『協う』2009年6月号 私の研究紹介
第14回 松尾 匡さん(立命館大学経済学部教授・当研究所会員)
マルクスの基本定理と市民型社会モデルを追い求めて
「100年に一度の経済危機」 といわれるこの時代をどのようにとらえ、 次の時代をどのように予見しておられるのか。 そのことをお伺いするつもりで訪問した。 しかし、 先生のお話は、 マスコミに踊らされていたこれまでの私の考えを打ちくだくものとなった。
聞き手 長壁 猛 (「協う」 編集委員会事務局)
【Q】先生の研究テーマと、それを選んだきっかけをお聞かせください。
私は1983年に金沢大学文学部に入学し、その後経済学部へ転学しました。当時の経済学部は、マルクス経済学(以下「マル経」という)が主流で、経済原論の担当が藤田暁男先生でした。私はマル経の原論を勉強するかたわら我流で近代経済学を勉強していました。
しかし、学部で数理的な展開について教えてくれるところがないので我流でいろいろ解いていたら、藤田先生に「おまえの行けるところは神戸大学の置塩信雄か一橋大学の高須賀義博しかなかろう」と言われて、置塩の「蓄積論」を読んでみると、非常に感銘しました。そこには「マルクスの基本定理」が書かれていて、「利潤が存在するのは、労働の搾取が存在するからである」ということが数学的に証明されていました。
『資本論』の「労働価値説」について、世間一般では、「価格が労働価値に比例する状態を仮定して論証して、後からそうではなくなるけれども、それでも成り立つ」というロジックになっています。しかし、置塩の「蓄積論」には「労働価値に比例する必要はない、どんな価格であっても利潤が存在していれば労働価値が存在する」という非常に強力な定理が書かれていました。やはり労働価値どおりの価格などは非常に厳しい仮定で、そんなことは現実にはないだろうと思ってましたので、それを仮定しなくても労働搾取が存在すると言える定理は非常に強力で、感銘しました。
それで、当時、マルクスの数理的展開について書いていた置塩や森嶋通夫の本を読むようになって、大学院は神戸の置塩のところを選びました。
【Q】置塩先生のもとでどのような研究をされたのですか。またその後どのように進展していったのですか。
院生として取り組んでいたのは、「マルクスが整合性を持つ経済理論体系としてつくりあげたシステムとは何か。それを数理モデルで考えてみよう」ということでした。ひとことで言えば、マルクス経済理論を数理的証明として位置づける研究と言えるかもしれません。
マルクスのポリティカル・エコノミー(広義の経済学)体系全体は、リカードと重商主義を総合したものになっています。しかし彼が『資本論』のなかでそれをちゃんと理論体系として整合的に展開できているのは、リカードから引き継いだ「長期」の体系だけです。そのリカードから引き継いだ「長期構造論」という、長い目で見た成長論を数理モデルできっちり実証する、ということを大学院時代にやっていたんです。
【Q】卒論の内容をおきかせください。
私が卒論で書いたのは「国家独占資本主義の時代は終わった」という話です。当時は80年代ですから、国家独占資本主義の時代が終わって新自由主義が出始めた時期でした。
そのなかで、当時の左翼は「この流れは時代の反動・逆行であって、すぐ終わるだろう」というような受けとめ方でした。私は卒論のなかで、「そうではない。国家独占資本主義というひとつの時代が終わって、グローバルな(という言い方は当時なかったかもしれませんが)自由競争的な資本主義の段階が来たのだ。この段階転換は、労働者階級にとって敵対的なものではあるが、ひとつの進歩である。したがって、社会主義運動も新しいものに変わらねばならない。これからの社会主義は、国有・中央計画経済ではない。資本主義とは別の、協同組合や労働者管理企業やNPO(という言葉も当時はありませんでした)という形で、市民が下からつながりあって事業を起こして広がる社会主義が、これからの社会主義になっていく」と書きました。
つまり、「従来の国家介入型社会主義もケインズ的な国家介入型方式も、もうだめだ。そんな時代は終わった。自由競争的資本主義の時代が来るけれども、これも私たちの味方をするものではない。どっちもだめだし、その中間もだめだ。そういうものを目指すのではなく、市民が下から事業として起こしていく方向が、私たちのすすめる方向だ」というのが、卒論の結論です。
【Q】「市民が下から事業をつくりあげる」という考えはその後どのように進展しましたか。
私が久留米市に来てまちづくりのとりくみにかかわることで、実践的にも理論的にも卒論の結論とがつながり、進化していくことになります。
久留米大学に経済学部ができたのは1994年で、私は経済学部をつくる要員として92年に久留米大学に呼ばれました。久留米大学経済学部の完成後の展望として新学科の開設ということがありました。新学科開設の最初の趣旨として私などが学部リーダーの駄田井正先生に懸命に話していたのは、「これからは地域のなかで医療・福祉・観光などの人間相手の産業が中心になっていくし、その担い手もNPOや協同組合が中心になっていく。そういう新しい経済が地域から起こる時代だから、それをテーマとする学科にしよう」というようなことでした。その趣旨で、NPO論の伊佐淳さんと開発論の西川芳昭さんが久留米大学経済学部に呼ばれて来ました。
