発揮しうるのではないか。また、生協における協同も活性化するのではないか。
  その意味では、生協しまねの「おたがいさま」のような、福祉・助け合いに関わる活動が大切だと思いますが、これと買い物が連携できるような仕組みがあればと思っています。そのひとつのヒントが福祉クラブ生協です。買い物と福祉をつなげる実践としておもしろいなと思います。
  他の生協でも、福祉の取り組みが進んでいますが、介護保険絡みが中心で、「助け合いの会」とうまく連動していないし、福祉の組み立てがくらしの総合性と連続していないと思います。組合員のくらしから福祉・助け合いの協同を組み立て、生協運動につなげているのが、しまねの「おたがいさま」や福祉クラブ生協ではないかと思います。

【Q】今、生協は大きな分かれ目にあるのでしょうか
  市場での競争が厳しくなり、そこでの生き残りを図ろうとする動きが強まっているように思います。そうした方向性はいわばじり貧で、長期的には協同組合らしさを失うことにならざるを得ないと思います。その意味では、いま改めて「協同組合とは何か」が問われているのだと思います。
  『地域づくりと協同組合運動』の「はじめに」で、「現在、大きな地域再編の歴史段階にある」と書きましたが、いろいろな意味で地域が再編されているように思う。グローバリゼーションという大きな流れのなかで、地域の空洞化が進み、もうひとつは市町村合併で、広島では本当に村がなくなってしまいました。近くの役場がなくなり、そのなかで旧村を単位にして、新しい地域づくりの動きや地域自治組織が生まれたりしています。そこでいろいろな活動が行われるようになって、その地域自治組織のなかに新しい協同(直売市や、農協法に基づいた農業生産法人など)が生まれています。農協はそれらの新しい協同と関係を持ち始めていますが、それを自分の内部に位置づけ、協同組合事業と組織の戦略的な組み立てを図ろうというところまでは至っていません。
  協同組合は時代の子で、時代ごとに新たな形を生み出していくのだと思います。すでに協同組合の新しい未来は始まっていると思います。こうした、地域で起こっているいろいろな動きを見ながら、次の型の組み立て方を考えなければいけない。そうすると、やはり福祉や子育てや介護はすごく大きな意味を持ちます。高齢化との関わりでの協同がきわめて大事だし、それと連動しながら購買事業の組み立てを考えないといけないのではないか、と思っています。

