『協う』2009年8月号 書評2

 

辻村英之 著 『おいしいコーヒーの経済論』

片上敏喜 京都府立大学大学院 農学研究科 博士後期課程

 

 コーヒーは現在の私達の生活のあらゆるシーンに登場するポピュラーな飲み物である。そのコーヒーから私達がもつコーヒーのイメージに止まらず、南北問題、農業問題、フェアトレードといった世界が抱える問題について編まれたのが本書である。
  本書の最大の特徴は、社会における制度の在り方に注目して経済をみていく「制度派経済学」の下に、コーヒーの美味しさを増減させる様々な「情報」を提供している点にある。著者はコーヒーの美味しさの基準である①フレグランス(粉砕後のコーヒー粉の香り)アロマ(コーヒー粉を抽出した後の液体の香り)②フレバー(抽出液を口に含んだ香り)③後味④酸味⑤ボディー(コク)⑥均質さ⑦バランス⑧クリーン・カップ(香味に汚れ・欠点がないか)⑨甘味⑩総合によるコーヒー業界の味の判定基準をおさえつつ、他方で、コーヒーという一つの「食」を通じて世界で起こっているダイナミックな営みを、もう一つの「味」として抽出することに力を注いでいる。そうした情報を「必要あるもの」として本書で提供する背景には、コーヒーを通じた食に対する「買い支え・食べ支えの仕組みづくり」に足場を置き、研究を進めていく、という著者の研究への姿勢が読み取れる。本書では、その姿勢をコーヒーのフェアトレードの観点にしぼって議論しているのが特徴的であるといえよう。
  フェアトレードには国際的なフェアトレードの認証制度があり、2つの仕組みで農産物を買い支えようとしている。一つは、市場価格がどれだけ低迷しても、生産者に利益が残る最低水準の輸出価格で購入することが保証されていること。もう一つは販売利益の一部を生産地に還元して社会開発の契機にするという、二つの価格形成の仕組みで買い支えをするようにフェアトレードは形成されている。こうしたフェアトレードの視点から、本書では、コーヒー豆の銘柄としてよく知られているキリマンジャロに焦点をあて、その生産地であるタンザニアのルカ二村に著者自身が頻繁に出向き、現地の生産風景をつぶさに描写し、コーヒー生産地の現実と実情を細心に描き出している。著者による綿密なフィールドワークから描き出された生産流通のプロセスは、それ自体がコーヒーの情報となってコーヒーの品質ひとつとして数えられるであろう。そのように描写されたコーヒーの情報は、消費者の価値観にともなって形成される消費者嗜好の品質の構築に関与するといえる。コーヒーがもつプロセスそのものを人々の嗜好に関わる品質として提供することが本書の姿勢であり、その姿勢は、現在の消費者の安全・安心といったニーズを満たす「枠」にぴったりとあてはまるといえるであろう。
  本書では、このようにして著者が独自の視点をコーヒーから構築していこうという「始点」が読み取れて面白い。また、こうした「始点」からなるコーヒーに対する視点の構築は、人々に自らの安全に対する配慮だけではなく、フェアトレードを通じて購入することによる生産者の安全や産地の環境保全をも視野にいれた議論であるといえるであろう。加えてコーヒー豆のフェアトレードは、消費者嗜好の品質を支えながらも、そうした私的な利害を超えて、他人や遠隔地にも配慮する機能があり、そうした観点から社会的貢献嗜好の品質でもあることが力強く論じられている。また著者は、タンザニアルカニ村・フェアトレード・プロジェクトによるコーヒースタディツアーに積極的に関与し、著者自身が現場と現地の人々との交流を「その身」で体験しているということも、本書に説得力をもたらしているといえるであろう。
  しかしながら、こうしたフェアトレードのコーヒーはどうしても小売価格が高くなってしまい、一般の消費者が受け入れにくい価格になってしまうということは現実問題として否めない。こうした現実問題の言及については物足りないところもあるが、価格を超えて互いに買い支え、食べ支える第一歩として、食の実情を知るというのは間違いのないところであり、その意味で本書はコーヒーの実情について知る役割を十二分に果たしているといえるであろう。