それでさっそく私たちの間で研究会を立ち上げて、地域の専門家・活動家の人たちの話を聴いたりし始めて、「タウン・モビリティ」(中心市街地で電動スクーターなどを貸し出して、お年寄りや障害者にも町を利用しやすくしようとする取り組み)をやろうという人と出会ったんです。中心市街地は、昔は大店法などがあって、大型店が入れないように行政的な規制で保護していましたが、規制緩和で大資本が入ってきて「自由競争だ」という話になってきました。見事に「行政的な規制VS大資本の自由競争」という図式ですが、私たちは、この図式のどちらでもなく、さりとて中間でもなく、第三の道を行くということを展望していたわけですから、モデルケースとしてバックアップしていきましょうということになりました。
当時、大学では佐賀県の温泉旅館の社長がお金を出してくれた冠講座「観光学」というのがありました。この寄付講座は、いろいろな地域で観光の取り組みをやっている人を講師に招き、学生だけでなく市民にも公開していました。新学科については、最初はこの講義をコアにして考えられていました。ところが、新学科の話が、最初に私たちがイメージしていたものから少し違ってきたこともあって寄付講座の最終年度(1999年)には私たち三人が運営するようにしました。それで、実際にNPOなどで市民参加のまちづくりに取り組んでいる人に話してもらう「市民参加のまちづくり」講座にしました。つまり、「国有経済でもなく、資本主義でもなく、地域から、市民の手で意識的にコントロールできるような経済をつくっていこう」という考え方の実践例のようなものを、実際にやっている人に話してもらおうということで、その講師の人たちに書いてもらったのが『市民参加のまちづくり-戦略編』『同-事例編』『同-コミュニティ・ビジネス編』です。ちなみに、この講座は、翌年には寄付がなくなったので、「市民事業論」という名称に変えて、10年後のいまも続いています。新学科の名称は「文化経済学科」ですが、実質は最初の発想が非常に強く出た性格になっています。
【Q】「100年に一度の経済危機」といわれますが、マルクス経済学の立場から見て、いまの時代はどのように見えるのでしょうか。
いま、「100年に一度の経済危機」とか言われていますが、こういうことは資本主義の歴史のなかではしょっちゅうあって、結局、乗り越えてきました。ですから、それ自体は珍しくないし、「資本主義の危機だ」とか「大きなレジームの転換になる」ということはないだろうと思っています。
この不況そのものは、たぶんとりあえずすぐ復興するだろうと思います。アメリカは、確実に復活するでしょうし、これまで採られてきた経済政策からすると、たぶん先進国のなかでは最も早く回復するのではないかと思います。アメリカが立ち直れば、中国もわりあい早く回復するでしょう。
日本に限って言えば、すでに2007年の秋頃から不況期に入っていました。2002年を底に、「景気は回復した」と言っていましたが、小売業の売上高や給料は全然伸びず、かえって減っているという報告もありました。そんな中で設備投資と純輸出だけで伸びている、という感じの回復で、とても脆弱でした。
この景気回復は、そもそも「構造改革」以来の非正社員化・リストラ策によってもたらされたもので、消費が伸びない原因もそこにあるのです。もとを正せば「小泉改革」などの反労働者的な政策や日本銀行の引き締め指向が最大の原因となって景気が崩れ始めたんです。それがベースにあるので、ちょっとしたことでドカンと落ちる。そういう体質だったんです。
そんなことはこれまでの経過を見ていればわかるはずなのに、実際に事が起こった後、まるで外部に責任があるかのように、「リーマンショックのせいだ」「100年に一度の世界経済危機だ」という言い方をしています。これは、責任のある人にとっては非常に都合のいいまとめ方だと思っています。
【Q】新自由主義に代わる、次の経済理論や枠組みが問題になりますが・・・
本当のことを言うと、それはかなり前に出ています。旧ケインジアン(70年代ぐらいのケインジアン)はその時代の現実をすごく反映した理論で、いま振り返ると、ケインズ自身の理論とはかなり違っていましたし、その後に出てきた新古典派などに批判されて、学界では破れているという状況になっています。
方法論的には、いちおう新しい古典派の方法論が主流になっていますが、当時は新しい古典派の方法論がその主要な主張をもたらすものだと考えられて、たとえば「ほったらかしておいたほうが市場は均衡する。政府の介入はろくな結果をもたらさない」というふうに、一般的に政策介入を否定し、現状肯定的・現実擁護的な結論を導き出していました。つまり、新自由主義的な政策のバックボーンになるものですが、80年代当時は、そういう主張自体が、新しい古典派がケインジアンを批判して生み出した新しい手法によってもたらされていると思われていたわけです。
ところが、その後、そういう方法論とは無関係だということがわかってきて、90年代頃になると、「新古典派がもたらした方法論をそのまま使っているけれども、それとは全然違う結論が出る」というような研究業績がどんどん出始めてきました。特に90年代の日本の長期不況を説明する理由として、「新古典派の手法を使っても、このような不均衡が出る」という研究業績が次々に出され、経済政策に関しても「有効な経済政策があると言える」という研究はすでにたくさん出されています。