【Q】生協にとって最も大切なことは?
  協同だと思います。協同というのは、ひとつは、現在の市場社会から次の社会を考えたときに協同がとても大事です。これにもいろいろな議論があると思いますが、マルクスによれば次の社会は「協同社会」です。人類社会の歴史的な展望のなかに協同組合を位置づけて考えるということが大切だと思います。
  協同組合は「協同」を冠していますから、絶対に外せません。協同組合の定義でも、協同をあまり重視しないものもあり、たとえば「1人1票でなくて、利用や出資に応じて2票でも3票でもいい」という考え方が出てきます。しかし、1人2票ともなれば、自然人が単位ではなくなり、「対等平等」ともなりません。ですから、「自然人を単位とする1人1票制」は外せない。そこを外すと、協同という関係が成立せず、協同組合の人類史上の歴史的な位置づけもできなくなります。
  さらに、協同というのは、協同組合に結集した個人の対等平等がベースです。消費者としての協同は、当初は「いい商品がほしい」など、要するに利害の一致レベルです。利害や要求の一致が協同の出発点です。しかし、互いに協同するなかで、協同的関係が深まり、だんだんお互いの個性や考えがわかってくると、単なる対等平等ではなくて、お互いを思いやりながら協同できるという関係になっていきます。それが「協同の発展」ですが、それを協同組合のなかでどうつくっていけるのかがとても大事だと思います。これは組合員同士だけでなく、職員との関係においてもそうです。 
「協同」から「協働」へ
  私は、組合員のくらしをベースに、事業が発展し、事業を通じて人間同士の協同関係を発展させることが協同組合の魂であり、それをなくした協同組合は、協同組合ではなくなると思っています。協同関係を発展させるためには、組合員のくらしにベースを置き、そこに事業の起点がある。そうすると、そこからいろいろな協同が生まれ、「協同」が「協働」的関係へと発展します。
  一緒に働く関係、つまり組合員同士のくらしの労働の助け合いがあり、また、職員が、組合員のくらしの労働を支えるような働きかたになると、くらしが総合的に見えてきて、ただの「買う人」、つまり消費者として見るのではなく、くらしの労働の具体的姿やくらしの具体的な悩みやその内面が見えてくる。そうすると、組合員のくらしの労働と職員労働との「協働関係」が成立するようになり、「私の仕事は組合員に役立っている」と実感できる関係ができてきます。事業的にも1人当たり利用高が向上すると思います。
  福祉の労働の対象は人間そのものですから、福祉では、そういう関係がもっと強まります。
  お互いを知り合い、理解し合う関係は、単なる利害の一致という関係から、相互の個性や考え方、お互いのくらしを認め合う関係になります。相互に認め合う関係が生まれると、単なる対等平等というよりも、お互いを思いやったうえでの協働関係ですから、そういう関係が地域で生まれると、地域はずっとくらしやすくなると思います。そういう関係を地域でどうつくっていくのかということを、協同組合は考えてほしいのです。
福祉が生協を変える
  組合員のくらしに関わろうとすると、たぶん購買事業だけでは難しいけれども、そこに福祉があると、いろいろな形で情報が入ってきて、生協自体も変わっていく。子育てや介護など、地域に関わるいろいろな協同があって、それが購買と連携できるようになると、購買が変わっていく可能性がある。たとえば生協内の事業だけではなくて、地域のNPOと生協が関わる。そうすると、地域のいろいろな情報がわかることで、購買のあり方が変わっていく可能性がある。そこが切れて、バラバラの消費者と生協事業という関係だけになると、接点がなくなって、顔の見えない消費者に物を売るという、抽象的な関係になります。

【Q】組合員の生活支援に役立っていると職員が実感できるには
  その仕組みをどうつくるかですね。「物を買う」ということでのみ組合員を見るのではなく、組合員のくらしの悩みに寄り添いながらくらしを観ること、個別的ですが具体的で総合的な地域のくらしに寄り添う姿勢、スタンスが大事だと思います。苦情だけでなく、「声なきくらしの声を聴く」と言い換えてもいいです。組合員の、買い物だけにとどまらない、くらしの労働を、「おたがいさま」のように、地域で助け合うコミュニティ・ワークをつくり、それが専門家の労働につながる仕組みを地域でつくれればよいのです。
  スーパーのような営利会社の仕組みではそこがつながらない。スーパーでは選んで買い物はできるが、つながる仕組みがない。公務員の労働も同じで、「こういうメニューがあります」と選ばせるメニュー選択型です。「制度はこうなっているから、それに合わせなさい」としか言いません。
  協同組合は、組合員が主人公ですから、組合員のくらしを起点に、福祉や購買など様々な事業を組み立て、そこに協働的関係をつくることができます。今後、地域づくりに生協が役立っていければ、くらしやすい地域づくりに生協が不可欠の存在となることができると思いますし、生協のあり方も変わってくるだろうと思います。
  『地域づくりと協同組合運動』にそうしたことをまとめましたが、この本は厚すぎて読むのが大変ですので、「はじめに」から序章、11章、12章とお読みいただければ私の主張はおわかりいただけるかと思います。
  


プロフィール
たなか ひでき
広島大学 大学院生物圏科学研究科教授
主要なテーマ:地域づくりと協同組合、食生活の変化、
主要な学会:日本農業市場学会、日本協同組合学会
論文・著書:『生活主体の形成と生活協同組合労働』
       『消費者の生協からの転換』(単著)、『現代生協論の課題と展望』(共著)
       『地域づくりと協同組合運動』(単著)他