これらの研究は、方法論的には新古典派ですが、言っていることはケインズであって、「70年代のケインジアンの主張は、実はケインズの本当に言いたかったことを表してはいなかった。自分たちの主張こそがケインズの言いたかったことを正確に表している」という立場です。
つまり、「新しい古典派の方法論的な枠組みを全部受け入れたうえで、ケインズ的な主張ができる(ケインズ理論を表すことができる)」というわけで、こうした研究はすでに90年代には出され、現在の学界ではある程度広がっています。しかし、世間的にはまったく認知されていません。
【Q】「共生経済」は、次の時代の経済理論になりうるのでしょうか。
「地域からコントロール可能な経済をつくっていこう」という話は私と近いところがあると思います。その点で最も重要なのは「コントロール可能性」だと思うので、「共生」という言葉が適切かどうかはわかりませんが、通じるところはあると思います。ただ、「閉鎖的な地域経済をめざす」という話だと、仮にめざしたところで、現実問題として失敗するし、例えばフェアトレードにしても、貿易ができるから可能な話です。
フェアトレードは、現実には問題を抱えています。最も問題を抱えているのはコーヒーなどの類の商品です。これらは世界的な需要に対して供給過剰で、買いたたかれる構造があります。それがフェアトレードである程度高い価格で買い上げてもらえるということになると、さらに供給を増やすわけです。それで熱帯林を切り開いて、コーヒー畑を増やしてしまう。
では、どうするのか。世界中みんなが工業化して豊かになる必要はないし、もともとそんなことはできない。デンマークやニュージーランドにしても、工業化して豊かになっているわけではない。酪農などを盛んにして、それを先進国に輸出して豊かになっているわけで、それもひとつの方法です。
そうするとフェアトレードは、正解ではあるけれども、本来ならば、普通に消費している農産物でそれがなされなければいけない、と思う。
「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」のホワイトバンド運動なども、それを問題にしています。ホワイトバンド運動は、欧米系の運動で、「ヨーロッパの国々が自国の農産物を保護しているために、発展途上国は資源・収穫が豊かであるにもかかわらず輸出できない。そういう不条理が、このような貧困をもたらしているひとつの原因だ」として、ヨーロッパの現状を批判しています。
したがって、フェアトレードもそういう形で発展させなければいけないと思うのですが、「共生経済」は、主張として「自給率を上げなければいけない」という。その自給指向はホワイトバンドなどの主張とかなり対立することになります。ですから、やはり閉鎖的・排外的になるのは問題だろうと思います。
つまり、「グローバル化に対抗して、地域の…」という組み立て方ではなくて、たとえグローバルであっても、それが実際に生産したり消費している人たちにとってコントローラブルなものであればいいと思うんです。
別の例で言えば、労働の非正規化がやむを得ないとして受け入れられたり、賃上げ抑制も仕方ないとされたりした背景には、発展途上国の労働条件が低いために、工場が日本からそっちに出て行ってしまったり、発展途上国産の安い製品に競争で勝てなかったりすることがあります。だから、日本などの先進国の労働者の雇用や労働条件をまもるためには、発展途上国の人たちの労働条件を上げなければいけない。個々人のくらしをまもるようグローバル経済をコントロールするために、先進国の人たちが発展途上国の人たちの賃上げ闘争を支援するということも考えられると思います。
あるいは、国際産直のようなフェアトレードをやって、「安全性への配慮については、このレベルになるようにしてほしい」とか「自分の所得維持のために値段はこれぐらいで手を打ってほしい」というふうに、消費者と生産者が直接話し合う形で、コントローラブルであることが大事なのであって、地域的な広がりは問題そのものではない。
【Q】「コントロール可能な組織」という点から協同組合をどう考えていますか?
協同組合などが資本主義企業と比べて次の時代をつくるものとして期待されるのは、その事業が個々人の関係当事者(ステークホルダー)にとってコントローラブルであるという点にあります。ですから、個人個人にとってコントロール可能な経済をつくるための道具・中心として位置づけられるのだと思います。
したがって、実際の協同組合を見た場合、一人ひとりの組合員にとって生協の事業がコントロール可能でなくなり、疎外されていると感じることが多いのであれば、資本主義企業と変わらないわけで、それは問題だろうと思います。
逆に、形式的には資本主義企業であっても、関係当事者にとっては生協よりもコントロール可能な事業体があるかもしれません。だとしたら、そっちのほうがよほどましだということになるので、今後、そういう面をどう充実させるかが大事になるのではないかと思います。
プロフィール
まつお ただす
立命館大学経済学部教授
主要なテーマ:「マルクスの基本定理」「マルクス体系の疎外論による読解とそのゲーム理論的解釈」
主要な学会:経済理論学会、経済学史学会、日本応用経済学会、世界政治経済学会、進化経済学会、経済教育学会、日本経済学会、景気循環学会
論文・著書:『「はだかの王様」の経済学──現代人のためのマルクス再入門』(単著)、『格差社会から成熟社会へ』(共著)『経済政策形成の研究-既得観念と経済学の相克』(共著)